夢日記
@akisarumi
一日目
暗い闇の中、うっすらとブラウン管の砂嵐のような景色が浮き上がる。
次第に少しずつ砂嵐は止み、やがて何かが輪郭を帯びていく。
空なのか森なのか、公園なのか道路なのか、一切の検討はつかないが、何かが三次元の空間を前進している。見ているというより前進しているという感覚だけがある。
今度は画面が切り替わるように、一瞬の暗転を挟み景色が変わる。
一面に白色が広がっている。自分は横たわっているらしい。それが壁ではなく天井で、自分は今まで夢を見ていたのだという意識の塊が脳に届くまで少しの間があった。
むくりと上半身だけ起こし部屋を見渡す。
カーテンの隙間から陽光が差し、かの印象派画家の牛乳を注ぐ絵のように思えたがそれは一瞬の事で、あの絵の持つ美しき静謐さなどはなく、この部屋には日常という概念がこびりついて饐えた匂いを放っていた。
のそりとベッドから起き上がり、冬眠明けの熊のようにゆっくりとした足取りでドアを開け廊下を出て少し右手にある階段を降りる。
階段を降りて直ぐのドアを押し開くと、朝のニュース番組独特の快活な声、それにトーストとベーコンの香ばしい匂いが鼻を抜けた。
「おはよう。もう出来てるからね。」
母は先に食卓に座ってテレビを観ながらトーストを齧っていた。
「うん」
僕も座って一緒にご飯を食べ始める。
これでいつも通りの”朝”の完成だ。
いつも通りの食事を終え制服に着替え、玄関でグレーのニューバランスを履き「行ってきます」
に優しく応える母の返事を聴きながらアパートの廊下へ出る。
廊下突き当たりの階段を降りてアスファルトを踏み右へ向かって歩き出す。
電車のダイヤのように変わりない朝を終え、平常運転の日常が前進する。
住宅街を抜け大通りに出てコンビニの前を通り、少し脇道に入ったところで、校門より先に建物の合間から校舎が見えてくる。
工場のラインで大量生産されているんじゃないかと思うくらいどこにでもあるような校舎を眺めながら校門を通る。
玄関のガラス扉を開け湿気に満ちた木材と土埃の匂いが混じった下駄箱で靴を脱ぎスリッパに履き替えて階段を上がる。
階段を一つ上がって廊下の真ん中に出て、右手一番奥の教室に向かう。
窓際奥の最後列の席に座り、5分後に教師が前のドアから入ってきたタイミングでチャイムが鳴り授業が始まる、まるで日本が世界に誇る鉄道ダイヤのように正確に、変わり映えのない日々が始まる。
代わり映えのない日常、耳から入っても脳に少しの皺も刻まずに出ていく教師の言葉。
退屈、それ以外に表現しようのない感情だった。
だが僕はそれが案外嫌いではない。
退屈を嫌い情熱や刺激を求め奔走する、そんな人生も悪くはないだろうが、退屈な授業を受け卒業して社会人へと進み、自分が社会の中のどの歯車なのかも分からぬまま一生を終える。
そんな人生の方が自分にはしっくりくるだろう。
そんな事を考える片隅で今朝の夢のことを思い出した、夢を見るなんて何年振りだろうか・・・
夢想の中を散策するうちにチャイムが鳴り、教室がざわめきだす。色んな声が聞こえる。
「この前のミナミサワーの動画見た?」
「見た見た。あれはヤバいよなぁ!本当爆笑した」
どうやら流行りの動画投稿者の最新動画の是非を語っているらしい。
「喧しいな。」心の内に吐き出しながら、読み進めていた古典的なミステリ小説を開く。
ヨウタ自身もその動画投稿主の動画を見た事はある。学校内でたびたび聞く名前だからと夜中寝る前にベッドの中で調べてみたのだが、とても長く見ている気持ちにはなれなかった。
授業を全て終え下駄箱に向かう際にもまた夢について反芻していた。
「ヨウタ、喫茶店でもどう?」
声をかけられ振り向くと中学時代からの友人、シュウジが下駄箱にもたれて立っていた。短髪で日焼けした肌、一見快活そうな運動部の青年のように見えるが、顔の表面に一層の薄い雲のような少しの不健康さを纏っている僕の数少ない友人と呼べる存在だ。
「ごめん、今日はやめておくよ」
「そっか、了解。また行こう」
別に用事があったわけではなかったがあまり気が乗らなかった。
断る理由を聞いたり、先に予定の有無を確認してから誘うという外堀を埋めるようなやり口を使わないシュウジとはウマが合う。
下駄箱で靴を履き玄関を出る。
朝と同じ道を朝と同じ歩調で戻っていく。
階段を登り玄関を開けると朝とは打って変わった静けさだった、まるで何年も誰も住んでいないかのような。
小さな保険会社の事務をしている母はいつも僕より2、3時間は遅くに帰ってくる。
母が帰ってくるまで夕飯を待つ事あるが今日は早く済ませて自室に篭りたい気分だった。
真っ黒な冷蔵庫の冷凍室から冷凍のピラフを取り出し、それを電子レンジで温める間に冷凍室の上の観音開きの冷蔵室からピッチャーに入った水出し緑茶を取り出してコップに注ぐ。
電子レンジの音と同時に扉を開けてピラフを袋から皿にあけ、食器棚の引き戸からスプーンを取り出しそれらをダイニングテーブルへと運ぶ。
テレビは点けずにラジコのタイムフリー機能でお笑いコンビがパーソナリティを務める長寿番組を聴きながらピラフを黙々と口に運ぶ。
ラジオのコーナーを聞きながらぼんやりと今日という日を追憶する。
授業の内容、同級生の会話。
数時間前のことが風化しきった幼少の頃の何でもないエピソードの一風景の様にしか頭に浮かんでこない。
ふと顔を上げ部屋を見渡す。
虚空を映したテレビのモニターに、ふと今朝の夢の映像が浮かぶ。
映像といってもそれは化粧品CMのタレントのように嫌ったらしいほど明瞭なものではなく、暗闇の靄の奥に薄く見える様なものだ。
何かの空間の中を、何かの概念が前へと進んでいた、ゆっくりと。
忘れていたいつかの記憶か。だがその予想には自分の直感的な部分は煮え切らずにいた。
食事を終えるとシンクで皿とスプーンをさっと洗い、コップにお茶を注ぎ足して置いておき簡単にシャワーを済ませる。
綿とポリエステルの混紡生地の開襟パジャマを着て、髪をタオルで拭いながらシンクに置いたコップを持って自室へ戻る。
ベッドで半刻ほどミステリ小説を読む。
第一の殺人が起きそうなところで本を閉じ軽くストレッチをして布団に潜り込む。
仰向けになり目を閉じる。呼吸に集中する、肉体を感じる。そうしているうちに意識は薄れていく。
そしてまたあの映像が浮かび上がる。
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