青髭屋敷

柚城佳歩

青髭屋敷

「あれを見て戻ってきた人はいない系のお話あるじゃん。ああいうのってなんで広まってるんだろうね。見た人全員戻ってこられなかったんでしょ?」


教科担当の先生の体調不良により、急遽自習となった理科の時間。

なにぶん急な変更で、代わりの先生を回す余裕もなかったらしく、隣のクラスの授業担当の先生が始業チャイムとともに課題用プリントだけ置きに来た後は実質自由時間となった。


咎める先生ひとがいなければ、おしゃべりに花が咲いてしまうのは自然の流れで。

友達と分担して効率よくプリントを進めるものから、課題そっちのけでスマホをいじるやつ。はたまた黙々と進めるものまで様々いる中、隣の席のななちゃんがよく通る声でそう言ったのだ。


「ななってば本気にしてるの?そういうのって、怪談の決まり文句みたいなもんでしょ」

「でもさ、順番に辿っていけば最初の人を見付けられるんじゃない?」

「無理無理。ああいうのは元が辿れないようになってるの」


確かにそうだ。何十年も昔ならいざ知らず、SNSを通じて全世界に情報が発信出来てしまう現代では、噂の元を突き止めるなんて到底不可能だろう。


「それにそもそもフィクションだって」

「だよねぇ」


そんな会話を聞くともなしに聞いていた俺は、一時中断していたプリントに戻る。

俺は怪談も都市伝説も好きだ。

それこそネットの掲示板で世界中の怪談奇譚を集めている。

実は身近なところで隣町にもとある噂話があるのだが、このタイミングで女子の話に割り込んでいく無粋なやつは


「二人とも、怖い話好きなの?」


……いた。矢地やちだ。

この男は空気を読まない。

それが彼の良いところでもあり、悪いところでもあり、どこか憎めない俺の友人でもある。


「まぁ、テレビとかでやってるとつい見ちゃうくらいには」


先程ななちゃんと話していた六実むつみちゃんが答える。


「隣町にも一つ噂話があるんだけど、知ってる?通称“青髭屋敷”」

「あおひげ?」

「名前はグリム童話の『青髭』からきてるらしい。童話の方は、美人の嫁さんを次々もらって殺していった金持ちの話。噂の方も似たようなもんで、昔、すんごい大富豪の屋敷で使用人が次々いなくなる奇妙な事件があった。その真実は、富豪が気に入った使用人を殺していたとかで、今でも屋敷からは助けを求める声が聞こえたり、夜に明かりが点いてるのを見た人がいるらしい」

「それマジ?普通にホラーじゃん。それよりも、矢地の口から童話なんて言葉が出てくるとかちょっと意外」

「ま、この辺は全部人から聞いたんだけどね。あいつこういうのに詳しいんだよ。な、後藤ごとう!」


まさか自分に話を振られるとは思っていなかったため、反応が少し遅れてしまった。


「あぁ、まあ。実際に矢地と行った事もあるけど、昼間だったからかな。全然何もなくて、普通の廃れた豪邸って感じだったよ」

「すごかったよな!キラッキラしたシャンデリアとか、ダンスホールとプールまであったし、どんだけ金持ちだったんだろうなぁ」

「へぇー、ちょっと見てみたいかも」

「興味ある?なら俺たちで案内するけど」


二人は顔を見合わせ「どうする?」と話していたがすぐに結論が出たらしい。


「私たちも連れてって」

「おっけー!じゃあ早速今夜、八時にバス停集合な」


ほとんど会話に参加しないまま、話がトントン拍子に進み、四人であの屋敷を訪れる事になった。

再び訪れるにあたり、俺は改めて掲示板で情報を見直す事にした。


「うわ……、あのプールでも人が死んでんのかよ」


噂の元になった事件では、どうやら屋敷の至るところで殺人が行われていたという。

しかも屋敷の主人は、幼かった自分の娘までも手に掛けたらしい。

無人の屋敷から声がする云々は別としても、知っている場所で酷い事件があったというのは気持ちの良いものではない。

俺は少し早めに家を出て、花屋に寄ってから集合場所へ向かう事にした。




「よし、揃ったな。じゃあ早速行きますか。ところで後藤、その花どうしたんだよ」

「これは……、お供えの気持ち、みたいな」

「お供え?」


俺は道すがら、先程調べた情報を話した。初めは興味深そうに相槌を打っていた面々も、終わる頃には顔色を青くして口を噤んでいた。


「自分の娘まで殺しちゃうなんて……」

「そんな話聞いた後だと、なんか余計に怖くなっちゃうね」


バスはもう目的地近くまで走ってきている。

躊躇いはあるが、ここまで来て引き返すのももったいない。

きっと二人はそんな葛藤をしているのだろう。

だがこんな時でも当初の目的を真っ直ぐに貫けるやつがいる。


「前行った時は何ともなかったし、ちょっと見てすぐに帰れば大丈夫だって!」


結局俺たちは、矢地の言葉に押されるようにしてあの屋敷へ行く事にしたのだった。




懐中電灯の光の筋が細く足元を照らす。

周りには電灯が一つもなく、暗さに慣れてきた目でも、ほとんど辺りの様子を伺う事は出来ない。

そんな中でも、例の屋敷は異様な存在感を放っていた。


「……何も聞こえないね」

「明かりも点いてないし。やっぱり噂は噂だよね」


窓ガラスは全て割れ、破れたカーテンが風に揺れる。不気味さは拭えないものの、特に変わったところはない。


「な、大丈夫だろ?中にも入ってみようぜ」


玄関扉は鎖で塞がれているため、庭に面した窓からよじ登るようにして中に入る。


「しっかしでかい屋敷だよなぁ。こんだけ広いと掃除も大変そうだ」

「だから使用人を雇ってたんだろ。この規模じゃ相当働いてたんだろうな」

「なんかもったいないね。こんな立派なお屋敷なのに、今は使われていないなんて」

「資料館にして観光にでも使えばいいのに」


だいぶ緊張感が解けてきたのだろう。ななちゃんたちも会話に混ざる。

厨房、応接間、食堂、書庫にダンスホール。

一階を一通り回ると、幅の広い階段を登り二階へ進んだ。

以前来た時は一階だけ見て帰ってしまったので、二階は俺も今日が初めてだった。


書斎の他はほとんどが客間のようで、一階と比べたら目新しいものは特にない。

すぐに一周し、さて帰ろうかというあたりで、なぜだか妙に引かれる部屋があった。

廊下の突き当たり、他と比べて粗末な扉を押し開ける。


「これは……」


板で塞がれた窓ガラス。

綿が飛び出たぬいぐるみ。

小さなベッドの上に散らばる服。

部屋の様子から察するに子供部屋のようだった。


「うわ、ひでぇ」

「娘さんの部屋、かな」

「たぶん……」


俺に続いて中を見た三人も言葉を詰まらせている。俺は手に持ったままだった花を床に置き、跪いて手を合わせた。

今さら何が変わるわけではない。自己満足なのは承知の上でも、少しでも彼女が救われますようにと願う。


「んじゃ今度こそ帰りますか」


くるりと方向転換した矢地の足が、一歩進んだところで止まる。


「窓が……」

「窓がどうした」

「ガラスが、ある」


矢地を押し退け廊下に出てすぐに気付いた。

この屋敷のガラスは全て割られていたはず。

さっきも通ってきたばかりだ。間違いない。

嫌な予感がする。


「……ここから出よう。早く」


三人を促して足早に廊下を進む。

すると壁に設置された燭台から煙が揺らめき、次々に火が灯り始めた。


「何これ、蝋燭もないのに勝手に火が点いてる」

「ねぇ、あれ……!」


ななちゃんが指差した窓の外。

庭に設置されたプールの上に何かが浮いている。

その何かは次第に形をはっきりさせていき、やがて人の形を取ると顔をこちらに向け――。


「うわっ!目ぇ合っちまった……」


矢地が自分を抱き締めるようにして腕を擦る。

あのプール、水なんてなかったはずなのに。

転がるように階段を降り、目の前の窓に駆け寄るが。


「なんで開かないの!」


窓も鍵もびくともしない。

叩き割ろうとするも、透明な壁に弾かれるように触れる事すら出来なかった。


「……他の出口を探そう。どこか出られる場所があるかも」


四人で固まって歩き始めた時、今度はどこからか声が聞こえた。


――オマエタチダケ逃ゲルナンテ許セナイ。

――オレタチノ苦シミヲ味ワエ。


声とともに冷気が漂い、不気味な気配がゆっくりと近付いてくる。

それも一つ二つじゃない。

一階のあらゆるところからこちらに向かってきている。


「このままじゃ囲まれる。上に逃げよう」


声が震える。少しでも気を抜いたらその場に座り込んでしまいそうだ。

降りてきたばかりの階段を登ると、声が遠ざかる。

でもどうする。外に出られないんじゃ逃げ場なんてない。


「こっち」


どこから現れたのだろう。

まだ年端も行かない女の子が、廊下の先に立って手招きしていた。


「外に出してあげる。ほら、早くしないと使用人みんなが来ちゃうよ」


はっとして振り返る。その子の言う通り、不気味な声たちが迫ってきていた。

迷っている時間はない。

女の子に続いて廊下を走る。

二階の突き当たり。子供部屋の窓が開いていた。


「ここから飛べってか……」


下に植え込みがあったはずだが、二階でもなかなかの高さがある。

躊躇う俺の背中を、矢地が叩いた。


「俺がまず飛ぶから。平気だったらみんなも続け」


そう言うや否や、窓枠に足を掛け飛び出した。


「いくぞ、うぉぉぉぉおっ」


バキバキと派手に枝が折れる音がする。

数秒の静寂。固唾を飲んで見守っていると、矢地の大きな声がした。


「大丈夫だ!木がしっかりしてる。俺も受け止めるから来い!」


泣きそうな二人を励ましつつ、なんとか先に脱出させて、自分も飛び降りる直前。

女の子の声がした。


「綺麗なお花をありがとう」

「えっ」


振り返るもすでに体は宙に舞い、いくつも枝を折りながら地面に着いた時にはその子の姿はなく、先程までの事が嘘みたいに、屋敷は再び暗く静まり返っていた。


「助かった、のか」


全身の力が抜ける。激しい鼓動と、細かい枝で切れた擦り傷の痛みが、今の出来事が真実だったと伝えてくる。

それにしてもあの子は。


「助けてくれたのか。花のお礼に」


軽い気持ちで、こういう場所を訪れるものじゃない。

小さな救世主と今夜の出来事を、俺は一生忘れないだろう。



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青髭屋敷 柚城佳歩 @kahon

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