プロの仕事とは

篠原 皐月

依頼人との信頼関係は重要

「猪瀬さん、また駄目でした。データを見てビビッときたから、今度こそはと思ったのに……」

「あの……、この前お会いした小林さんからは、是非お付き合いを継続したいとのご連絡が」

「無理です」

 結婚相談所勤続三十年の猪瀬薫は予約時間に面談ブースに入り、設置してあるデスクトップPCを起動前に、担当している高見沙也加から開口一番に告げられて面食らった。既に相手方から好感触を得ていた薫は、沙也加に理由を尋ねてみる。


「因みに、どんなところが無理だと思われるのですか?」

「今回は気合いを入れて、新しいヒールを履いていったんですが、相手がどんどん早足で歩くので、置いていかれそうになったんです。……ああ、猪瀬さん。自然に女性の速度に合わせて歩ける人は婚活なんかしていないのは、これまでの経験で熟知しています。ですからこれまでと同様に『もう少しゆっくり歩いて貰えませんか?』と声をかけたんです。そうしたら、なんて言われたと思います!?」

(これまでに色々経験済みので、当初より許容範囲は広くなっている高見さんを怒らせた理由……、ちょっと思いつかないけど)

 迂闊に下手なことは言えない薫は、取り敢えず慎重に問い返してみた。


「『失礼しました。そちらに合わせて、ゆっくり歩きますね』とかの謝罪の言葉はなかったのですか?」

「私の全身を上から下までしげしげと眺めてから、『思ったより脚が短いんですね』と真顔で言われました」

(やってくれた……。確かに小林さんは入会して間もないけど、特記事項で注意喚起の内容は無かったのに。彼の担当者に要引き継ぎね)

 無意識に顔を引き攣らせた薫は、なんとか相手を宥める言葉を絞り出した。


「あの……、確かに初対面の女性、いえ、初対面でなくても相手に対して相当失礼な台詞だと思います。ですが恐らく、先方に悪気はなかったのではないかと……」

「猪瀬さん。これまでのあれこれで、分かっています。寝癖がついていたり服装の趣味がアレでも、コーディネートができる人はそもそも婚活してないか既婚者です。食事の代金が割り勘でも初対面の人に奢って貰うのは気が引けますし、寧ろ経済観念がしっかりしていると思います。ですが食事中、自分の実家や出身校や勤務先やその他諸々の自慢話ばかりで。相手の話を遮るのは悪いので、終始笑顔で相槌を打っていました。それで話の途切れたタイミングで私が興味のあることについて話そうとすると、すぐに話題を変えてひたすら自慢話。全く話題を出さない相手と会話を続けるよりはマシですが、本当にそれよりマシなだけです。結局私、自分の事を殆ど喋らずに終わりました。……正直に言うと、ものすごく疲れました」

 最後はげっそりした顔つきで呻いた沙也加を見て、薫はフォローの言葉を絞り出した。


「それは確かにある意味残念でしたが……。小林さんも初回の顔合わせで緊張して、普段より饒舌になっていた可能性もあります。何回か会ううちに理解が深まる場合もありますから」

「私も入会当初は緊張して、余計なことまで喋ってしまった記憶があるので、そこまで文句をつけるつもりはありません。ですが、昨日小林さんから連絡がきました」

「因みに、どのような……」

 沙也加の表情と口調から嫌な予感しか覚えなかった薫は、慎重に話の先を促してみた。そして、すぐにそれを後悔した。


「『昨日はこれまで紹介された女性達の場合とは違って会話がとても盛り上がって、お店の女の子達といる時のように楽しく過ごせました。是非お付き合いを希望します』です。あれで会話が盛り上がった!? そう思っているのは向こうだけです!! 大体、私がどんな店の女の子と同じだと!? 好き勝手話して楽しく過ごしたいなら、結婚しなくても好きな店に行って好きな女の子達に囲まれていれば良いですよね!? 相手は金を貰ってるプロですから、どんなつまらない話を聞いても笑って拍手喝采して場を盛り上げてくれますよ!!」

「分かりました! 小林さんにはこちらから責任を持ってお断りの返事をしますので、どうか冷静に!」

「すみません。色々思い出したら怒りがぶり返して。猪瀬さんが悪いわけではないのに……」

(小林さんは話題と言葉の選び方に相当問題ありね。担当者にしっかり指導して貰わないと。だけど今回の相手が間違っても逆ギレするタイプではない高見さんで、不幸中の幸いだったわ)

 沙也加がすぐに冷静さを取り戻したことで薫は安堵したものの、彼女の愚痴めいた話が続いた。


「私、やっぱり結婚運がないのかも……。自分が平々凡々な人間だから、結婚相手は普通の平凡な男性で良いと思っているのに……」

「偶々小林さんと高見さんには、ご縁がなかっただけですから。他の方とのご縁を探すのを、これからも私達がお手伝いしますので」

(高見さん……、『年収五百万以上で長男や一人息子以外の三十代の男性は、全然普通じゃない稀少種です』と声高に言いたい。でも高見さん自身も、三十手前で専門職で年収四百万近くて、料理教室にも通って自分磨きに余念がない婚活市場では高嶺の花なのに、どうしてこうマッチングが上手くいかないの……。登録データでの希望通りの相手を紹介しているし、データを何通りか提示した中から高見さんに選んで貰っているけど……)

 項垂れた沙也加を慰めつつ、新しい紹介相手のピックアップを始めた薫は、ふと最近担当になった入会直後の男性会員のことを思い出した。そして一瞬迷った後、徐に沙也加に告げる。


「高見さん。ご紹介したい人が一人いますので、今データを見ていただいても宜しいでしょうか?」

「はい、構いません」

 そこで薫は素早くキーボードを操作し、該当する会員の登録データを転送したタブレットを沙也加の前に差し出す。


「こちらの方です。ざっと目を通していただけますか?」

「はい」

 素直に頷いてタブレットに目を落とした沙也加だったが、すぐに戸惑った視線を薫に向けた。

「猪瀬さん?」

 沙也加の困惑の理由は分かっていた薫は、深く頷いて語りかける。


「ご覧の通り高見さんのご希望条件から、この長谷川さんは外れています。これまでお会いした方のデータを見た時ほど、魅力的には感じませんか?」

「はぁ……、正直に言わせていただければ……」

「確かに、条件には合致していません。しかし年収については今年転職したばかりという事情があり、資格保持者の技術職ですから今後も仕事に困ることはないと思われます」

「はぁ……」

「変に見栄を張らない実直な方で、料理が趣味です。それも子供の頃からお母様をお手伝いしたのが高じたそうですが『家族や友人に振る舞って、美味しいと言って貰えるのが嬉しい』と仰られていました。以前高見さんも、同様のことを口にしていましたよね? 最初はスキルアップのつもりだったが、周りが美味しいと言ってくれると嬉しくて追及したくなったと」

「はい。確かに」

「自分に合う相手を探すために、条件提示は必要です。ですがこれからの人生を共にする人物を探すのですから、何より重要なのはその方の人間性かと思います。私のこれまでの経験からすると、確かに高見さんの希望条件からは外れていますが、長谷川さんとならこれまでのような残念な結果にはならないかと思うのです。プロの相談員としてはあるまじき発言ですが、私に騙されたと思って長谷川さんと会ってみませんか?」

 薫が真摯に訴えると、沙也加は一瞬キョトンとした顔つきになってから、笑いを堪える表情で確認を入れてきた。


「猪瀬さん。本当に結婚相談所のベテランとは思えない発言ですね。それなら今の話は、他の相談員さんや他の会員さんには内緒ですよね?」

「そうしていただけると、大変助かります」

「分かりました。猪瀬さんがそこまで仰るなら、お会いしてみます。連絡を宜しくお願いします」

「かしこまりました。早速手配いたします。それから今回は無理筋のお願いですし、上手くいかなかった場合は私が個人的に三時間飲み放題を奢って、愚痴にお付き合いします」

「それも他の方には内緒ですよね? 了解しました」

(やっぱり高見さんは性格の良い方ね……。なんとか良縁に結びつけたいものだわ)

 楽しげに笑う沙也加を見ながら薫はしみじみと思いつつ、必要な手続きに取りかかった。


 ※※※※


「はぁ~、やっと肩の荷が下りた~!」

 自分の席で通常のやり取りをしていた薫が、通話を終わらせるなり声を上げて座ったまま万歳をした。室内にいた何人かの者は何事かと彼女に視線を向け、偶々ファイルを抱えてそばを通りかかった後輩の桐谷玲が不思議そうに尋ねてくる。


「猪瀬さん、どうかしましたか?」

「担当会員の交際が成立して、近々二人揃って退会手続きに来店してくれることになったの」

「それにしては……、猪瀬さん位のベテランならカップルの成立数は数えきれないでしょうが、すごくほっとした顔をされていますよ?」

 まだ納得しかねる表情の玲に、薫が苦笑しながら説明を加える。


「それが、禁じ手を使ってしまったものでね」

「禁じ手? ……ああ、会員の希望条件から外れた相手とのマッチングですか? でも会員さんは納得の上で会ったんですよね?」

「それはそうだけど……。データを開示した当初は気乗りしない風情だったのを、かなり強引に説得した経緯があったから気になっていたの」

 それを聞いた玲が、感心したように頷きながら応じる。


「それなら本人の直感は芳しくなかったのに、猪瀬さんのこれまでの経験を踏まえた直観で、成立しそうな相手だと判断したということですよね? さすがです、ベテランの面目躍如ですね」

「褒められた行為ではないけどね。駄目だったら三時間、店代こちら持ちで愚痴を聞く約束をしていたから、その代わりに結婚が本決まりになったら個人的にお祝いを贈るわ」

「本当に良かったですね」

 そこで玲との会話を終わらせた薫は、気分良く中断していた業務を再開したのだった。

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