28 兄と妹

 多治比にて、多治比元就と熊谷元直が激戦を繰り広げている中。

 毛利本家、吉田郡山城。

 城主の間。

 杉大方は、毛利家宿老・志道広良しじひろよしを伴い、故・毛利興元の嫡子、毛利幸松丸の引見を受けていた。

 しかし、彼女の相手は幸松丸ではない。


「……お久しゅうございます、兄上」


「ふん、どの面下げて、吉田郡山城ここに来たか」


 幸松丸の隣に鎮座する、幸松丸の外祖父・高橋久光である。

 久光は石見に本拠を置く国人であるが、安芸にも勢力を広げており、その縁から、安芸国人一揆に参加。一揆内の勢力均衡を考慮した毛利興元により、むすめを興元へ嫁がせる運びとなった。この女が興元の正室・高橋氏であり、興元と高橋氏の息子が、幸松丸である。

 一方で、杉大方は、毛利興元と多治比元就の父、毛利弘元の後妻であり、彼女は高橋家から嫁いできた。生来、兄である久光とが合わず、追い出されるかたちの輿入れであったが、弘元は杉大方を大事にし、杉大方も彼の想いにこたえた。彼女の愛情は深く、弘元の死後、孤立した元就のそばを離れず、城を失って「こじき若殿」と呼ばれた彼を支えつづけた。

 なお、高橋久光は、元就の窮状を見越して、「援助」を申し入れてきたが、その裏に毛利家への浸食の企みを感じ取った杉大方に拒絶されている。


「……その節は、たいへん、ご無礼つかまつりました」


「結構な啖呵を切って、突っぱねたのう……じゃが、あの時、わしの申し出を受けていれば、かような仕儀にはならなかったろうに」


 嫌味たっぷりの兄の言動に、妹である杉大方は頭を下げるほか無かった。

 たしかに、高橋久光の支援を受けていれば、安芸国人一揆の形成や、また、その後の安芸武田家への対応も、毛利家はもう少し楽に済ませられたのかもしれない。そうすれば、毛利興元は、これほどまでに心身を損耗し、死ぬこともなかったかもしれない。

 かもしれない、という前提での話であって、仮定である。だが、真実味を帯びていることは認めざるを得ない。

 久光は大上段に、得意がって、杉大方を嘲弄する。


「どうじゃ、わしのが当たっておろうが。それを認めよ。認めなくば、これ以上、話をすることは無い」


 杉大方は、下げた頭をさらに床に頭をこすりつけんばかりに下げた。


「……兄上のお言葉、ごもっともでございます。それゆえ……哀れな妹をご寛恕あって、なにとぞ、なにとぞ、伏して、お話しくださいますよう、伏してお願いたてまつりまする」


 気をよくした高橋久光は、言うてみよと命じる。

 なお、この場には興元と元就の異母弟・相合元綱あいおうもとつなに加え、桂元澄、渡辺勝、福原貞俊、児玉就兼、坂広時、赤川就秀らの主だった家臣も控えていた。

 彼らは、多治比元就のことを全面的に支持しているわけではない。元綱に至っては、頼りのない兄であり、なろうことなら、己が取って代わって、毛利の家を仕切りたいと思っているぐらいだ。

 だが、今の彼らにとって、高橋久光の存在は明らかに邪魔だった。邪魔以外の何物でもない久光が、仮にも先々代・毛利弘元の継室――現時点で毛利家の「王太后」とでも言うべき杉大方に対して、ここまで横柄な態度を取るということに、腹を据えかねていた。


 ……そんな彼らの思いを知ってから知らずか、ぬかづいた杉大方は、下を向きながらもよく響く声で言った。


「お願いでございます。この身を兄上に対する人質として差し出しますゆえ、なにとぞ、なにとぞ……毛利本家から多治比へ兵を出すよう、お願いいたします」


「……ほう、多治比へ兵とな」


 あごに手をやり、高橋久光は少し真顔になった。さすがに、石見・安芸にわたって勢力を拡大してきたの久光は、現状、安芸武田家が多治比へ兵を向けているだろうことは察していた。察していたが、毛利家を完全に牛耳りたい久光にとって、目の上のたんこぶである多治比元就を消す、良い機会だと思って、捨て置いていた。

 放置しておけば、安芸武田家が勝手に多治比を潰してくれる。こんなうまい話があるか――と。


「ふん、多治比が危ないというのは聞いておる。だが、なにゆえ、そなたが人質に? そなたは、この高橋久光の妹よ。いまいましいことにな。兄に、その妹を人質に出されたところで、何となる?」


 言外に、多治比元就が杉大方を人質に出したところで、無意味だと言っている。


「……では、兄上は、わらわに人質の価値は無い、と」


 杉大方は額づいたまま、しかし、異様な迫力をたたえた声を出した。

 高橋久光は、それに対して、またしてもこの兄に対する不遜よ、と鼻息を荒くする。


「さような聞き分けのないところが、わしが、お前の嫌いなところよ! いい加減にしろ! いいか、腐っても兄妹のだ。命の保証はしてやる。だがそれだけだ。それが嫌なら、多治比に戻るが良い!」


 相合元綱をはじめとする諸将がざわめく。

 杉大方の後ろで頭を下げている、宿老・志道広良も、これは駄目かと渋い顔をする。


 ……杉大方が顔を上げた。


「何をしておる? 誰が頭を上げよと言った? 頭が高い! もっと、もっとわしの気が済むまで頭を――」


「兄上」


 それは、ぞっとするほど冷たく、美しい声だった。

 気づくと、杉大方は立ち上がっていた。


「そ、そなた、頭が、高い、と」


「兄上」


 杉大方が、す、と懐中に手をやる。次の瞬間、その手には、ひと振りの短刀が握られていた。


「そ、そなた」


 高橋久光は、殺す気か、と、あろうことか、幸松丸の背後に下がった。

 相合元綱らは、何も言えずに、固唾かたずを飲んで見守るしかなく、座したまま、動けずにいた。


「兄上」


「な、なんだ」


 震える声の久光に、静かな声の杉大方は、その短刀を抜いた。


「覚えておいでか。これなるは、妾が輿入れするとき、われらの父上より賜った短刀なり」


「そ、それは」


 久光と杉大方、その亡父からの贈り物。さすがに久光は、その時のことを思い出し、たしかにその短刀だと認識した。


「よいか、兄上」


「…………」


 異常な迫力をはらんだ杉大方に、もはや久光は何も言えなくなっていた。


「妾はな、この短刀により、弘元どのを、毛利を守るよう、亡父ちち上より、言われた。たといそれが――高橋の家相手であろうと、のう」


 ならばわしを殺す気か、と久光は怖気づく。

 幸松丸は何も分からず、ひとり、きゃっきゃっと笑っていた。

 杉大方はその幸松丸に微笑みながら、しかし凄みのある声を出す。


「勘ちがいするな、兄上。妾がこの刃を向けるは、兄上ではない……妾自身よ」


 そう言うと、杉大方は、短刀の刃を己が首筋に当てた。

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