11 蝮(まむし)

「……深芳野みよしのと申します」


「法蓮坊でござる」


 深芳野と法蓮坊の初対面は、通り一遍の挨拶という、ごくごく平凡なかたちだった。

 しかし法蓮坊はあごに手をやると、とし出し、元就に呟いた。


い女だな」


 と言い、周旋するのが惜しゅうなってきたとも付け加えた。

 なぜか同席していた、吉川きっかわ家の雪は眉をひそめた。

 法蓮坊はその雪を見て、「こちらも佳い女だが、いかんせん子どもっぽいな」と元就に言った。


「何を!」


「……まあまあ、おさえておさえて」


 元就は、どうしてこうなったと思いながら、鼻息を荒くする雪を抑え、視線で継母の杉大方すぎのおおかたに助けを求めた。

 杉大方は嫣然と微笑み、


女子おなごを見る目はたしかなようじゃな……好みは置いといて」


 と袖で口を覆って、ほほ、と笑った。

 これには法蓮坊も貫禄負けしたらしく、「失礼した」と雪に詫びを入れた。


「それで」


 元就は場を仕切りなおすために、本題に入った。


「法蓮坊どのは、こちらの深芳野姫を、いかが周旋するつもりか」


 周旋とは、いわば嫁ぎ先から追い出されるかたちとなった深芳野を、素直に実家・飛鳥井家へ帰すわけにもいかないので、別の輿入れ先は無いか、とのことである。


「美濃の、土岐とき頼芸よりなりどの」


 法蓮坊の回答は、簡にして要を得ていた。


拙僧おれの実家の主家筋にあたる、美濃の守護の若君よ……どうか?」


 当時、美濃守護・土岐家は嫡男・頼政と次男・頼芸の家督をめぐっての争いが顕在化しつつあり、法蓮坊の実家の長井家は頼芸派だった。


「つまり、頼芸さまは今、家督をめぐっての暗闘でご心痛。そこを慰める相手が欲しい、と、ちょうど親父が言って来たのさ」


 頼芸はが趣味であり、雅な人だ。であれば、京の公卿の娘こそ、側室にふさわしい……と、法蓮坊は鼻をほじりながら言った。


「側室?」


 雪が睨む。法蓮坊は鼻をほじるのに熱中しながらこたえる。


「頼芸さまには正室がいる……そしてこの話は急だった。こらえよ」


 雪が法蓮坊の指を掴んで引っこ抜こうとしたが、元就がその雪の手をつかんでやめさせた。


「やめよ……そもそも、深芳野姫は、この話はいかが思われるか?」


 深芳野はその切れ長の目を伏せて沈思していたが、やがて顔を上げてこたえた。


「このお話、乗らせていただきます」


「おお」


「画が趣味なら……さすがに髪の毛を引っ張って引きずり出すとか無いでしょうから」


 深芳野はそう言って微笑んだ。

 法蓮坊は驚いて、鼻から指を抜いた。


「髪を引っ張る? 何だそりゃ?」


「ああ、それは……」


 安芸武田家の武田元繁による深芳野に対する狼藉のを見ていた元就が、法蓮坊に説明する。法蓮坊は珍しく真面目な顔をした。


「酷いな、そりゃ。こんな佳い女の髪を引っ張るとか……阿呆だな」


「それがこの国の守護代だから困る」


「何だかどこの国も大変だなぁ」


 法蓮坊はよいせっと言って、立ち上がった。


「それじゃ深芳野姫、早速、参ろう。その阿呆が……


「気づかない……?」


 雪が不審げな顔をした。

 元就はうなずいた。


「実は、それが気になっておった。そうしてくれると助かる」


「おぬしもか」


 法蓮坊が少し嬉しそうに言った。


「どういうことかえ?」


 杉大方が、元就に聞くと、元就はうやうやしく一礼してからこたえた。


「深芳野姫を、大内どのに対する人質なりなんなりにすることができる、と気づかれないようにです」


「人質」


「飛鳥井家は権大納言の家柄。そういうところとの、さらなる関係悪化は、大内家としても避けたいところ」


 ただでさえ、養女に出したとはいえ、姫である深芳野を輿入れ先である武田元繁に乱暴に扱われ、そして離縁という扱いになって、大内家と飛鳥井家は微妙な距離感が生じていた。

 それを、元繁が深芳野を取り戻して、幽閉するなり、他の大名に渡したりしたら、大内家としては立つ瀬が無くなってしまう。

 ただ、元就としては、その可能性は薄いとは思っていた。


「……まあ、を自任する男だから、そこまではしないと思いますが」


「項羽?」


 法蓮坊が元就の言葉を聞いて、片方の眉を上げた。


「……随分な男だな。しかも、自らどういう奴かと喧伝してやがる」


「そういうものかな……」


「そういうものさ」


 さて、と言って、法蓮坊は編み笠と錫杖を手に取った。


「では、深芳野姫、行くとするか」


「……あい」


 深芳野がすっと立ち上がる。

 ぞっとするほどの美しさだな、と元就が眺めていると、横から雪が自分を凝視しているのに気がついた。

 法蓮坊は遠慮なしに言う。


「……ほんに、何でこんな佳い女を手放すか、分からん。やはり武田元繁とやらは、阿呆だな」


「ほほ、では……法蓮坊どの、もし土岐どのがだった場合、そなたが妾をもらってくりゃれ」


「……ほう」


 法蓮坊は目をぱちくりさせて、深芳野を改めて見て、そして笑った。


「結構結構。頼芸よりなりさまがだったら、拙僧が受け合おう」


 ……こうして、法蓮坊と深芳野は一路、美濃へ向かって旅立った。


 法蓮坊。

 のちに還俗して、やがては父と子、二代で美濃の国を盗る男、まむしの道三こと、斎藤道三である。

 そして深芳野は、土岐頼芸の側室となるが、そののち、紆余曲折があって、道三の愛妾となる運命にあった。

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