見えぬものこそ

lager

お題「ホラー」or「ミステリー」

 古い家だった。

 頭上の遥か高くまで太い柱が伸び、黒々とした梁が屋根を支えている。

 壁の漆喰は黄ばみ、ところどころにシミを作っていた。

 艶々と照る柱の木目と合わさって、なにか奇妙な象形を為しているようにも見える。


 緩やかに湯気が立ち上っている。

 今にも瓦解しそうな古ぼけた石油ストーブの上に薬缶が乗せられ、湯が沸かされているのである。

 くすんだ窓ガラスに遮られた外の世界は、ただただ深い闇である。

 時折ひょうひょうと風が吹いては、どこぞに開いた家の隙間から、氷のような空気を中に呼び込んでいた。


「ねえ、いい加減白状してよ」


 所々に傷の目立つ炬燵の天板に顎を乗せ、僕の向かいに座る一葉かずはが、ドスの利いた声で三方を睨んだ。

 その女性らしからぬ恐ろしい声と裏腹に、彼女の顔色は悪い。


「だから、俺じゃねえって」

 そう言い返したのは、僕から見て右、一葉から見て左に座るおさむだった。

 不快そうに吐き捨てるセリフも、どこか空々しい。


「ねえ、もうよくない? やめようよ、こういうの」

 その向かい、炬燵の残りの一辺に潜っているのは、晶子あきこだ。

 彼女はもう不安と恐怖を隠しもせず、眉根は下がり切っている。


「ねえ、あんたはどう思うのよ、安吾あんご

 僕を名指しする一葉の瞳は、先ほどよりも剣呑さを増している。

 僕は口ごもり、曖昧な言葉と共に、取り合えず状況を整理しよう、とだけ提案してみた。


 話の概略はこうだ。

 僕たち四人はいとこ同士である。

 三年前に祖父が、昨年に祖母が亡くなり、誰も継ぐ者がいなくなったこの古民家を、僕の両親が相続した。僕は大学卒業と同時に親元を離れていたのだけど、今年の年末年始は両親が海外旅行に行くことになり、僕は留守番を仰せつかったのだ。

 話を聞いた三人はここぞとばかりにこの家に泊まることを決めた。まあ、僕の方にも否やはなかった。今年は歳も近く、気心の知れたいとこ同士で年越しをしようと、そういうことになったのである。


 昼に一通り家の掃除を済ませたのは、僕と治だった。

 夕方ごろになって大量の酒瓶とともに一葉が現れ、その少し後に晶子が合流した。

 夕飯の支度は女子二人に任せ、僕と治はレトロなテレビゲームで時間を潰した。

 そして夕食後、炬燵を囲んで麻雀でも、と言い出したところで、一葉がその異変に気付いたのだ。


「ねえ、ここに置いておいた私の大福、知らない?」


 晶子が地元の有名な和菓子屋で買ってきた大福は、五個入りだった。

 余りの一つを誰が手にするかで僕たちは揉めに揉め、醜く空しい争いの末に一葉がその権利を手にしたのだ。食後の楽しみに取っておき、箪笥の上に置いておいたというその大福が、いつの間にかなくなっているのだという。


「あんたたち、まさか食べちゃったんじゃないでしょうね」

「知らねえよ」

「そんなことしないよ」

 俄かにぴりりとした空気が走る。


「安吾。あんたずっとここにいたでしょ」

 僕以外の三人は、さきほど僕の父が手作りしたレンガ作りの竈を見に、外に出ていたのだ。

 ただ、僕もその間にトイレに行ったり、台所の茶棚を物色したりしていて、居間には誰もいない時間が確かにあった。


「お前な、酒のつまみに食っちまったの忘れちったんじゃねえの?」

「そんなに酔ってないわよ」

「カズちゃん、お酒のつまみはしょっぱいものって決めてるしね」


 外から戻った三人は冷えた体を摩りつつ、いそいそと炬燵に潜り込んだ。

 僕を見る三人の目は不審げだった。

 まあ、この状況なら疑われて当然だろうが、僕は必死に弁明し、無実を訴えた。

 大福は、見たような気もするし、もうだいぶ前からなくなっていたような気もする。覚えがないのだ。みんなだってそうだろう。


「まあ、確かに……」

「私も意識してなかったからなぁ」

「なによ、みんなして。私は覚えてるわよ、こ・こ・に。確かに置いといたの!」


 その時。

 がたり。

 と、廊下の向こうで、何かが動く音がした。


 全員の肩がびくりと震える。

「い、今の、何の音?」

「風で外の何かが倒れたんじゃねえの?」

「でも、家の中から聞こえなかった?」

 僕は廊下に出て様子を窺ったが、長い廊下には深々と闇が降り、何も見通せない。

 電灯を点ける手は少し躊躇われた。それでも意を決してスイッチを押してみたが、黄色の電球に照らされたそこには、何の異変もあるようには見えなかった。


 何もいなかったよ、と僕が言うと、炬燵に入ったままの晶子が不気味そうに見上げてきた。

「何かいたら困るよ」

「安吾。一応聞くけど、この家にいるの、俺らだけだよな」


 当然だ、と答える僕の声が、自分でも小さく震えているのが分かった。

 大の大人四人が何をそんなに怯えているかと思うかもしれないが、この家はとにかく広いのだ。廊下は長く伸び、部屋は多い。至る所に戸があって、思わぬ深さの押入れがぽっかりと口を開けている場所もある。

 僕だって子供の頃遊びに来ていた時は、この家の全貌など全く把握できていなかった。


 幼い頃に、同じように四人で集まって家の中を探検し、祖父にこっぴどく怒られた記憶が俄かに蘇ってきた。

『向こうの納屋には行っちゃあなんねえゆうたろうが』

 普段は温厚な祖父の、鬼のように恐ろしい声が、腹の奥から聞こえてきた気がした。


 それと同時に、僕は思い出した。

 昨年、この平和な田舎町で起きた凄惨な事件を。


 二つ隣の家で飼っていた鶏が、なにものかによって食い殺されたのだ。

 ここ数年、野犬などというものは目撃されておらず、山から下りてくる動物と言えばタヌキやテン、ハクビシンなどだ。五羽もの鶏を襲うことなど考えられないし、クマなどが現れたのであれば、逆にこの程度の被害で済むはずもない。

 

『おじゃみ』が出た。

 ひそひそと、ぼそぼそと、そんな噂が村の人々の口の端に上るようになった。

 おじゃみだ、おじゃみが出たぞ。


 それは、この土地に古くから伝わる鬼子の怪異。

 その昔、一人の女が生んだ赤子には、生まれながらにぎらりとした犬歯が生えていたのだという。その赤子は不吉の象徴とされ、周りの大人たちによって殺された。

 しかし、産着にくるんだまま殺害し、放り棄てたはずのその赤子の死体が、翌日には消えていたのだ。

 そして、その夜から、村で飼っていた犬がなにものかにはらわたを食い荒らされ、殺されるようになった。ある晩、犬の悲鳴を聞きつけた飼い主が小屋に駆けつけると、血に塗れた産着の塊が、地面を這いながら夜闇の中に消えていくのが見えたのだという。

 柔らかな布地は、こんもりとした厚みをもって、その中身を覆い隠していた。

 それはまるで、お手玉おじゃみのように……。



「ちょっと! なんで急にそんな話すんの!?!?」

「ひどいよ、安吾くん!!」

 女子二人が僕に詰め寄る。

 ごめん、ごめん、と僕は平謝りし、二人を宥めた。


「なあ、そういやよう。俺らが子供の時、じいさんが納屋にだけは絶対に入るな、って、すごい怖い顔して言ってたよな。ここの納屋って、何が入ってんだ?」

 そして、この期に及んで余計なことを口にした治に、射殺しそうな視線が投げつけられる。

 僕も気になって見に行ったことがあるのだが、特段変わったものは置いていなかった。おそらく、農作業用の刃物の類があるから子供たちを近づけさせたくなかったのではないか、という僕の説明に、三人は取り合えずといった様子で頷いた。

 

 うん。よく分からないお札が扉の裏に張ってあったことは黙ってたほうがよさそうだ。


 がたり。

 今度は、居間のすぐ近くから音がした。


「お、おい。今の聞こえたか」

「聞こえてない。聞こえてない聞こえてない」

「ちょっと、やだ。嘘でしょ」

 一葉と晶子が肩を寄せて抱き合った。

 炬燵から足を抜いた治が中腰に構える。


 僕は、手に孫の手を握り、ゆっくりと音の聞こえた襖に近づいた。


「え。待って安吾。開けるの? 待って、開けるの?」

「やだやだやだ。ちょっと、やだよ」

「落ち着けお前ら。大丈夫だって!」

 

 そろり。

 そろりと、僕の靴下が木の床を滑る。

 脇の下が、じっとりと冷たい汗に濡れているのが分かる。

 僕は再び意を決して、襖に手をかけた。


 そして。


「なー♪」


 猫が入ってきた。


「「「………………え??」」」


 固まった僕たちを見上げると、その真っ白な猫はもう一度鳴き声を上げ、勝手知ったるとばかりにスタスタと炬燵に近づいてきた。


「え? え? 猫ちゃん? なに、この子?」

「え? 安吾くん。この家いつの間に猫なんか飼うようになったの?」


 あー。

 違うんだ。こいつ、お隣さんちの猫。

 いつも来るわけじゃないんだけど、たまにこうやってどこからか入り込んでくるんだ。


「んだよもー。びっくりさせんなよー。うりうり」

 治がどっと疲れた顔で、猫の顎を撫で摩る。

「へえ。随分懐っこいんだねぇ」

 ついで晶子もその毛並みを堪能するように首元をかいてやると、流石に鬱陶しそうな顔をした猫は、するりと二人の腕を掻い潜り、鼻をくんくんとさせながら炬燵布団の上を歩き回った。


 そして、僕が立ち上がったことで空席となっていた炬燵の一辺に辿り着くと、なにやら一つの場所をぺろぺろと舐め始めた。


 あ。

 それはまずい。


「んー? なに舐めてるの?」

 晶子がそれに気づき、猫の口元を注視する。

 そこには、真白い粉がこすり付けられた跡が残っており、猫はその粉を舐めとっているのだ。


「…………ん?」

「なに、どしたの」

「ねえ、これ……」


 三人の視線が、僕に向いた。


 うん。

 まあ。

 そうね。


 さっき三人が席を外した隙に僕がこっそり大福を食べて、意外と早くみんなが戻ってきたものだから、慌てて手に着いた粉を拭いた跡だよね。


 怪談話をしてうやむやにしようと思ったんだけど、なかなか上手くはいかないなぁ。

 ははは。


 部屋の温度が一気に下がった。

 僕は踵を返して廊下へと駆け出し、その背中へ、一葉のドロップキックが突き刺さった。

 正面から廊下に倒れ込んだ僕の背に晶子がまたがり、キャメルクラッチを食らわせる。 

 そのまま三人から袋叩きにされた僕は、傷だらけの体で新年を迎えることとなってしまったのだった。


 とほほ。

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