金の娘とまれびとの王

お話の始まり

 むかしむかし、〈壁〉ができるよりもっと昔のこと。ここからずっと離れた、遠い国のお話です。


 砂漠の国の外れの小さな里に、娘がひとりぼっちで住んでおりました。里の人々は、早くに家族を亡くした彼女を、不吉な子供として忌み嫌いました。娘はいつもひとりでした。ひとりぼっちの娘は、死んだひいおばあさんから聞いた御伽噺を思い返すのがいっとう好きでした。世界を飲み込むほどの水溜まり、天を灼く火の山、月の光を紡ぐ偉大な魔女、青い宝石の目をもつ化け物。一つ一つを思い返すたび、いつかこの目で見てみたいと娘は思うのでした。

 その日も、娘は御伽噺に耽りながらひとりで羊の世話をしておりました。すると、向こうに何かちかちかと光るものが見えます。駆け寄って、娘はたいそう驚きました。男がひとり、ひどい怪我をして倒れていたのです。よく見ると、男の足首には銀の鎖が嵌められています。それは罪人の証でした。しかし、男を見捨てることはできません。娘はなんとか男を小屋まで運びました。そして粗末な寝台に男を乗せると、寝ずに男の傷を洗い、呪を唱えました。ごくゆっくりと、傷が薄皮で覆われてゆきます。それでも男はまだ悪夢にうなされているようでした。

 看病の甲斐あって、男は目を覚ましました。その瞳は、まるでひいおばあさんの話に出てきた怪物のそれのように青く、星屑を抱いているかのように輝いておりました。なんと美しいのだろう、と娘は思わず息を漏らしました。しかし、目を開けた男は、娘を一瞥するやいなや、恐れと憎しみとに顔を引きつらせました。「寄るな」娘は驚き、身を硬くしました。男は罵ります。「まだ生き残っていたのか、汚らわしい魔の民め。私を捕まえて何を企んでいる」あまりの剣幕に娘が震えていると、男は外へ飛び出していってしまいました。

 夜の帳が下りました。月は煌々と照り輝いています。男が戻ってくる気配はありませんでした。すっかり腫れた目をこすって、娘は立ち上がりました。男の傷はまだ完全に塞がってはおりません。きっと今頃どこかで苦しんでいるに違いない、と娘は籠いっぱいに薬草を詰めて家を出ました。冷たい夜風に乗って、かすかにうめき声が聞こえた気がします。声の方へ娘は駆けてゆきました。

 声は岩屋の奥から聞こえておりました。娘は壁伝いに奥へ奥へと進みました。悲しい光に見えたのは、見開かれた男の瞳でした。娘は再び開いた傷に薬を塗り、布を巻きました。「なぜ私を助ける」男の問いに、娘は困ったような顔をするだけでした。男はもう何も言わず、じっと娘の横顔を眺めていました。

 小屋に戻ると、娘はずっと聞きたかったことを口にしました。「あなたはどこからやって来たの」男は天井を見つめたまま答えました。「この砂漠の向こうだ」銀の鎖がちゃりりと冷たい音を立てました。

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金の娘とまれびとの王 @suki_toru

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