09 深芳野(みよしの)

 元就は多治比猿掛城に戻り、深芳野を継母・杉大方すぎのおおかたに預けると、即座に兄・毛利興元のいる吉田郡山城へ向かった。

 興元は元就から、佐東銀山城で起こった出来事を聞くと、頭を抱えた。

 これが呑まずにいられるかとばかりに、興元は酒を取り出したが、元就の視線を受けて止める。


「……すまん」


「兄上、気持ちは分かりますが、酒は今後を考えてからに」


「分かった」


 興元は酒杯を持ったまましばし思案し、やがて何かを思いついたのか、酒杯を置き、筆をった。

 興元は書状をしたためながら、元就に話す。


「多治比どの、その女性にょしょうを助けたのは、幸いだった」


「ですな」


「大内義興さまには、まず安芸武田の叛乱を告げねば……また、その深芳野姫をどうするかを考えておかぬと、義興さまの面子めんつが……うっ」


 そこまで言って興元はうめいた。

 元就は思わず興元のそばに駆け寄り、興元の背をさする。


「兄上、いかがした」


「す、すまぬ。ちと、の大きさにのう……」


 興元は大丈夫だと言って、筆を動かし、書状を完成させた。


「よし、できた……これを早馬にて、京にいる志道しじに届けよ」


 京には、大内義興と交渉をしていた、毛利家宿老の志道広良しじひろよしが、まだ逗留していた。興元は、これ幸いと広良に大内義興への事態の説明を、書状にて委ねた。


「しかるのちに……志道の投宿している妙覚寺から、が来るように書いた……」


 あいつとは何だ、と元就は思ったが、興元が苦しそうにしているので、余計な茶々を入れるのをやめた。

 興元はあえぎながら話す。


「……が来たら、深芳野姫を預けて、連れ帰ってもらう……志道には義興さまへの報告が終わり次第、急ぎ安芸に戻ってもらい、今後の策の相談と、安芸武田への備えをしてもらう。それゆえ……に姫の還御かんぎょと姫の今後を……」


 そこまで言ってから、こらえきれずに興元は酒杯をあおった。

 と言ったり、酒の呑み方も激しくなっており、興元は心が不安定になっているのかと元就は心配になった。


「兄上……」


「大事ない……は……法蓮坊は、頼りになる奴だ……京で……船岡山でのいくさでも……」


 そこまで言って、興元は眠くなったのか、あくびをひとつして、その場に伏して、寝入ってしまった。


「兄上……」


「あらあら」


 いつの間にか来ていた興元の正室・高橋氏が来て、着ていた打掛うちかけを興元にかけた。


「すみませんね、多治比どの」


「いえ……」


「この人も、幸松丸が生まれて、いろいろと頑張らねばと……それで……」


「そうですか」


 興元の嫡子・幸松丸は生まればかりで、興元としては、公私にわたって、このごろは忙しくしていた。

 元就はひとつ息を吐いてから、高橋氏に言った。


「では兄上は寝かせておいて下さい。あとは、私がいろいろとやりましょう」


「そうですか? それは助かります」


 高橋氏は礼儀正しく頭を下げて、元就に謝意を表した。

 変に叛意を探ったりしないところに、さすがは名門・高橋家のむすめだと感心し、そして元就は早速、興元の書状を届けるべく、うまやへ向かい、早馬を頼むのだった。



 元就が吉田郡山城にて、当面の外交上の指示や内政の処理、兵の調練を終え、多治比猿掛城に戻るころには、日がとっぷりと暮れていた。

 秋風が吹き、枯れ草が揺れ、元就の身に寒さが伝わる。


「おお、寒」


 木々の色づいた葉が落ち、風に揺れ、かさこそと音を立てる。


「こんな日は、母上の作る鍋でも食べるに限るな」


 餅でも入れると最高だ、と考える元就。餅のことを考える間は、寒さを忘れられた。

 ……そうこうするうちに、目に城の影が映り、炊煙が浮かんでいるのが見えた。


「いいにおいだ」


 元就は馬を馳せ、急ぎ、城に入るのだった。



 城に入ると、女同士のきゃっきゃっと楽しそうに話し合う声が聞こえた。


「ああそうか、深芳野姫がいるんだった」


 深芳野は、元就の継母の杉大方と意気投合し、城にある草紙を読み合ったりしていた。


「しかし面妖だな。草鞋わらじは三組ある……」


 そこまで気づいた元就は、やはり吉田郡山城へ戻るかときびすを返したが、遅かった。


「遅いではないか」


 元就の背に、若く、きびきびとした声がかかる。杉大方の優し気な声や、深芳野の柔らかな声とちがう、弾けるような澄んだ声。


「……吉川きっかわ家の姫御前ひめごぜが何故ここに?」


「姫御前とか、わざわざな言い方」


 振り返ると、吉川家の姫・雪が、ふんと鼻を鳴らす。


「……いいか、多治比どのが佐東銀山城から、武田どのの花嫁御料を奪ってきたと聞いて、わたくしはそれをたしかめに来た」


「奪う? 随分な誤解だ」


 そこで元就は声をひそめて、捨てられたのだ、と言った。深芳野に聞こえることをはばかってのことである。


「ほうほう……で、拾ってきて、その境遇につけ込んで、と……」


「……さっきから、何が言いたいのか? あと、よく考えたら、勝手に人の城に上が……」


「あっ、そうだ! お鍋のしたくをしているんだった!」


 わざとらしく雪は叫んで、ぱたぱたと城の奥へ消えていった。


「……やれやれ」


 ため息をつきながら、元就は、城内へ上がる。

悪い気はしなかった……が、慎まねばならないと、自分を戒める。

 大切なものは、いつだって突然、奪われるのだ。

 後悔しても、遅い。

 城を失ったときは、幸運により、取り戻すことができた。

 だが、今後もそうとは限らない。

 大切だと思うからこそ、遠ざけておかねば。


「…………」


 沈思する元就の背に、今度は杉大方が来て、夕餉ゆうげはできていますよと優しく声をかけた。

 元就は沈痛な面持ちを変じて、笑顔になって、すぐ行くと答えるのだった。

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