霊感少年に春は来る
あさぎり椋
第1話
霊感が強いことと、幽霊が苦手であることは、まったく別の問題だ。見えなくていいモノが見えてしまう恐ろしさ――高校生の
今日は学校での図書委員活動が長引き、帰路につく現在は午後六時になろうかという頃。朝からの雨模様で空は元より、あたり一面どんよりと薄暗い。
差した傘に当たる断続的な雨音を聞きながら、聡流は憂鬱だった。こんな日は、出る。ここが人の密集する住宅街だろうと関係無い。おあつらえ向きに、世が世なら逢魔が時とも呼べる時間帯だ。
ああ、早く帰ってしまいたい。そんな気持ちが彼を足早にさせる。
だが嫌な予感というものは往々にして当たるもので、彼は見てしまった。
(マジかよ……)
数メートル先の電信柱の陰に、傘もささずにずぶ濡れで突っ立っている人影がある。雨を吸う長い黒髪は、前髪もまた異様に長く、表情がまるで見て取れない。シンプルな白いワンピース姿といい、おそらく女性だろうか。
道路を挟んで向かい側には、自動販売機と雑貨屋があった。その軒下でいくらでも雨宿りが出来るだろうに、あえて濡れ鼠にされるがままだ。すさまじく不気味という他に無い。
目が合ったかもしれない。幽霊が大嫌いな霊感少年としては、判断を迫られる場面だ。
もし幽霊なら、手前で右の道に曲がって避けていこう。やや遠回りになるが、背に腹は代えられない。
もし人間なら、気にせずそのまま真っすぐ進んでいこう。極めて不審人物なのに変わりは無いが、幽霊よりは遥かにマシだ。住宅街で人目はあるし、相手はかなり細身。なにかされても抵抗できる自信はあった。
さて、聡流は――迷わなかった。これまで数々の霊に遭遇してきた経験に基づく直観が、彼を真っすぐに進ませた。あの存在感は、人間だ。
彼はやや険しい真顔で口を真一文字に結び、堂々と怪しい女の横を通り過ぎていった。何ということはない、ただそれだけだ。そぼ降る雨の中、彼は一抹の安心感と共に家路を急いだ。
錯覚かもしれないが、後ろから突き刺さる視線を感じながら。
その翌日。
「聡流くんを、好きになりました。私と付き合ってくださいっ」
聡流は、同じクラスメイトの
相手はやや小柄な、ロングヘアの女子である。長めの前髪をヘアピンで留めている辺りはお洒落だが、地味な印象は拭えない。喋った記憶はほぼ無いし、こうして顔をまじまじと見たことも無い。もっとも、耳まで真っ赤な顔は伏し目がちで、なかなか前に向けてくれない。
「……どうして、俺なんだよ?」
困惑のあまり、思わず尋ねてしまった。
気持ちは嬉しいが、恋鞠のことは今のとこ好きでも嫌いでもない。ようやく、彼女の姿を図書室で何度か目にしたのを思い出すが、接点と言えばそれが精々だ。
不思議がる聡流に、彼女はややしどろもどろながらに応えた。
「聡流くんが霊感強いこと、でも幽霊が嫌いなこと、知ってました。だから昨日、私は一人で賭けをしたんです。聡流くんが、こんな影の薄い私をきちんと見てくれるかどうかって」
「賭け?」
霊感、幽霊という唐突なワード。たしかに聡流の霊感のことは、クラスメイトには有名な話として広まっている。
それでも、まるで話が見えない。霊と言えば、昨日まさに一人と出会っているが。
「幽霊が嫌いな代わりに、生身の人間が好きだって言ってましたよね」
「よく知ってんな。そりゃそうだよ。まぁ……生きてる人への愛着というか、そういうの、強くなっちまった方だと思う」
「そんな人に優しい聡流くんが好きになったんです。私、小さい頃から地味で影が薄くて、男の子に幽霊女とかって、からかわれたことがあって。それで、まだ自分に自信が持てなくて……だからね」
彼女はそう言って、ヘアピンを外した。前髪が流れ、目もとが完全に隠れてしまう。
その姿は、まさに――昨日の幽霊女を思い起こさせるのに、十分だった。
「あえて虚ろな様子で暗い雨の中に出ていって、聡流くんを待ち伏せました。もしも幽霊だと思われて道を変えられるようなら、告白は諦めよう。でも……ちゃんと人間として、私が見てもらえたなら。私の隣を通り過ぎてくれたら、勇気を出そうって、思ったんです」
聡流は、恋鞠が右手でぎゅっと握りしめたヘアピンを付け直すのを見た。その手は、震えていた。
今、自分の心臓はおそろしく早鐘を打っている。彼女はどうだろう。顔を耳まで真っ赤にしているが、自分も人のことは言えないのではないか。
彼女の目線に、聡流は底知れない勇気を見た。あの雨の中、最後の一歩を踏み出すために、自分なんかにそこまでしてくれたことが、何だかむず痒くも嬉しかった。
告白を――素直に、受け入れることにした。
「や、やっ……あの、あ、ありがとう、ございます……えと、不束者ですが……じゃなくて」
「……いや、落ち着けって。俺の方がなんか恥ずかしいよ」
こういうのを、春が来たと人は言うのだろう。とにかく気恥ずかしく、心がふわふわして実感がどうにも湧いてこない。
だが、あまりの嬉しさに笑顔で泣き出した彼女を見ていると、とうてい悪い気などしなかった。
しかし、まさか泣かせていると思われてはかなわない。聡流は辺りにひと気の無いことを改めて確認し、場を和ませようと口を開いた。
「いやぁ、それにしても昨日のアレは雰囲気出てたよ。由緒正しい貞子スタイルとでも言うのかな。あぁそうだ、ずぶ濡れで風邪ひかなかったか?」
奇妙な芝居を、軽口で褒めそやす。見目はまるっきり健康そうだが、果たしてどうだろう。
しかし――急に、彼女の様子が変わった。泣き笑いをピタリと止め、不思議そうな表情で聡流を見返してくる。
「貞子……?」
「あぁ。あの長い髪に白いワンピース。あえてそんな感じにしたんじゃ?」
彼女はピンとこない様子で、目を瞬いた。さすがに少し、失礼な表現をしてしまったろうか。
「私……傘、差してましたけど」
「へ?」
「服だって、白じゃなくて中学の頃の黒いセーラー服出してきたんです。あれ、パッと見が喪服みたいで雰囲気出るかなって」
「……いや、だって雑貨屋の向かいでずぶ濡れになってさ……」
「私は軒下にいましたよ。ただ、こわいぞ~って雰囲気を出すようにはしてましたけど……」
じゃあ、アレは――黒髪の女は、一体なんだったというのか。
考えたくなかった。しかし、聡流の顔色が徐々に蒼白へと染まっていく。恋鞠も事態に気付いたか、あわあわと口を金魚のようにぱくぱくさせ始める。
アレの正体は、間違いなく。
「……ま、マジかよ」
正真正銘の本物。彼の直観は、間違っていたということになる。待ち構える恋鞠の傍らに、ずっとあの女は佇んでいたのか。遅れて襲ってきた恐怖に、聡流は恐れおののいた。
それだけではない。聡流は女幽霊に気を取られるあまり、恋鞠の存在に全く気付かなかった。彼女の賭けが、これではとんだ茶番と化してしまったではないか。
怖いやら申し訳ないやらで、感情がないまぜになっていく。俺はどうしたらいい――立ち尽くす聡流。
しかし、その震える手を恋鞠がぎゅっと両手で握ってきた。
「幽霊が怖いなら、私が一緒に毎日帰ってあげます!」
「え……」
「今度はあんな幽霊なんかより、私の方だけずっとずーっと見てもらえるように、がんばるから! だから、そのですね……!」
彼女は汗ばむ両手を離さずに目を伏せ、意を決して再び上目遣いに見上げてくる。
「やっぱり……私と、付き合ってもらえませんか?」
小首をかしげて射抜いてくるその目に、聡流は――初めて自分が、この娘を好きになり始めていることを自覚した。
大嫌いな幽霊絡みの恋だって、良いじゃないか。この手を離したくないという想いが、恐怖などどこへやらと吹き飛ばしていた。
だから、応える。
「ぜ……善処します」
飛び出すトンチンカンな返し。きょとんとした恋鞠が、思わず吹き出してまた泣き笑いを始めた。
幽霊にまつわる二人の恋は、こんな前途多難なスタートを切ったのだった――
――ところで、後日。
先日の女幽霊を、再び同じ場所で見かけたことがあった。やはり、何をしてくるでもない。その時は恋鞠と二人で歩いていたのもあって、聡流はもう恐怖することも無かった。
その一度きりでもう二度と会うことは無かったので、あれから成仏したのだろう。
にしても、気のせいだろうか。
恋の賭けに打って出た恋鞠のそばで、見ようによっては彼女を見守るようにずっといた、女幽霊。
仲良く連れ添って歩く二人を見ながら、彼女が両手でガッツポーズをしていた気がするのは――
霊感少年に春は来る あさぎり椋 @amado64
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