校長先生の話

向日葵椎

記憶

 小さい頃の記憶は思い返せばポツポツ浮かぶけれど、なんだか恐かったものとかゾッとした瞬間のものが多い。強く記憶に残るのはそういうものなのかもしれない。それと数は少ないけれど、不思議なものもある。


 小学校低学年の頃、一人で校庭で遊んでいた。雨上がりで校庭の白砂にはミルクティーみたいな水たまりがいくつもあった。その校庭の端っこ、白い雨水が流れ込む側溝のそばに私はしゃがみ込んでいた。


 何をしていたのかというと、側溝の両端に校庭の白い泥でダムを造って、雨水が側溝に流れないようにしていた。成果はあまり覚えていないけど、どうしても水の流れが止まらなかったような気がする。


 そもそもなんで一人でこんなことをしていたのかというと、ハッキリはしないが友達が少なかったからだと思う。思い出せる限りでも数人で、誰とでも仲良くできるタイプの明るい子か、ちょっと雰囲気が独特な子しかいなかった(ごめん!)。高学年になる時に私は転校したので、当時の友達の記憶は少ないままだ。


 で、話が校庭に戻り、私はダムを造っている時にふと顔を上げた。すると少し先に誰かが立っていて、記憶の限りでは当時の校長先生だった。初老くらいの男性で、なぜか微笑んでいる。私は怒られると思った。だって砂場の砂ではなく、校庭の砂で遊んで、しかもダムまで造って雨水が流れるのをせき止めている。幼いながらにマズいなと感じていた。しかし怒らないし、何も言わないでこちらを見ている。


 私はすぐに顔を下げて、ダム造りを再開した。なんだかよくわからないけど、校長先生が微笑んでいるのだから続けているのがいいと感じたのだろう。で、思い出のオチは、当時の自分よりずっと小さい子(たしか女の子)がやってきて、楽しそうにダムを踏みつぶしてしまった。私は立ち上がり、振り返ることなく校舎に戻った。


 べ、別に悲しくなんかなかったんだからね。ただ、ダム造りを楽しそうに見ていた校長先生がどんな顔をしているか見たくなかっただけなんだからね。と、いうのは今になって思ったことで、当時はただなんとなく気まずくなっただけだと思う。結局これも気まずさのせいで記憶に残ったのかもしれない。


 で、そろそろ「直観」について話しておかないといけない。今回それをテーマにして何か物語を書こうとしたところ、二つくらい書きかけにして面白くなくなってしまったので、たまには昔の話を、というところで、この話を思い出した。


 どのあたりに直観が関係しているのか。それは校長先生が怒らなかった理由についてだ。おそらく校長先生も(というか絶対)校庭の砂でダム造るのはダメだろうということはわかっていたはずだ。校長先生ともなれば数えきれないほどの生徒を見てきたであろうから、思うに経験からくる直観で、怒ってもしかたないような子だと感じたのではないだろうか。イタズラをしようとしたのではないことと、それが友達がいない故であることを瞬時に察したのではないだろうか。それは怒ってもしかたのないことだ。


 それともう一つ。これも単なる想像だけれども、校長先生は直観したのではないだろうか。私がこれからも何か変な一人遊びをするのだろうと。

 想像をしながらふと見上げた先には、パソコンの画面。校長先生のおぼろげな微笑みを思い出しながら、今日も文を書いている。

 ただ、一つだけ違うことがあるとすれば、あの頃そうであったように、誰か一人でも見てくれている人がいる限り、私は一人で何かをしているのではない。これは私の直観だ。

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校長先生の話 向日葵椎 @hima_see

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