迎え

常陸乃ひかる

お迎え

 三月十六日――小雨がぱらつく昼下がりのことである。

 降り出した雨音で起床した少年は、寝間着に使っていたTシャツとジャージ姿で、古びたスニーカーを履き、穴の開いたビニール傘を右手に握ると、茶色い外壁の自宅を背に、最寄のコンビニへと向かった。

 この少年にとって今日は休日だ。いや、あすも、その翌日も――

 というのも少年は、約四十九日前の夕暮れ時。母親がハンドルを握るバンに乗車している際、交通事故に巻きこまれてしまい、病院へ運ばれたのだ。今はもう傷は治っているが、それを機に不登校になってしまった。『療養中』といえば体裁は良いが、本当は学校に行くのを避けているだけである。

 今は昼も夜も関係なく、しょっちゅう遊び呆ける。


 徒歩九分の距離にあるコンビニで買い物をした少年は、その足でイートインコーナーに向かった。日時や天候の具合も影響し、スペースには誰も居ない。

 少年が腰を下ろしたのは、レジや店内から死角に位置する最奥さいおうの席で、だらしなく足を組むと、レジ袋の中をあさり、おにぎりを取り出した。その袋を剥いて、おおよそ正三角形の、どこかしらの内角おおよそ六十度をむさぼろうとしたところ――

「あれ? 誰かの忘れもの?」

 テーブルの角、ぽつんと置かれた小型のデジタルカメラが目に留まった。

「忘れ物かな……もらっちゃおうかな」

 少年は空腹を忘れると、体をずらして店内に目をやった。

 今なら誰の目もない――それがわかった途端、他人の忘れ物をジャージのポケットにしまうと、おにぎりを片手に、逃げるように店を出てしまった。


 海苔が巻かれた三角形を食しながら帰宅。デジタルカメラに記載された型番を調べたところ、一年前の二月に発売されたばかりのモデルだと判明した。少年は、浅はかな思考を巡らせた――これをウェブで誰かに売りつければ、良いお小遣いになると。

 引き続き機器を調べていると、本体に残されたままのメモリーカードを発見した。言わば個人情報の塊である。

「不用心だなあ。でも……中身の確認くらいは拾った者の義務……だよね」

 下世話で不快な発言は、ひとりしか居ない部屋に消えてゆく。心を躍らせる少年は、スマートフォンにメモリーカードを挿し、画面に目を落とした。

 初めの階層には、フォルダとテキストファイルがひとつずつ配置されていた。テキストのファイル名は、『You fool』と記されている。

「テキスト? ユーフール? もし個人情報が入ってたら、交番に届けよう。あ、でもメモリーカードだけ持っていったら不審がられるか」

 少年は半笑いでテキストファイルをタップした。


  No.01 2020年 02月14日 女性 12時14分

  No.02 2020年 04月18日 男性 21時54分

  No.03 2020年 05月20日 男性 14時31分

  No.04 2020年 05月22日 男性 12時44分

  No.05 2020年 06月14日 女性 09時04分

  No.06 2020年 07月31日 男性 05時55分

  No.07 2020年 11月24日 男性 08時53分

  No.08 2020年 12月15日 男性 08時15分

  No.09 2020年 12月21日 男性 20時15分

  No.10 2020年 12月29日 女性 12時00分

  No.11 2021年 01月09日 女性 08時32分

  No.12 2021年 01月27日 男性 17時45分 New


「なにこれ? なんかの記録? つまんない……」

 が、テキストファイルには、理解不能な箇条書が記されているだけだった。少年は気に留めず、テキストファイルを閉じると、同じ階層のフォルダを開いた。

「さーて、フォルダの中身は? お、動画がある」

 そこには、十個以上の動画ファイルが、日付の降順に並べられていた。少年は本能的に、最も上にあるファイルをタップした。動画が再生され、まずコンビニの外観が映し出された。次第に撮影者はガラス越しにイートインコーナーへ近づき、店内の様子を窺い始めた。

「ん……?」

 奥の席に座っていたのは、Tシャツとジャージを着衣しただった。そいつはおにぎりをかじろうとしたところ、テーブルの隅のデジタルカメラに気づいたようだ。すぐさま辺りを見回したのち、それをポッケにしまい、店を出ていってしまう。


 動画はまだ続いた。

 穴の開いたビニール傘を差し、古びたスニーカーを濡らし、おにぎりを食べる背後を追い続け、茶色い外壁の自宅までついてくるのだ。あろうことか、玄関を通り過ぎ、家に上がってくるではないか。

 少年は冷や汗が流れるのを感じた。けれど体が硬直して、動画を止めることも、目線を動かすことも、ましてや振り返ることなんてできなかった。


 動画はまだ続いた。

 動画の少年はデジタルカメラの型番を調べ、今度は内部に残っていたメモリーカードを取り出すと、自分のスマートフォンに挿して、内容を確認し始めたのだ。

 初めに開いたのは『愚か者』と書かれたテキストファイルだった。が、箇条書きが理解できずに閉じてしまった。

 けれど、こうして客観的に眺めてわかったことがある。テキストファイル内の箇条書き、No.12――一月二十七日は、少年が事故に遭った日時だったのだ。


 動画はまだ続いた。

 次に少年はフォルダを開き、動画ファイルを見つけると再生を開始した。少年がじっとスマートフォンに目を落とし、徐々に青ざめてゆく様子が映っている。

「や、や……やばい! やばい……!」


 動画はまだ続いた。

 カメラが、どんどん少年に近寄ってくるのだ。じわりと汗が滲み、荒くなる息遣いも鮮明である。上手く唾が飲みこめないようだ。

『やばい! やばい!』

 という動画の肉声が、やけに枯れている。


 この部屋、すぐそこに得体の知れないが――が迫っている。振り向いてはいけないと承知しながら、己が意思とは裏腹に、首が悪戯に動いてしまう。

 首が回る。横へ、横へ――

 体が回る。背後へ、背後へ――

 目線が宙を舞い、ぴたりと止まった先には――

「え……?」

 にこにこと、口元にだけ笑みを浮かべる少年の母親が立っていた。母親の体は傾いており、右手を差し出して、「早く来なさい」と、少年を迎えていた。


 ただ、ひとつ不思議な点がある。

 母親は一月二十七日に起きた交通事故で他界しているのだ。

 だからだろう。母親の右足がいびつに曲がっていたり、顔面が血まみれだったり、片方だけ白目をむいていたり――


「あ、そうか……もしかして俺も? そっか、この世界は初めから……。いや、待たせてゴメンお母さん。居心地良くて、四十九日間も不登校で遊び続けちゃった」


 少年は薄れゆく意識の中で、それとなく悟った。

 テキストファイルの箇条書きや、ほかの動画ファイルは、自分以外にも、現世と似て非なる世界に居座り続けていた愚か者たちの、データなのではないかと。

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