逆恨み(KOC参加「ホラー・ミステリー」)

桜木武士

第1話

高校二年生の後半、肌寒い季節に春が近づいて来る頃。梅野は幸せの真っ只中にいた。


というのも、兼ねてから想いを寄せていたクラスの女子・松島への告白が成功し、晴れて付き合うことになったからだ。


きっかけは恋愛成就の大木だった。その木に相手の写真をにして、誰にも見られずに押しピンで留めると、恋が叶うというもの。


深夜の学校に忍び込み、危うく当直の教師にばれそうになったことを思い出す。

あの時は、咄嗟に近くに隠れて事なきを得た。


「これはもともと恋愛成就の木なんかじゃないんだ、けしからん…」歳を取った教師は木を見て、何やらぶつぶつ言っていた。


確かに教師の言う通り、こんなのはどこにでもある迷信だろう。しかし結果叶ったのだから、迷信さまさまだ。



ただ一つだけ、梅野には、申し訳ないと思っていることもあった。

親友の竹田のことだ。

竹田は、梅野の交際相手である松島と幼馴染で、以前から仲が良かった。梅野はそこに割り込む形で、二人と仲良くなったのだ。


かと言って、抜け駆けを認めて謝るつもりにもなれなかった。表面上は、今まで通りの親友として、付き合うほかなかった。


学校帰りにしてもそうだ。松島と付き合うことになってからも、帰りは竹田と帰ることにしていた。

勿論、部活終わりの時間などの理由はあったが、やはり一番の理由は、竹田に対する後ろめたさからだった。



今日も、竹田の部活終わりを待って靴箱に立つ。

すると吹き抜けの向こうの中庭で、竹田が例の大木の方を向いて、じっと立っているのが見えた。なにやら木に触れ、手を動かしているのも見えるが、如何せん遠くて何をしているのか見えづらい。


深く考えもせず、梅野は中庭の方へ足を向けた。

「竹田?どうした、帰ろうぜ」そう声をかけようとして、梅野は思わずぎょっとした。

竹田の形相が、怒りとも悲しみともつかない、しかし苦しみに満ちたものに見えたからだ。

しかしすぐに梅野に気がついた竹田の表情は、何事もなかったかのようにぱっと戻る。

「お前も部活終わったのか、梅野」

「…おう」なんとも言えない沈黙が、二人の間に流れる。


「と言うか、いい加減、彼女と帰れよ」

「そういうわけには行かないだろ、俺とお前が友達なのは変わんねーんだし」

「そっか、ありがとな」


「……そういうのが許せねぇんだよ」

「え?」

小さく発された竹田の言葉を、よく聞き取ることはできなかった。

ただ、許せない、と。辛うじて耳に届いたその響きが、しばらく梅野の耳から離れなかった。



しかしそれらの違和感は、次に来る大きなイベントによって、頭の隅に追いやられていった。


校内が浮つく一年に一度のあの日。

バレンタインデーである。

といっても既に交際している男女には関係のないイベントだとたかを括っていたのだが。当の松島の顔は、朝から嬉しさを隠し切れない様子で綻んでいて、梅野も期待せざるを得なかった。


「どうしたの?」その日の放課後、満を辞して聞くと、

「うふふ〜」

松島が自慢げにカバンを探る。

しかしその表情は、すぐに雲行きが怪しくなった。

「あれ、おかしいな…カバンに入れたはずなんだけど」

首を傾げる松島。

「あれー?ないや…」

しばらく探した後で、松島は降参した。


「結構高いブランドのやつ、奮発して買ったのに…」がっくりと肩を落とす松島。さっきまでの喜びぶりを見ていただけに、心配になってしまう。


それを察してか、

「まあ、バレンタインって口実で分けてもらおうと思ってただけだし!あんま深刻に捉えないで」

松島は、すぐに元気な表情を取り戻した。


「一応、私部室見てくるから!」

「じゃ、俺教室見とくよ」

「うん、頼む!金色の箱の、ゴジバね!」

梅野はチョコを探すため、松島と別れ、教室に向かう。




──果たして、目的のものは見つかった。


原型とは程遠い姿で。


綺麗に包装されたブランドのチョコレートが、無惨な状態で捨てられていた。それも、外装が折れ曲がり、潰れているだけではない。

模様のようについた黒ずみは、その箱が何度も足蹴にされたことを表していた。破れたメッセージカードには、かろうじて「梅野」の名前が見えていた。


間違いなく、梅野に宛てたチョコレートだった。


戦慄する。犯人は、一体どれだけの恨みを込めてこのチョコレートを踏んだというのか。どれだけ感情を爆発させれば、ここまで歪ませられるというのか。薄ら寒い恐怖が、薄暗い教室に張り詰める。



その時、突然、背後で教室の扉ががらりと空いた。

「梅野、こんなところにいたのか」

見ると、竹田が笑顔でそこに立っていた。

そこには、取り繕ったような不自然さがあった。

「帰るぞ」

引き上げる腕の力が、酷く強い。運動部である竹田の筋張った指が、腕に食い込む。


「ちょ、離せ……っ」

痛みに思わず振り解くと、反動で竹田が後ろに一、二歩後ずさり、咳き込んだ。

「ごほ、ごほっ」

「…っ、悪い!」

「いや、風邪気味なだけだ…、ごほっ、教室で何を?」

「あの、松島さんがチョコ無くしたらしくて、今探してるんだけど」

「……そうか」

竹田の声があからさまに沈んだ。それはそうだ。松島から梅野へのチョコなんて、竹田にとって気分が良いはずがない。


しかし、竹田の答えは想定とは別のものだった。

ごほっ、と一つ咳をして、

「たぶん、教室には無いぞ」竹田はそう言った。

だから早く教室から出ろと、暗に急かしているようなニュアンスだった。


……どうして、チョコが無いことが分かるのか。否、のか。それを聞く勇気は、やはり今の梅野にはなかった。竹田の咳の音だけが、人のいない廊下に響いていた。


その次の日から、竹田は学校に来なくなった。




「ねえ、梅野くん、聞いてる?」

名前を呼ばれて、梅野は話題の方へ意識を戻した。

「あっ、ああ。なんの話だったっけ?」

「学校の大木の話。恋愛成就の」

松島の友人であるオカ研部員が、急にそんな話を仕入れてきたのだ。

「あの木、元々はね、呪いの木なの」

「や、やめてよ〜」

リアクション多めに驚く松島に気を良くして、オカ研部員は勿体ぶって答える。

「あの木がね、恋愛成就の木になったのは、最近のことなんだ」

「うんうん」

「「恨み」をさかさまにして、「逆恨み」。強い恨みの逆だから、強い好意が相手に届く…っていう理屈ね」

「だからあれは、強い呪いの反転なの」

「なるほど…」

松島が、心底興味深そうに頷く。


「ちなみに呪いって、どんな?」

梅野は聞いた。なんとなく、聞かずにはいられなかった。思い浮かべるのは、木に触れていた竹田の姿。

「そりゃ、メジャーなのは怪我や病気よね。原因不明の症状に苛まれたり、事故が続いたり」

「……」

しばらく考えてから、梅野はもう一つ質問をした。

「それって、呪った方が体調悪くなったりすることも、あるのか」

「うん、あるよ」オカ研のさらりとした回答。

「有名なのだと、呪いの藁人形とかは、目撃されると呪った側に呪いが返ってくるって」

「……」

それを聞いて、梅野の想像は確信に変わった。

竹田のあの表情と、木に触れた本当の目的。

(やっぱり、竹田は俺のことを恨んでいた)





次の日。梅野は竹田の家を訪ねていた。


「あの子、ちょっと前に風邪ひいてからね、すっかり寝込んじゃって…」

「起きてるか分からないけど、梅野くんなら喜ぶと思うわ。行ってあげて」


「竹田」

勝手知ったる部屋に上がり込み、布団の膨らみに向かって声をかける。

竹田はゆっくりと身体を起こし、こちらを向いて座り直した。呼吸一つも気怠そうで、呪いのせいならこれで十分だろうと言えるぐらい、消耗している様子だった。

それとも、こんなものでは済まないくらい、竹田は俺を憎んでいたのだろうか。


「……俺宛てのチョコを踏んで捨てたのは、お前か?」

「うん。…俺だよ」

竹田は驚くほどあっさりと認めた。


「で、それが何?今更何を言いに来たんだ?」

はっきりと拒絶の意思の篭った言葉が、初めて明確に竹田から投げかけられた。

ほんの少し怯んでから、それでも、俺は小さく息を吸った。言うべきことは、この家に来た時から全て決めていた。


「いいよ、恨んでくれて。松島さんに手を出さないなら、俺のことはいくらでも」

「……そういう、」

「え」

「そういう、ところが……」

「嫌なんだよ!」

竹田がベッド際の目覚まし時計を投げる。顔の横を掠めて、後ろの壁に金属音がぶつかる。

「逆恨みで人に当たるような奴に、二度と近寄んじゃねぇ」

そう言う竹田の口調は、酷く自嘲的だった。

「ほら、帰って」

「帰れ!」


正直、これ以上同じ部屋にいても、双方を傷つけ合うだけなのだろう。

無力さを噛み締めて竹田の部屋を後にした時。

ぴりり。と。着信音が鳴った。


松島からだ。一瞬迷ってから、出る。

「もしもし、なに?」

「あー、梅野くん!ごめんね。バレンタインのチョコ、あれ家で見つかったの!机に置いて忘れてた!すまん!」

「え……?」

「明日渡すからね!じゃあね!」元気な謝罪が聞こえて、電話は切れた。


「どういうことだ…?」

「あれは、松島さんのチョコじゃなかったのか…?」

確かに、梅野に贈られるはずだったチョコレート。


扉の向こうの竹田から、声が聞こえた。

「あのチョコを買った奴は、馬鹿な奴なんだよ」

「おまじないとか、バレンタインとかにチャンスを感じる、馬鹿。そいつはわざわざチョコ買って、それで、結局」

竹田の言葉が、丸めた紙のように、潰された包装のように、くしゃりと歪む。

「渡せなかった…」

消え入りそうな声だけが、辛うじて聞こえていた。



竹田は誰を呪っても、恨んでもいなかった。

──それならばあれは、多分。木に向かって何かをしていた竹田の姿を思い出す。あれは、恋のまじない。「逆恨み」の方だったのだろう。


それから、竹田が次に学校にやってきたのは、二週間後のことだった。熱が長引いたと言っていた。

男子にしては長かった髪が短くなっているのが、印象的だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

逆恨み(KOC参加「ホラー・ミステリー」) 桜木武士 @Hasu39

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ