24 姫武者の出陣

「え? ちょっと? これって……」


 雪が赤面しながらも戸惑う中、月山富田がっさんとだ城の城主の間に、当主・尼子経久の弟にして腹心の、尼子久幸が「御免」と入ってきた。


「おお久幸……して、安芸の様子は?」


 経久は、雪が取り落とした書状を拾いながら、久幸に問うた。

 久幸は一礼してからこたえる。


乱波らっぱ(忍び)からの連絡つなぎによると――安芸武田家・武田元繁、兵数およそ五千に達し、かつ、麾下きか三入高松みいりたかまつ城主・熊谷元直に一軍を与え、進軍を命じたとのよし


「うむ。して、征く先は?」


「……多治比」


「多治比!?」


 雪はようやく正気に立ち戻ったが、猛将との誉れ高き熊谷元直が、ついに多治比へ進軍と聞いて、居ても立ってもいられなくなる。

 そんな雪を見て、経久は落ち着けと座らせた。

 久幸の報告は、まだ終わっていなかったからである。


「済まぬ、久幸。つづきを」


「……は。その多治比でございますが、多治比元就どの、御母上である杉大方すぎのおおかたさまを、吉田郡山城に人質に差し出したとの由」


「人質? 同じ毛利なのに!?」


「落ち着け! 久幸、それは――高橋久光に対して、ということだな?」


「ご明察」


 久幸はうやうやしくこうべを垂れた。


「……しかし、杉大方も元は高橋。それが人質としてていを成すかどうか」


 報告しておいて、久幸は得た情報に疑問を呈す。

 しかし、経久は元就の書状から、杉大方が吉田郡山城へ向かった理由を察した。


「いや……多治比どのは恐らく、杉大方を、母を守ったのだ」


「と申されると?」


「多治比が戦場となれば、城を奪われるやもしれぬ……であれば、杉大方を遠ざけ、かつ、いざとなれば高橋久光と共に石見いわみへ逃がれられるように、図ったのだ」


「なんと」


「…………」


 元就が杉大方をまるで女神であるかのように敬い、大事にしていることはに伝わっている。

 家臣に城を奪われ過ごした少年時代。

 その時、そばにいて支えつづけたのが、杉大方だ。

 そこまで考えて、雪はと気がついた。

 

 元就は大事な存在である杉大方を、戦場から遠ざけた。

 ひるがえって、自分はどうだ?

 この出雲へ、月山富田城という難攻不落の、しかもこの世で最も強いと思われる尼子経久の元にたどり着いている。


「こ、これって……」


「そうだ、雪」


 経久は、あまりこんな爺から色恋の指南など、されたくないだろうがな、と断りを入れてから、言葉をつづけた。


の口車というか、勢いに押されて、雪よ……お前は、とこの月山富田城へ導かれた」


 そういえば、そうだ。

 冷静に考えれば、独立する安芸武田家に対して、などと、矛盾もはなはだしい。


「多治比どのは、まあ……それだけ、お前のことを守りたい、と思ったのだろうよ」


 敬愛する杉大方よりもにだ、と経久が付け加えると、雪は頭を抱えた。


「……えーと」


 雪は、どう反応したら分からないぐらい動揺し、城主の間をうろうろと動き回った。

 どうしよう。

 こんなこと、考えたことが無かった。


「…………」


 悩む雪をよそに、経久は元就の書状を蝋燭に近づけ、火をつけた。

 仰天する雪。


「ちょ、ちょっと何を、何をなさるのです! じじ様!」


「……阿呆か」


 経久は語る。本来なら、このような機密に属する事柄は、もらった時点で燃やすべきなのだ、と。

 尼子家とて、安芸への野心はあるし、この書状をそのまま安芸武田家に渡せば、武田元繁にとって、多治比の状況や元就の思惟思考が知れて取れる。

 だから、読んだら即燃やして捨ててしまうというのが、最も誠意のある対応だった。


「……大体、王朝の頃でもあるまいし、お前もしや、この書状を、多治比どのをしのよすがとするつもりか?」


 そんなでもあるまい、と経久は言い、雪がその言葉の意に気づいて怒り出すその前に、言葉をつづけた。


「で、どうするのだ、雪?」


「ど、どうするって……」


 どうしたらいいのか分からない。

 でも、少なくとも、多治比元就に会わねば。

 会って、話がしたい。

 こんな、まだるっこしい書状などではなく、直に会って……。


「……あ」


 雪がそれに気づいたときには、経久は久幸に命じてうまやへ行かせていた。


「もし、今、多治比へ戻らねば、もう二度と元就さまに会えない……?」


 多治比元就は、血戦に挑むからこそ、雪を、杉大方を避難させた。それはつまり、その血戦は、元就本人の命の保証が無いということだ。

 守り切れる自信がないのだ。

 いけない。

 このままでは多治比元就に会えないし、共に命を長らえるとか、もってのほかだ。

 行かねば。

 行って、今度こそ、心の底から語り合い、本音を告げねば。


「多治比へ駆けつけたい……!」



「久幸」


 気がつくと、経久が、城主の前の前の庭にいる、厩から戻った久幸に声をかけていた。

 久幸は、とある馬の手綱を引いていた。

 雪は、経久に誘われて、庭に下りる。


「……絶風ぜっぷうという」


 経久が、馬の方を向きながら、言った。

 たしか経久が、わざわざ遠くみんから仔馬の頃に取り寄せて、そして自ら鍛え上げた駿馬。


「一日、千里とまではいかぬが……今、安芸の多治比までに行くのなら、こいつが一番速い」


「そうですか……」


 ぶるる、と絶風はいななき、雪の顔をなめた。


「く、くすぐったい」


 経久は笑った。久幸も笑う。


「どうやら気に入ったらしい、お前のことを」


 そう言って、久幸は雪に、絶風の手綱を渡した。


「久幸さま、何を」


「兄上が、お前にくれてやるそうだ」


「じじ様!?」


 天性無欲正直の人、尼子経久。

 物欲しそうにすれば、松の木まで切って渡そうとする男だ。

 経久は今、単なる名馬ではなく、己が鍛え上げた愛馬をくれてやると言っている。


「……多治比元就、彼奴きゃつは雪、お前と、母である杉大方を逃がしておいて、己はまだ多治比に居る」


 経久は片手を顎にそえて、にやりと笑う。


「……つまり、彼奴は、があるということだ」


「に……逃げないでいるだけの理由?」


 分からんか、と経久は雪に言う。


 多治比元就は、かつて城を失った。

 尼子経久もまた、かつて国を失った。

 だから分かる。

 そういう奴が、不利と思われる状況から逃げないということは。

 という算段があるということ。


「……彼奴には勝算があると見た」


「勝算? しかし……敵はたしかもう五千にも達すると……」


「ふむ……まあ、勝ち目は少なかろう」


 だが、と言って経久は、愛馬だった馬をなでる。


「勝ち目がわずかでもあるのなら、退くまい……そうだろう、雪。お前はあの男のことをずっと見ていた。いや、今さら否定するな。どうなんだ、雪?」


「…………」


 雪はうなずく。

 あの日、宮島にて、誰にも声をかけられなかった自分の手を取ってくれた元就。

 小倉山城にて、あの堅い兄・吉川元経相手に、安芸国人一揆へと招じ入れることに成功した元就。

 諦めない男だ。

 そういえば、城を失った時も、旅の老僧の導きにより、諦めずにその逆境に立ち向かったと聞く。


「元就さまは退きません……勝ち目がわずかでもあるのなら、戦う!」


 そうだな、と言って経久は笑った。


「では行け、雪。絶風に乗って」


「……かたじけのうございます。ありがたく頂戴いたします」


 雪は武家の娘らしく、礼儀正しく頭を下げた。

 さすがは鬼吉川の妙弓よ、と経久はその一礼の凛々しさに感服した。



 尼子経久の妻・吉川氏は、輿入れの時に持参した、女物の甲冑を持ってきて、姪の雪に着せ、そして武運を祈った。


「おばさま、感謝いたします」


「鬼吉川の妙弓として、おくれを取らぬように。そしていざとなれば、尼子へ来るがよい」


「ありがとうございます」


 一時、外した尼子久幸が戻って来る。

 経久が何か新しい情報が入ったのかと問う。


「吉川元経、動かぬとのこと。有田城を渡すということで、安芸武田家との交渉をつづけようとしている様子」


「そうか」


 家を守るという意味では正しい判断だ、と経久は思った。


「仮に、同盟相手である毛利が、多治比が攻められたら、どうだ」


「……おそらく、弟の宮庄経友あたりを出すぐらいが関の山」


 それも間に合うかどうか、と久幸は悲観的だ。


「――兄上たちが間に合わなくとも、わたくしが!」


 雪は絶風にまたがる。

 祖父である、鬼吉川・吉川経基から譲られた弓を背に、手綱を引く。


「さらばじゃ、雪。そして絶風よ……わが姪を届け、そして守ってくれ」


 絶風がいななく。経久との別れを惜しむように。


「では……いざ、多治比へ!」


 姫武者が、鬼吉川の妙弓が、多治比へとつ。

 元就に会うために。

 そして……元就を助け、共に戦うために。

 そのために、幼いあの日、厳島で出会ったあの日から、己を鍛え上げた。

 吉川のとなるために。

 こじき若殿と呼ばれ、蔑まれたあの人を支えるために。

 自分にできる、最善の努力として。


 ……天の三ツ星が、月山富田城から疾風のように駆けだす絶風と雪を、いつまでも見守っていた。

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