29 覚悟
「大方さま!」
毛利家宿老・
まさか、杉大方がここまでするとは思っていなかった。「頭を下げる」までは、相談していたが、自身の命を差し出そうというのか。
「聞け! 兄上、幸松丸、そして……毛利の諸将よ」
己が願いを叶えられなくば、この場でこの首、掻っ切ってみせる、と凄む。
「
杉大方の首から血が垂れる。刃を押し当てている証だった。
その血を見て、幸松丸が恐慌状態に
たまらず、母親の高橋氏――高橋久光の娘が脇から出てきた。幸松丸は母の胸に飛び込んで、わあわあと泣き出した。
「……さあ、兄上、わが願い……聞き届けたまえ!」
「………ぐ」
久光としては、事態の急展開に動転し、ただただ、うめくことしかできなかった。
「……大方さま!」
一方で、
一触即発。
高橋久光が、杉大方に対して色よい返事なくば、元綱ら諸将は、もはや納得がいかんとばかりにいきり立っていた。
杉大方をはさんで、にらみ合う高橋久光と毛利家諸将。
……しかし、場を変えたのは、城門からの知らせだった。
「申し上げます! 申し上げます!」
そのとき、吉田郡山城の城門の門番から、急報が入った。
*
「い、今、それどころではない! あとにせい! あとに!」
高橋久光は、とにかくもこの緊迫感から逃がれると、ほっとしながらも、威厳を見せつけようと、必要以上に門番を怒鳴りつける。
毛利家の諸将はまた、その態度に怒りを感じて門番を擁護しようとしたが、ひとり、志道広良だけはちがった。
「御免」
志道広良は、やはり門番の登場に唖然としていた杉大方に、手刀を打った。
当て身である。
杉大方は、慣れぬ鉄火場でのやり取りに精神を消耗させていたせいか、あっさりと昏倒した。
広良は、昏倒する杉大方を受け止め、それと同時に短刀を取り上げた。
幸松丸はやっと泣き止み、高橋氏の腕の中で眠りについた。
……そうこうするうちに、相合元綱が、高橋久光をにらみつけて制止し、門番に報告をさせる。
「何ぞ
元綱らは、静かに門番の次なる言葉を待った。
「じょ、城門に……多くの人たちが、やって来ています! な、何でも……多治比から、来た、と」
「何い!?」
高橋久光が仰天の声を上げる。
門番から詳細をうながして、聞いた。
吉田郡山城の城門の前に、多数の人々、主に農民が行列をなして、やって来ている。
その人々は、多治比から来たと言っている。
何故、多治比から来たのかと問うと――戦場となるゆえ、避難するように言われた、と。
動けない者は多治比猿掛城に匿われ、とにかく、動ける者は、吉田郡山城の高橋久光どのを頼るように、と言われたと。
「多治比どのが……そう言うたのか!?」
「はっ。そして……多治比の領民たちは、こうも言うております。どうか多治比どのを守って欲しい。毛利本家のお慈悲をもちまして、多治比を、侵略者の魔の手から守って欲しい……と」
「
相合元綱は、もう我慢できぬと、城主の間から大股で出ていこうとした。
高橋久光は、それを止めようとする。
「ま、待て! 相合どの! いずこへ出られる!?」
「知れたこと。多治比よ」
「そ、そんな……」
久光は、元綱のことを多治比元就への対抗馬として目論み、取り込もうとしていた。
元綱としては、ことここに至った以上、もはや元就を下ろすとかそういう場合ではないと喝破した。
「おれはたしかに、あの兄が嫌いだ。いつもへらへらとしていて、
杉大方は、毛利弘元の後妻のため、弘元の側室の子である元綱から見れば、「母」とも言えた。
「……ここまでされて、兵を出さぬとあれば、毛利の名が
だから出る、出陣だ、と元綱は諸将を
高橋久光は、待て、落ち着けと言っては、翻意を促したが、その時には後の祭りだった。
志道広良は、幸松丸を抱きながら近づいてきた高橋氏に、杉大方を預け、やはり出て行こうとした。
「……ま、待て」
久光の声が、虚しく城主の間に響く。
ここで広良にまで出て行かれては、完全に毛利家に対する影響力を失う。
久光には、そんな風に思えた。
広良は、吐き捨てるように言った。
「……それでは久光どの、吉田郡山城の留守居、よろしく頼みますぞ」
そう言って広良は二度と振り向かずに、城主の間から出て行った。
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