26 初陣

「……で、どうやって戦うつもりなんだ?」


 かつての法蓮坊――長井は遠慮なく、道端に立ったまま聞いた。

 彼には肌の感覚として、敵が迫って来るのをひしひしと感じており、時間を惜しんだのである。

 多治比元就は、まずは緒戦を、と言って、これからの策を述べた。


「――という策だ」


「ほう」


 長井は、元就が無策に、我武者羅がむしゃらに戦うつもりなら、献策しようと思っていたが、当てが外れた。外れたが。


「面白い。よく思いついたな」


 長井は面白くてたまらなかった。こんな面白いことを考える奴が、自分以外にいたとは。


「私にはしか賭けるものがない……なら、なるべく高くして、賭けようということだ」


 元就は、自分に伊勢新九郎のような知謀があれば、もう少しましな策を思いついたろうが、自嘲した。

 今より三十年ほど前、室町幕府に仕える身でありながら、駿河に下向し、今川家のお家騒動を鎮圧してその功により城を獲得、そして伊豆へ討ち入り、さらに相模を……と、嵐のように平定していった、伝説的な武将・伊勢新九郎。

 この乱世において、旧秩序を打破し、自らの領土を得て、覇を唱えるというその壮挙は、多くの武将たちのであった。

 歎息たんそくする元就に、長井は片目をつぶりながら、言った。


「ああ、そういえば」


「なんだ、長井どの」


「そういえば、おれの名は長井という……その伊勢新九郎にあやかってな」


「え?」


「だからおれのことは新九郎と呼んでくれ」


「ええ……」


 元就が戸惑っている間に、が聞こえた。そして何かが燃えるがしてくる。

 元就の腹心・井上光政が「御免」と言って、音とにおいのする方へと向かい、そしてすぐに、多治比の兵数名を連れて戻ってきた。


「御館さま! 熊谷元直、多治比へ襲来、奴ら……村のそこかしこに、付け火を……!」


 光政は悔しそうな表情を浮かべる。

 時は秋。

 稲穂が実り、収穫は間近であった。

 敵は今、その稲田に火をつけ、燃やした。

 奪うでもなく、燃やした。

 その燎原の火は、多治比の山里の村人の家にも回りつつあった。


「やりやがったな」


「うむ」


 渋い顔をする新九郎と、目を閉じる元就。

 この時代、敵地を侵略するときにおいて、放火により火攻めすることは、常套手段であった。


「……で、やるのか?」


「ああ」


 新九郎に聞かれて、そう答えたものの、元就は少し困ったような顔をした。


「そういえば」


「おい、多治比どの。まさかお前も新九郎だとか言うなよ」


「私は少輔次郎しょうのじろうだが……そういえば、ひとつ困ったことに、今、気がついた」


「なんだ? 言ってみろ」


「そういえば私は、初陣がだった。果たして戦の作法とか、満足にできるかどうか」


「……くくっ」


 新九郎は笑いをこらえるのに必死だった。

 この期に及んで作法とか。

 もう少し、勝てるかどうかを気にしろよ。

 ……そう言いたかったが、今は敵襲の真っ最中。


「……いいから」


「……新九郎どの?」


「いいから、やりたいようにやれ! 変だったら、おれが何とかしてやる!」


 新九郎に押されて、元就は、光政たちの前に出た。

 いつの間にか、城からも多治比の兵が出てきて、元就の周りに集まってきた。

 元就は何か演説すべきなのかな、と新九郎の方を見た。

 新九郎がうなずく。


「……よし、皆の衆、聞いてくれ!」


 元就は声の大きいことで知られている。

 今、その大音声が、多治比の山里に響く。


「今、安芸武田家は、その兵の数にたのんで、毛利を、多治比を攻め滅ぼさんと来ている! 吉川は有田城にかかりきり! 毛利本家は、おそらく、兵を送れない!」


 多治比の兵数、およそ百五十。

 そのほぼ全員がうなだれた。

 しかし元就は気を落とさず、つづける。


「敵、熊谷元直は猛将だ。兵は六百。生半可な戦いはできない……だが、策はある!」


 元就は、新九郎に話した策を告げる。

 兵たちは、その策のに目を見張る。


「それでは、御館さまが一番危ないのでは……」


「百も承知だ。だが、この緒戦を抜けなければ、先へ進めん……安芸武田家を斃すことができん!」


 おお、と兵たちは唸った。

 御館さまは、守るだけではく、安芸武田家を――「項羽」武田元繁を斃す気だ。

 それだけ、やる気なのだ、と兵たちの意気は上がった。

 元就が抜刀し、出陣の号令を上げる。

 

「……勝ち目は少ない。だが、無いわけではない! いざ……いざ、出陣!」



「――こじき若殿? ふん、初陣ういじん前の青二才など、鎧袖一触、ひと息に攻め滅ぼしてくれる」


 三入高松城主・熊谷元直は、子飼いの三入高松の城兵に加え、周辺の国人を糾合し、六百の兵を率い、多治比へと襲来した。

 元直は、多治比の山里にたどり着き、稲田が今、実りを迎えているのを見ると、火をつけるよう命じた。


「安芸武田家の……安芸守護代の武田元繁さまの命である。多治比は根切りとする。稲などあっても、刈る者がいなくなる……よって田も家も、焼け」


 根切りとは皆殺しであり、元直は、多治比の将兵どころか農民まで皆殺しにするつもりであった。

 かつ、多治比鎮定を一挙に終わらせたいという目的もあった。精鋭とはいえ、やはり武田元繁本隊から切りなされた別動隊ではある。仮に、毛利本家や高橋久光、果ては吉川家まで出張ってくるようなら、退かざるを得ない。


「が……退くなど、もってのほかよ」


 熊谷元直の熊谷家は、源平時代の熊谷次郎直実くまがいじろうなおざね以来の武門の名家である。元直自身の武将としての誇りもある。

 安芸武田家の安芸平定は目前であり、その戦いにおいて、大功をてておきたいという野心もある。

 元直はそのためにも、多治比の田や家に火をつけ挑発し、多治比元就とその兵が出てくるよう、煽ったのだ。


「出てこい、こじき若殿! みすぼらしく命乞いをするのなら、許してやっても良いぞ!」


 元直は、進軍を命じた。

 何も反応が無いのなら、それも良い。

 このまま、多治比猿掛城もとしてくれよう。

 

「……焼け! 燃やせ! 炎と共に、進め!」


 馬上、元直が高らかに号令を上げる。

 熊谷家重代の兜の鍬形くわがたが、炎の輝きを受けて、煌めいた。


 瞬間。

 その鍬形に。

 一本の矢が、激突した。


「……がっ」


 衝撃により落馬するのをこらえ、元直は何者と、射手を探す。

 その射手は、ほむら立つ多治比の野に、馬上、超然と弓を構えていた。

 元直は、その射手が何者かは誰何しなかった。

 この多治比において、元直に弓矢を向ける者、それは決まっている。


「……おのれ!」


 元直が馬を馳せ、抜刀する。


「われこそは、熊谷次郎三郎元直なり! いざ、いざ!」


 射手もまた、弓を捨て、腰間の剣を抜き放つ。


「多治比少輔次郎元就、参る!」


 ……永正十四年十月二十一日。

 この日より、三日間にわたり、安芸の命運を賭けた戦いが始まる。

 それは、有田中井手の戦いといい、国人領主である多治比元就が寡兵を率い、圧倒的多数の守護代・武田元繁の大軍を相手にしたことから、こう称される。


 ――西の桶狭間、と。

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