拝読させていただきました。
声が大きい、というのは中世において重要な資質である、とどこかで読んだような気がしますが、元就もそうだったのですね。
畑を焼き、民を撫で斬りにせんとする敵武将、それに対する若武者。
舞台が整った感じですね。
これからいよいよ難戦に突入していく矢先の名乗り合い、一騎打ち、そしてタイトル回収。
続きが楽しみです!
作者からの返信
織田信長も声が大きかった、と伝えられております。
拡声器の無い時代では、かなりのアドバンテージだったのでは、と思います^^;
安芸の支配者を標榜する武田元繁、その尖兵・熊谷元直。
ある意味、一番槍であるこの戦いにおいて、熊谷元直は容赦なく攻め立てます。
……しかし、その攻め立てる相手が、まさか未来の謀神であり、その謀神の伝説の始まりに出くわしてしまうとは、思いもしなかったでしょう^^;
ありがとうございました!
こんばんは、御作を読みました。
おおーっ、まさに決戦って感じの盛り上がりでワクワクしました( ´ ▽ ` )
しかし、謀将というよりは若武者という言葉が似合う突撃ぶりですね。
いえ、後の織田軍はともかく、東の桶狭間も「がむしゃらでした」と、部下が書き残すくらいがむしゃらだったのですから、西の桶狭間も死に物狂いなのでしょう。細やかな心情描写と情景描写で面白かったです!
作者からの返信
信じがたいことに、史実では熊谷元直が攻めてきたら即座に反応して迎撃に出ています。
……兵力が熊谷元直の四分の一なのに^^;
この人ホントに初陣なのと言いたいぐらい、冷静かつ大胆に戦いに身を投じているという……やっぱり化け物だな、この人という感想を抱きました(笑)
いやまあ、後世から見ると謀神・元就だから「さもありなん」なんですけど、拙作ではその辺は長井さんのバックアップがあるから、ということにしました。
長井さんが後方支援してくれるから、元就が戦略立案と戦術デザインと突撃(笑)に傾注できる、と。
……だってこの人、ただ突撃しているだけじゃなく、最初から最後まで計算して戦っているから^^;
織田さん、あんなに兵力兵站を整えることに執着するのは、やっぱり桶狭間の「がむしゃら」が響いたんじゃないでしょうか^^;
そういうのを見ていた藤吉郎さんが「こうした方がいいですよ」と言って来たから、「じゃあ」と出世させてそれをやらせたのでは(笑)
ありがとうございました。
こんにちは。
謀将のイメージ強い元就ですが、ここは自らが先頭切って戦うのですね。それだけ、殆うい初陣だったのかなと思いました。
渋い締め括りのナレーション。いよいよ血戦の火蓋が切られる緊迫感が伝わってきました。
作者からの返信
こんばんは。
私もこのお話を書くまでは、きっと元就は初陣も諸葛孔明っぽく、知略で何とかしたに違いない……そう思っていました(笑)
で、危うい戦いだったのは事実なんですが、それ以上に元就が意外と好戦的だったらしいのです。
史実だと、この後の「本戦」も、家老がやめろと必死に説得するのを無視して自ら突撃するという、やばい戦いぶりですし^^;
締め括りのナレーションは、やっぱこういうのやりないよなぁ、という作者の野望がかなった瞬間でもあります(笑)
緊迫感を感じていただけて、何よりです。
ありがとうございました。
元就が声が大きい、というのは意外!でもリーダーとしては大切な資質ですね。兵を鼓舞するには。スピーカーも無い時代ですし。
広島人なのに、「西の桶狭間」と言われる戦いをなぜ知らなかったのか、と思います!いつか聖地巡りしてみたいです!
作者からの返信
資料を読んでいると、そんな記述があったので、声大きい説を採用しました(笑)
まあ私の広島県の男の人のイメージは、男塾塾長・江田島平八なんで(ひどい(笑))、その辺が影響したかもしれません。
いや、江田島平八、私は好きなんですけどね^^;
毛利家というと今は山口県という印象が強いため、元就の初陣自体、そこまで広島県内で知られていないかもしれません。
私もwikipediaと現地の公民館のHPで詳細を初めて知ったくらいですから。
私もコロナが落ち着いたら見てみたいものです^^;
ありがとうございました。
敵は4倍。
厳しい差ではありますが、これを抜けないと次が無い。
あ、大将が挑発されてる。
周りを見ずに突っ込んできてくれれば……。
作者からの返信
この人の生涯って、いつも何倍もの敵を相手の合戦ばっかりなんで、ヤン提督あたりから同情されそうです。
しかもこの時が初陣というトンデモさが泣ける。
熊谷さんに限らず、安芸武田家の人たちって、まず突っ込むタイプばっかりです。
蒲生氏郷かよ、お前らは……と資料を見ていて思いました。
でも、この時の芸州の武士って、こんなんばっかりだったかもしれません。
他ならぬ元就さんも、実際は魍魎の武丸みたいに突撃大好きっ子みたいなんで。
この初陣でも、志道に「突撃するなよ、絶対突撃するなよ」と言われてるのに、突撃しているみたいだし……。
ありがとうございました。
編集済
伊勢新九郎のような知謀……元就は天才肌ではなく努力派のタイプだったのでしょうか。そして、こんな場面で、その新九郎と同名だと長井に名乗らせる。四谷軒さんならではの飄逸な作風ですね。
百五十VS六百とあらば、知謀を巡らせるしかありませんが、御館さまの御為ならと配下をその気にさせて、実力以上の戦意を昂揚させるのが最良の策かもしれませんね。
作者からの返信
「謀(はかりごと)の多きは勝つ」「芸事より謀」と言っている元就さんなんで、考えに考え抜くタイプだったのではと推察します。
長井新九郎……こう名乗っていたこともあると伝えられているので、これ私が使うしかないだろうと思い(笑)、使わせていただきました。
元就としては、毛利本家の軍に対する命令権が無い(というか高橋久光に押さえられている)ので、多治比の手持ちの軍だけです。
で、多治比防衛という観点に立てば、その多治比の軍も沸き立つという作戦なのでは……と資料を読んでいて思いました。
歴史ものを書いていると、たまにこういう「なるほどな」があるので、そこが楽しいですね^^;
ありがとうございました。
ついに始まりましたね。読んでてゾクゾクしてきます。
果たして、長井さんや兵たちに告げた策とはどういうものか……
作者からの返信
知らんぷりして異世界ファンタジー戦記として翻案して書いてもおかしくないぐらい、「決まっちゃってる」この状況(笑)
果たして元就の策とは。
ちなみに史実の元就はガチンコ勝負に出ています。
この人、本当は北の軍神よりヤバいお人なんで……^^;
ありがとうございました。