29 覚悟

「大方さま!」


 毛利家宿老・志道広良しじひろよしが動揺する。

 まさか、杉大方がするとは思っていなかった。「頭を下げる」までは、相談していたが、自身の命を差し出そうというのか。


「聞け! 兄上、幸松丸、そして……毛利の諸将よ」


 己が願いを叶えられなくば、この場でこの首、掻っ切ってみせる、と凄む。


わらわは、命を賭ける! 多治比どののために、毛利のために、命を賭ける! この一命を捧げる! それもってして……兄上、どうか毛利本家の兵を……多治比に……!」


 杉大方の首から血が垂れる。刃を押し当てている証だった。

 その血を見て、幸松丸が恐慌状態におちいる。

 たまらず、母親の高橋氏――高橋久光の娘が脇から出てきた。幸松丸は母の胸に飛び込んで、わあわあと泣き出した。


「……さあ、兄上、わが願い……聞き届けたまえ!」


「………ぐ」


 久光としては、事態の急展開に動転し、ただただ、うめくことしかできなかった。


「……大方さま!」


 一方で、相合あいおう元綱ら、毛利の諸将・家臣たちは、先々代・毛利弘元の継室である杉大方にここまでやらせては、さすがに立つ瀬がないと、立ち上がる。

 一触即発。

 高橋久光が、杉大方に対して色よい返事なくば、元綱ら諸将は、もはや納得がいかんとばかりにいきり立っていた。

 杉大方をはさんで、にらみ合う高橋久光と毛利家諸将。


 ……しかし、場を変えたのは、城門からの知らせだった。


「申し上げます! 申し上げます!」


 そのとき、吉田郡山城の城門の門番から、急報が入った。



「い、今、それどころではない! あとにせい! あとに!」


 高橋久光は、とにかくもこの緊迫感から逃がれると、としながらも、威厳を見せつけようと、必要以上に門番を怒鳴りつける。

 毛利家の諸将はまた、その態度に怒りを感じて門番を擁護しようとしたが、ひとり、志道広良だけはちがった。


「御免」


 志道広良は、やはり門番の登場に唖然としていた杉大方に、手刀を打った。

 当て身である。

 杉大方は、慣れぬ鉄火場でのやり取りに精神を消耗させていたせいか、あっさりと昏倒した。

 広良は、昏倒する杉大方を受け止め、それと同時に短刀を取り上げた。

 幸松丸はやっと泣き止み、高橋氏の腕の中で眠りについた。


 ……そうこうするうちに、相合元綱が、高橋久光をにらみつけて制止し、門番に報告をさせる。


「何ぞ出来しゅったいしたのか?」


 元綱らは、静かに門番の次なる言葉を待った。


「じょ、城門に……多くの人たちが、やって来ています! な、何でも……多治比から、来た、と」


「何い!?」


 高橋久光が仰天の声を上げる。

 

 門番から詳細をうながして、聞いた。

 吉田郡山城の城門の前に、多数の人々、主に農民が行列をなして、やって来ている。

 その人々は、多治比から来たと言っている。

 何故、多治比から来たのかと問うと――戦場となるゆえ、避難するように言われた、と。

 動けない者は多治比猿掛城に匿われ、とにかく、動ける者は、吉田郡山城の高橋久光どのを頼るように、と言われたと。


「多治比どのが……そう言うたのか!?」


「はっ。そして……多治比の領民たちは、こうも言うております。どうか多治比どのを守って欲しい。毛利本家のお慈悲をもちまして、多治比を、侵略者の魔の手から守って欲しい……と」


方々かたがた! 出るぞ!」


 相合元綱は、もう我慢できぬと、城主の間から大股で出ていこうとした。

 高橋久光は、それを止めようとする。


「ま、待て! 相合どの! いずこへ出られる!?」


「知れたこと。多治比よ」


「そ、そんな……」


 久光は、元綱のことを多治比元就への対抗馬として目論み、取り込もうとしていた。

 元綱としては、ことここに至った以上、もはや元就を下ろすとかそういう場合ではないと喝破した。


「おれはたしかに、あの兄が嫌いだ。いつもへらへらとしていて、虫唾むしずが走る……だが今、多治比を、というか毛利を守っているのは、その兄・多治比どのではないか。しかも、己の母親を、いや、おれにとっても母親を差し出してまで、勝とうとしている!」


 杉大方は、毛利弘元の後妻のため、弘元の側室の子である元綱から見れば、「母」とも言えた。


「……ここまでされて、兵を出さぬとあれば、毛利の名がすたる! おれは兄が嫌いだが、それ以上に、毛利の名が廃るのが嫌いだ!」


 だから出る、出陣だ、と元綱は諸将をいざなった。諸将らも否やはなく、元綱のあとに付き従っていく。

 高橋久光は、待て、落ち着けと言っては、翻意を促したが、その時には後の祭りだった。


 志道広良は、幸松丸を抱きながら近づいてきた高橋氏に、杉大方を預け、やはり出て行こうとした。


「……ま、待て」


 久光の声が、虚しく城主の間に響く。

 ここで広良にまで出て行かれては、完全に毛利家に対する影響力を失う。

 久光には、そんな風に思えた。


 広良は、吐き捨てるように言った。


「……それでは久光どの、吉田郡山城の留守居、よろしく頼みますぞ」


 そう言って広良は二度と振り向かずに、城主の間から出て行った。

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