すさびる。『三人目の僕たち』

晴羽照尊

三人目の僕たち


 ある日、ひょんなことから彼女とホラー映画を見ることになった。確か、あの映画のあれこれがよかったとか悪かったとか、そういう、口論のような形になり、じゃあ実際に見ようか? という流れになったのだったが、実はよく覚えていない。しかし、彼女の方から言い出したのは確かだ。だって僕はホラー映画が苦手だから。怖いんじゃあない。あの、とりあえず叫び声やら物音やらを鳴らして驚かそうとする魂胆に虫唾が走るのだ。


『ドンッ!!』


 ほらきた。まだ映画は序盤も序盤。今後出てくるであろう幽霊だかなんだかが、この段階で出てくるわけでもないのに、日常のシーンで主人公の友人が、無意味に乱雑に荷物を放り出すから、マイクが音を拾いまくってるじゃないか。シーンの淡白さに比べて大音量なのはわざとではあるのだろうけれど、それゆえにあざといんだよ。


 だから僕は小さく身を震わせる。この、反射的肉体反応。これが嫌なのだ。怖くもないのに、彼女に怖がっていると誤解されてしまう。男のメンツ丸つぶれだ。

 が、悪いことばかりでもない。電気を消した暗い部屋の中、寄り添う彼女が僕の手を掴む。その手に、少し力が籠った。


『ピリリリ! ピリリリ!』


 その体温に気を向けていたところへ、重ねるように携帯電話の着信音が響いた。……映画の中で。やはり他の、会話やBGMよりも不自然なほど大音量だ。こういうところだよ、ホラー映画が嫌いなのは。もっとこう、ジワジワくる、本物の恐怖で視聴者を怖がらせてほしいものである。安易に音へ逃げるな。


 彼女のシャンプーの香りが、空気に乗って僕へ伝わる。だから、僕の肩に彼女の頭が預けられるコンマ数秒前に、僕はそれに気付けた。だからそっと、僕は彼女の肩を抱き寄せた。……うん。まあ。ホラー映画も悪くはないのだ。


『グワアアァァァァ!!』


 おおっ! ……そうだった。こういうシーンもあったな。映画中盤。主人公たちもその場の異質さに気付き始めたころ。とうとう幽霊の登場か? という場面で行われる、謎のドッキリ企画。人間の人間による人間のためのドッキリだ。決して、幽霊によるものではない。


 だが、それは、相手を驚かそうという人間の意思が宿っている分、意図せずして鳴り響く無機物から発せられる音とは違い、多少は本物の恐怖に近い。


「ひっ」


 彼女が抱き着く右隣から、かすかな、声が漏れる。危なかった。僕も同じく、声が漏れるところだったぞ。なんとか男としての体面は保てたか? 僕は彼女を安心させるため、肩に回していた手で彼女の頭を撫でた。


『キイイィィヤアアアアァァァァ――!!』


 そして終盤。徐々にその姿をさらし始めた幽霊が、主人公へ襲いかかる。金切り声を加工した、これまででもっとも、気合の入った音と、映像だ。人間が恐怖するような、真っ黒くくぼんだ双眸と、溶け爛れたような表情。妙なカメラのブレや、映像の乱れ。それらが混然一体となって、確かに、恐怖心が煽られる。


 が、これはもはや、恐るるに足りない。だってもう、映画がクライマックスに近付いているのは解っているのだから。視聴者こちらとしても、

十二分に気構えはできているというものだ。


「キイイィィヤアアアアァァァァ――!!」


「なああぁぁにいいいいぃぃぃぃーー!?」


 映画の音がダブった! 僕は思わず叫び、人生でこれほどまでに体験したこともないような機敏な動きで、部屋の電気を点ける。そこに現れたのは、まごうことなき彼女。その顔だった。


        *


「ご、ごめんね? ごめんね?」


 彼女が言う。人生で一番びっくりした。耳元で叫ぶやつがあるか。


「そんなに怒らないで? ね?」


 部屋の隅。壁の方を向いて黙りこくる僕を見て、彼女は何度も謝った。鼓膜が破れそうな思いをしたのは本当だ。しかし、それよりも、彼女の方がよほど叫んでいたとはいえ、男である僕も思い切り怖がり、叫んでしまったことに恥じているのだ。放っておいてほしい。


「それにしても、おもしろかったね、映画」


 僕への謝罪も諦めて、彼女は話題を変える。


「……そうなの? めっちゃ叫んでたけど」


 だから僕も意地を張るのはやめて、声を上げた。


「うん。私、ホラー映画って苦手なんだけど、今日はすごく楽しめたよ? 誘ってくれてありがとうね」


 彼女は言った。だから僕は、背筋が凍る。


「ああ、……いや。……うん」


 彼女を見送って、部屋に戻る。デッキに入れっぱなしであるはずのブルーレイディスクを確認。……うん。やっぱり、なにも入っていない。念のため、僕が会員登録しているレンタル屋に聞いてみたけれど、どうやら僕は、なにも借りていないらしい。



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