松上左京の奇妙な事件回顧録
真偽ゆらり
抑止力と呼ばれた少女
あれは四十年近く前。私が刑事となって何件かの事件をこなし、刑事の仕事にも慣れてきた頃の事。
当時、私の教育係兼上司だった女刑事『
現代ほど科学捜査技術が発展していなかった為、自分達の足で情報を集め事件の真相を追いかける。
神隠しにあった子が最後に目撃された場所で目星いものを探すと共通して人の足跡とは思えない奇妙な足跡らしい痕跡があった。
身代金を要求する電話が無く、子供の靴跡と獣が二足歩行でもしたかのような足跡が残されているのが誘拐ではなく神隠しと騒がれる所以。
事件地域の伝承にも神隠しの逸話があるのもそう騒がれる一つ要因だろう。
手掛かりになるかと伝承を調べてみると、どうもおかしい。伝承に出てくる生物は獣というより蟲。
捜査は振り出しに戻ると思いきや、地神刑事が神隠しの目撃者がいるとの情報を入手。
早速話を聞きに行くが、目撃者は酷く怯えた様子で話を聞いても要領を得ない。
地神刑事が精神分析を用いて目撃者から得られた情報は
・犬らしい頭を持つ二足歩行生物
・背丈は大人の肩に届かない程度
・鋭い牙と鉤爪を持つ
・暗闇で光る赤い目をしている
・子供はぼんやりとした様子でついていく
と、俄には信じがたいものだった。
「松上、念の為これを着込んでおけ」
「これは防刃ベスト……ですか? 地神さんは彼の証言を信じるんですか」
「松上。お前は刑事になって日が浅い。刑事を長くやっていれば時として己の常識を疑うような事件に遭遇する事もある。このヤマは下手したらその類の事件かもしれん。もし、そうなった場合に備え用心するに越した事はない」
「分かりました」
用心の為にその他装備を整え、事件について地神刑事と情報を整理していると新たな神隠し事件発生の知らせが入った。
今回は子供が逃げようとした形跡と少量の血痕が発見され、血痕の乾き具合から事件発生からあまり時間が経っていないのが分かる。
焦る気持ちを抑えつつ、現場に目星い点や不審な所がないか調べていく。
子供の足跡が途中からなくなり獣らしき足跡だけが残っている。子供を担いで移動したか。
しかし、獣らしき足跡もこれまでの事件と同様に突然途切れていて追跡が叶わない。
「くっ!」
悔しさから地面を叩いた。
ふと目に入る地面に違和感を抱く。
地面が綺麗に均され過ぎていやしないか。
「……!? これは、まさか!」
「どうした松上、何か見つけたのか」
均されていない所まで移動すると車で走り去ったであろう痕跡を発見する。
それからは早かった。
犯人はこの地域住人が乗っていない車種を使っていた為だ。
早速、犯人の車が出入りしている製薬工場に乗り込もうとして地神刑事から待ったがかかる。
「どうして止めるのですか! 子供は怪我を負っているんですよ!?」
「松上、行くなとは言ってない。待て、と言った。
私が予期していた類だとするならば二人では危険かもしれない。私の呼んだ協力者が来るまで待て」
時待たずして
「彼が協力者……ですか?」
「そうだ。人命さえかかっていなければ立場上は仲良くしたくない連中だ」
「そりゃこっちの台詞ですぜ、姐さん。俺達のシマで子供を狙うなんて、例え堅気であろうと許しちゃおけねぇ。面子にかけてな!」
「地神さん、彼の様な勢力と交友を深めるのは警察として問題がある気が……」
「松上、私の勘が正ければこの事件は公にできない類の事件だ。不祥事の隠蔽とは違った理由でな」
いくつか言いたい事があったが、時間が惜しい。
彼女への追求は後回しにして三人で製薬工場へと急行する。
車を降り工場の受付へ向かう途中。トラックが目の前を通り過ぎ、荷台から物音が聞こえた。
「どうした?」
「いえ、今のトラックが気になりまして……」
結果から言えば、製薬工場は黒だった。
所長を問い詰めたところ、件の獣に襲われたので撃退。その際に気絶した所長は放置して、工場内を調べるが子供が見当たらない。
所長室へ戻ると奇妙な事に獣の姿が消え、床に黒い染みを作っていた。
「安心しろ、松上。あの獣は死ぬと溶けるんだ。それより見ろ、子供達は山奥の研究所へ運ばれるらしい。……これも、持っていくか」
資料と黒い本を手に工場を出て、車に乗り込む。協力者の男に運転を任せ、所長室で得た資料に目を通す。車は市街地を抜け山奥へと進んでいく。
資料に目を通し終わり、黒い本を手に取ると地神刑事から止められた。
「やめとけ、正気が削られるぞ」
研究所へと到着。
研究所内は人気がなく、誰にも見つかる事なく資料室らしき場所へ移動できた。
研究所の見取り図でもないかと探していると部屋の奥に保管庫と書かれた扉を見つける。
「なっ、これは……」
扉の向こう側にあったのは筒状のガラス容器に浮かぶ、目玉と脳味噌。それも大きさからして子供の脳だ。容器の数は神隠しの被害者と同数はあり、八割以上に中身がある。
そして、浮かぶ全ての目玉と目が合った。
昏い瞳の奥に浮かぶ虚無を幻視して、強烈な吐き気に胃の内容物を床にぶちまける。
非合法と言うには生温い、非人道的で冒涜的な研究が此処では行われていた。
この子達を助ける方法は無い。
せめて、まだ無事な子だけでも……。
だが待ち受けていたのは、そんな希望を打ち砕く血塗られた儀式だった。
一目見て数人分の致死量だと分かる量の血で描かれた幾何学模様。各図形の頂点には臓物が配置され、羽の生えた甲殻類らしき生物と蟲の特徴を持った人型生物が酷く耳障りな声で呪文を唱えている。
あれは止めなくてはならない。
理性も本能も同じ警鐘を鳴らす。
悍ましき儀式を止めるべく三人で突撃。
此方に気付いた人外生物の一部が応戦する。
傷を負いながらも一匹、二匹と敵の数を減らしていくが儀式は止められない。
部屋の奥——生贄の祭壇に貫頭衣を着た少女が眠っているのが見える。せめてあの子だけでも。
無情にも儀式は終了し、人外生物達が崇める『外なる神』が降臨する。道中車内で読んだ資料が確かなら、人類に未来は無い。
部屋の天井付近の空間が歪み、名状し難き無数の目玉を持つ触手が這い出て歪みを広げる。
歪みから溢れ出た不定形の体に浮かぶ巨大な眼がこちらを向いた、次の瞬間——
「危ねえ!」
——私を突き飛ばし庇った協力者の胸を昏い光が貫く。一目で致命傷だと分かる。
「……どうして」
「はっ……俺みたいなクズよりも、お前が生きてる方が世の為……だろ? 後は任せた……ぜ……」
もう助からない。そう分かっているはずなのに、傷口を押さえて彼の救命を試みている。
すると再び突き飛ばされた。
「松上、助けられた命を無駄にするな! そいつの事を想うなら生き延びろ!」
そう言う地神刑事の右腕は肘から先が無かった。斬り飛ばされた腕が宙に舞っている。
私はまた助けられたのだ。
「生贄の少女をヤツに喰わせるな! そうすれば、時間が稼げる。その間に黒本の呪文を試す!」
その言葉に全力で少女の元へ駆ける。
だがこのままでは間に合わない。そう思った時、走る私の横を何かが通り過ぎた。
「ろけっとぱーんち……ってな。行け松上!」
千切れた腕が投げつけられた事で外なる神の気が逸れる。
間に合った。
貫頭衣の少女を抱き抱え距離を取るが、外なる神の放つ昏い光線が足を掠め転倒してしまう。
地神刑事の呪文はまだ唱え終わってない。
「あら〜」
その声は胸の方からする。
抱えていた生贄の少女が目を覚ました。
その次の瞬間、外なる神を崇め蹲っていた人外達が動き出す。神の盾となる様に。
少女は私の腕から抜け出し、外なる神の方へ歩いていく。
外なる神は少女目掛け光線を放つ。
しかし、光線は少女の手に弾かれ壁に当たる。
そのまま歩みを進める少女は立ち塞がる人外生物の甲殻を素手で砕き、足を掴み武器代わりにして振り回す。
人外生物達は一瞬で全滅していた。
続けて外なる神の触手を引き千切っては不定形の胴体へ叩きつけるのを繰り返す。
触手がなくなれば、殴る蹴るの暴行。
もはや外なる神が虐められている様にしか見えなかった。外なる神が空間の歪みへ逃げようとするも少女に掴まれ床に何度も叩きつけられている。
「あの……もう、よろしいのでは?」
少女の手が止まり、外なる神は目を潤ませながら空間の歪みへと逃げ去っていった。
少女は虚空を見つめたまま動かない。
話しかけると反応はするが、返事は「あら〜」としか返ってこなかった。
地神刑事の応急手当てを済ませ彼女に少女の手を引いてもらい、私は協力者の遺体を担ぎ研究所を脱出する。
「松上。私、刑事辞めて田舎に帰るわ」
「え!?」
「んで、この子の面倒をみる。私、子供ができない身体だし子供欲しかったから丁度いいわ。この腕で刑事続けるのも難しいしな」
「そう……ですか寂しくなります」
「この子の新しい名前も決めた! 『
今回助けられなかった子達の分までこの子には幸せになって欲しいから」
私達が車を出すと同時に研究所は崩壊した。
おそらく戦闘の余波だろう。
帰り道、私は資料の一文を思い出す。
『外なる神は抑止力となる存在を喰らい完全にこの地へと降臨する』
抑止力とは核ではなく、この少女の事らしい。
単体で神に対する抑止力となる少女。
その出自は一切不明。
その後、少女は地神梓に引き取られた以上の記録は無い事になっている。
だが、この事件の当事者である私は彼女のその後を知っている。
彼女は大人になり幸せな家庭を築いていた。
2020年3月下旬
大人になった『抑止力の少女』は私達の世界から完全に消息を絶った。
あなた達の世界に彼女、お邪魔してませんか?
松上左京の奇妙な事件回顧録 真偽ゆらり @Silvanote
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます