10 法蓮坊(ほうれんぼう)
「
その美僧は、遠慮なしに吉田郡山城に上がり込んだ。
年のころは、二十三か二十四か。
僧侶というには、蓄髪により、ふさふさとした総髪を垂らし、大きな体躯もさることながら、獅子を思わせる美丈夫であった。
「よく来た」
城主・毛利興元は手を取らんばかりに法蓮坊を城主の間へ連れ込む。
一方、怪しげな者が来た、と、城主・毛利興元の夫人は、子の幸松丸を伴って奥へ引っ込んでしまった。
「美人じゃのう、奥方は」
「……運が良かっただけだ」
侍であり、国人である以上、政略結婚は免れぬ。そのような中、おのれの好みの女人と夫婦になるなど、よほどの偶然か好運でもない限り、無理だ。
興元は、自分の正室が、好みに合う女だと暗に言っていた。
「つまりはのろけか、毛利の殿よ」
「戯れはよせ、法蓮坊。あと、おぬしとて、美濃へ戻れば、長井家の若殿だろう」
「まあな」
法蓮坊は遠慮なく、ごろりと城主の間に横になった。そしてあろうことか鼻をほじりながら、「で、その女はどこだ?」と興元に聞いた。
このとき、城主の間に駆けつけた毛利家宿老の志道広良が、眉をひそめた。
興元は手振りで広良の抜刀を抑えながら、こたえた。
「多治比だ。弟が城主をしている」
「そうか」
法蓮坊は鼻に指を入れながら、興元に多治比への道を聞いた。そして鼻ほじりの成果に満足したのか、やがて指を出し、成果を弾き飛ばしながら立ち上がった。広良が目を見開くが、興元に制される。
「では行ってくる」
「もうか」
「
「何故だ」
「父から、美濃へ帰れと言われておる」
「そうか」
興元は、では別れの酒を、と広良に用意させようとしたが、法蓮坊はそれを止めた。
「……よせ。京で見送りをしたときも言うたではないか、おぬしは酒が多すぎる」
不真面目な態度の法蓮坊であったが、この時ばかりは真面目な表情だった。
ではの、と、法蓮坊は編み笠を
*
広良が厭そうに法蓮坊の弾き飛ばしたものを懐紙でつまみながら庭に放り捨て、興元に聞いた。
「何なんでござるか、あの坊主は?」
妙覚寺に投宿していたが、あんな破戒僧は見たことが無い、と不審かつ不満げな表情の広良に、興元は、笑って説明した。法蓮坊は破戒僧ゆえ、滅多に寺にいない。ただ、住職に言えば、ふらりと出てくる、と。
「……大内義興さまに従って、京に赴いたときに知り
船岡山合戦。
応仁の乱とそれとは区別して、永正の船岡山の戦いとも言うそれは、大内義興が京を制圧するため、船岡山をめぐって、細川澄元との間に起きた合戦である。激戦として知られ、勝者となった大内義興は、朝廷からも認められ、公卿に任じられたほどである。
ただし、参陣した毛利興元にとっては、十代の若き日々に、生きるか死ぬかの激戦を経験したことにより、心に重荷を負ってしまう。
「――もう、
と。
*
それは、毛利興元が船岡山へ向けての進軍中の出来事であった。
――そこな御坊、そんなところで、道の真ん中で寝ていては、いかんぞ。
――ふむ。さっき通った安芸の武田とやらは、
――いや、道の真ん中で寝ていたら、それは押しのけられるだろう。
――ちがう! ちゃんと立ち上がって、
――道の真ん中で寝るような奴の言うことを聞いただけ、マシではないか。
――そうか? 史書を見ると、軍師という奴はこういう風に将と出会いをして、売り込む感じだったんだがなぁ。
――そういうのは後付けの伝説だろう。
そんな会話をしているうちに、興元と法蓮坊は、いつの間にか意気投合して、連れ立って船岡山へと向かった。
そして法蓮坊は、軍議に臨む興元に耳打ちした。
――
――そんな感じだな。副将の陶興房どのも、気が
――では言おう。堺を抑えておくよう、進言するのだ……退路を抑えるとか言ってな。
――どういうことだ?
――敵方な、細川政賢な……四国からの援軍を見込んでいるらしい。
法蓮坊は、敵将・細川政賢の動きを見て、その可能性に気づいた。
――なるほどな、その四国の援軍を止めるというワケか。
これが図に当たり、船岡山合戦は大内家の勝利に終わり、興元は大内義興に対して、大いに心証を良くした。
……やがて、法蓮坊は興元が酒に溺れるのを警戒し、帰郷を進めた。
――あの尼子経久がずらかるそうだ。便乗しろ。
興元も、弟が分家・多治比を興しており、それに、京の情勢も落ち着いてきたので、そろそろ領国に帰ってもよいかと思い、法蓮坊の策に従った。
そして二人は別れることになり、その折り、興元は何故自分にここまで尽くしてくれるか、法蓮坊に聞いた。
――なに、
そこでうまいこと、お前さんとめぐり合ったからな……と法蓮坊はそっぽを向きながらこたえた。彼は、父が美濃で立身出世を目論んでおり、それを受け継ぐにあたって、京において合戦の経験を積みたかったのだ。
……そして、馬の合う安芸の国人と出会ったという。
*
「さらばだ。
照れくささでつい、そう言って別れたつもりだったのにな……と法蓮坊は、多治比への道すがら、呟いていた。
山道をずんずんと歩いて行くと、行く手に城の影が見え始めた。
城の
「誰か来た、とでも城主に告げているのかな」
城の防備の活動としては優れている。そう思ったが、法蓮坊は、どうせまた、吉田郡山城のときと同じように、最初は不審者扱いされるかな、とも思った。
やがて城の影は大きくなり、見ると、城門の前に、一人の若者が立っているのが見えた。
「法蓮坊さまでいらっしゃいますな。私は多治比元就。当城の城主です」
頭を下げる元就に、法蓮坊は感歎した。
「よく……
「この折りに、迷いなく
「……ふむ」
さ、どうぞ……と招く元就に、法蓮坊は鷹揚にうなずいて入城する。興元もやり手だったが、その弟もか、と感心しながら。
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