幽霊砦の秘密の箱

汐凪 霖 (しおなぎ ながめ)

おつかいは肝試し

「やだやだやだ、こっち来ないでぇえええ!」


 魔力探知灯の青白い光が照らす石造りの壁が余計に不気味で切迫感をあおる中、すぐ背後に迫った禍々まがまがしい気配の濃い敵意に、マリシュカは悲鳴を上げた。叫んでいる余裕などないのだが、この暗く古い、廃棄されて久しい荒れ果てた砦でたった一人、邪悪な幽霊に追われていると、無言で走るのさえ恐怖を掻き立てる。また後ろから聞こえる金属音が、めちゃくちゃ怖い。ちゃりんちゃりんと、ぶつかる音。

「もう、もう、やだぁああ‼︎」

 背後の黒く渦巻く粘ったタールのような姿をした怨霊に追いつかれないため魔力を両脚にまとわせて、ぼろぼろに朽ちた床張りの布に躓くことのないよう、浮力も足した。石を叩く足音が消える。飛び降りるように階段を降り続け、途切れたところで廊下を駆け、何も考えずに目の前に現れた扉に飛びつき、中に入ると同時に閉めて、思いきり叫んだ。

施錠ザーロゥっ!」

 扉も含んだ壁、天井、床面が黄色味の強い緑の光を放ち、保護結界が完成する。ようやく深呼吸し、思わず座りこんでしまった。



 さかのぼること、半日前。

「おつかいですか、お師匠さま」

 マリシュカの明るい声が響いて、ゲルトルードは眉をひそめる。しかし、とくに何も注意はしない。マリシュカに落ち度はないのだから。

「そう。オルバーンから依頼されてね。だが、まずは、品を取りに行かないと」

「どちらですか?」

「シランコザーシュ砦」

「へっ?」

 橄欖石色ペリドットグリーンの瞳が零れ落ちそうなほど見開かれ、頬から血の気が引いた。

「はわわわわぁっ!!」

五月蝿うるさいマリシュカ。頭に響く」

 空が暗くなったので、マリシュカは両手で自分の口を塞いだ。まずい。悪天候は、まずい。この魔女の機嫌が最悪になると、天気も荒れるのだ。

 白銀の長い髪をだらしなく床に流した美貌の魔女が、お気に入りの長椅子の上で身動みじろいだ。

「私が行っても良いのだが、タイミングが悪くてな」

 いや、それを言うと、タイミングの良いときなど、月に数日あるかないかではないだろうか。

 マリシュカは、ちらりと考えたものの、口にはしなかった。余計に叱られることはない。

 ──我が肉体に流るるは豊潤に薫る紅き葡萄酒なり。

 どこかの麗しい貴婦人が残したという名言を、彼女は臆面もなく口にする。長い付き合いらしいオルバーンも、苦笑いしながら「これはもう不治の病だから」と言ってはばからない。ゆえに、この魔女は、ほぼいつもほろ酔いでいる。おかげでマリシュカの実習は全く捗らない。


「砦の どこにあるんですか」

「さあて……地下だったか、三階の隊長の執務室だったか、一階の図書室だったか……」

 アクアオーラの瞳を眇めて考えこむ師を見つめて、マリシュカは溜息をついた。

 最上階が一番、楽だ。魔法で飛んでいって、飛び込めばいい。

 地下が一番、嫌だ。怖い。

「はわぁ……なんで置いて来ちゃったんですかぁあ」

「仕方なかろう。執着された。亡霊の欲求は面倒だからな。浄化するまで放っておくのが最善だ」

 常識だ、と呟き、師はグラスを傾ける。赤紫の液体を飲み下す白い喉が動くのを、恨めしげに弟子は見つめた。

「まあ、さすがに浄化しているだろう。私が住んでいたときも、あれは既に数百年以上を過ごしていた。もう自我が揺らぎきっていて、浅ましい欲求しか残っていなかったのだから」

 その言葉を信じて、いやいや砦に来たものの。



「お師匠さまの嘘つきぃぃぃぃっ‼︎」

 シランコザーシュ砦の地上三階。マリシュカは幽霊に見つかって追いかけられ、逃げ回った。

 この砦が放棄された理由。

 はるか昔。王族の若い武人が、この砦に遣わされた。国境を守る隊の、隊長に任じられて。しかし、この武人は強欲と暴虐の権化で、付近の村や街を守るどころか略奪し、あろうことか近隣の貴族の城塞じょうさいでも無体を働いた。宝石と美女に執着し、逆らう者は皆殺し。追従する者だけを優遇して、やりたい放題の生活。大勢を死なせ、苦しませ、そして憎まれた。

 砦にいた国境警備隊の兵が任務に専念できるように派遣されていた事務官を筆頭に、数人の協力者たち。彼らが計略を巡らせ、武人と取り巻きの兵たちを毒殺したのだという。

 しかし、どれほど罪深くとも、王族は王族。

 手を下した事務官たちは処刑された。

 そうした犠牲を経て訪れた平和のはずだったが。

 以降、砦で変死が続出した。

 新しい隊長も、事務官も、兵士たちも、掃除婦も、料理人も、分け隔てなく。一人きりになった、わずかな時間に倒れて死んでいるのが発見された。死顔は恐怖に歪み、この世のものとは思えない断末魔の叫びを放ちながら息絶えていた。何か恐ろしいものを見たように。

「こんなとこ住んでたなんて、嘘でしょ、お師匠さまぁあ」

 砦から人々が去った後に滞在して問題の解決を図ったとのことだったが、結局、亡霊の凄まじさに放置するしかないと匙を投げたのだという。あの、人知を超えた魔力を操る、偉大なる魔女でさえ。

「うう、どうしよう。どうにも出来る気がしない……」

 項垂れつつ、無事に逃げる方法を考える。


 少し落ちついたので顔を上げて部屋を見渡した。どうやら、リネン室のようだ。棚の中に、かつてはシーツや枕だったらしい残骸が残っている。洗濯に使う大きなたらいや洗濯板、竿上さおあぼう、洗濯挟みが埃だらけで散らばっていた。アイロンをかける台。収納棚。衣類掛け。ハンガー。

「ん?」

 アイロン台の端に、箱がある。

 薄暗い空間をマリシュカが歩くと、魔力探知灯がついてくる。その、青白い光の中に浮かび上がった箱は、まさしく師に回収してくるようにと言いつけられたものだった。鹿の角と百合の花の浮き彫りがされた、木製の箱。

「とりあえず見つけたけど」

 鍵が掛かっていて開かないそれを、マリシュカはマントの内ポケットに収め、ボタンで落ちないように留めた。

「どうしようかな……こんなに邪念が渦巻いてると、魔力が乱反射して、とてもじゃないけど時空跳躍できないだろうし……」

 部屋の外に魔力を飛ばして様子をみようかと思ったが、下手に怨霊を刺激するのも宜しくない。


「……われ、光と闇に命ず。閉ざされし場にこごる怨みと嘆きの正体を示せ、そして、が道を開け」

 祈りとともに呪文を紡ぐ。マリシュカの魔力の光がアイロン台の上に集まった。その中から、座っている少女の姿が現れる。

「──えっ……と……ありがとう、フィーニ、ソティエ」

 神々の名を呟いて礼を述べる。

 少女が両眼を開いた。色の見えない、瞳。全体的に白い光の姿には、生身なまみの色がない。

「幽霊?」

「はい」

「はわっ!」

 返事をした幽霊に、マリシュカは飛び退すさる。しかし、それでも光と闇の神たちが応えた結果だ。恐ろしさは感じない。ただ、ただ、驚きが勝つ。

「あの……私を助けてくださって……ありがとうございます」

 少女の霊は丁寧に頭を下げた。

「助けた?」

「はい。この場所に澱んだ、数多くの痛みと悲しみの渦に巻かれて、ずっと天に昇れずにいたんです。父の罪とともに」

 少女の表情に切なげな微笑が表れる。

「父の罪って、あの、王族の?」

 しかし、彼女は首を横に振った。

「いいえ。父は彼を殺した事務官です。王族殺しの首謀者。そして、ここに囚われている魂」

「えっ、あのタールの塊? あれって、殺された王族の怨霊じゃないの?」

「違います。あれは、仲間の悲嘆を纏わせて、私を探している父。王族の魂は既に自己を保てずに浄化しています。きっと地獄に堕ちたでしょう」


 少女は経緯いきさつを語った。

 事務官の娘である彼女は、この部屋で洗濯をする係だった。15歳になった日に王族に目をつけられ、彼の虜囚となり家族から引き離された。すぐに慰み者にされた挙句、殺されて捨てられたが、家族には何も知らされなかった。義憤に個人的な怒気も加わり事務官は王族をしいしたのだったが、牢から救われた女性たちのなかに、当然ながら彼女の姿はなく、最期を知る者は全員が毒で死んでいたので、結局、誰にも何も知られないまま時が過ぎてしまった。

「ひどい……」

「父の嘆きは深く、処刑されても、ずっと浄化されることなく私のことを探していました。けれど、私の姿は父には見えない。私は、あまりにも多くの傷ついた心に沈んでしまっていたから。そして、そこに溶けてしまっていた。あなたが魔法で助け出してくれるまで」

「どうすればいいの?」

「今なら父にも私が見えます。私が捨てられた場所に父を連れて行けば、私たちは浄化される。結界を消してくれますか」

「わかったわ」

 覚悟を決め、マリシュカは魔力を操って保護結界を解除した。それから廊下に顔を出し、かどの向こうから怨霊が現れたのを確認する。金属音。事務官の持つ鍵束だ。ちゃりんと鳴る音が哀しく響く。

「お父さん」

 うごめいていたタールが凍りついたように動きを止める。

 少女の姿が強く輝いた。

「お父さん、私は、ここよ」

 ふわり、と浮き上がった少女が光のたまになり、蛍のように飛んでいく。その姿を追って、怨霊も動き出した。マリシュカには目もくれず。

 ふわふわと、光は砦の裏庭に出て行った。

 雑草の生い茂るなかを進み、枯れ井戸の中に飛び込む。

「こんなところに……!」

 マリシュカは歯を食いしばる。

 もう、はるか昔のこと。

 なにも出来ない。助けられはしない。

 燃え上がるような痛憤と哀憐が、身体中で暴れそうだった。

 タールが飛び上がって、井戸に身を投げる。その全身が井戸の底に叩きつけられた瞬間。

 黄金色の光の柱が立った。

「お師匠さま⁉︎」

 空の上に、片足を組んで座った姿勢のゲルトルードが浮いている。

 白銀の髪を夜風になびかせ、隻腕で顎を支えて。

「やれやれ。遅いと思って来てみれば。すまなかったね、マリシュカ」

「いいえ……天に送る祝福の魔法ですね……ありがとうございます」

「──おいで、マリ。帰るよ」

「はい」

 浮き上がり、優しい胸に顔を伏せる。滅多になく甘やかしてくれる師の体温をマリシュカは感じて目を閉じた。そして祈った。気の毒な人々の魂の、永久とわの安寧を。

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幽霊砦の秘密の箱 汐凪 霖 (しおなぎ ながめ) @Akiko-Albinoni

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