06 安芸(あき)武田
新羅三郎義光以来の源氏の名門。
それが、武田家である。
武田家にはいくつかの家に分かれ、著名なものは、やはり甲斐の武田家であろう。
他に、房総に
安芸武田家は、安芸の守護代を務めていたが、周防の大内家からの侵略に耐えかね、永正の時代には、従属を余儀なくされている。
……出雲の
*
「……婚礼!?」
小倉山城。
その城主の間で、兄弟姉妹そろって
「誰が、誰とだ」
次兄・経友が、隣の雪の凝視に耐えかね、元経に聞く。
元経はひとつため息をつき、箸を動かしながらこたえた。
「安芸武田家当主・元繁どのと、大内義興さまの養女がだ」
「なんだ」
あからさまな雪の反応に、元経の眉がぴくりと動いた。
「なんだとはなんだ、雪。誰の婚礼だと思ったんだ」
まさかお前ではないよな、と元経は暗に言っていた。雲州の狼・尼子経久に可愛がられており、女だてらに武芸を磨いている雪は、実は嫁の貰い手からは敬遠されていた。
知らないのは、当の雪本人であり、しかも引く手あまただと誤解しているふしがある。
「……わたくしは、じじ様、ではない、尼子経久さまに認められた方でないと駄目と言われておりますゆえ」
ほほ、と笑声をわざとらしく上げる雪の隣で、経友が「別にじじ様はそんなこと言ってない」と呟いた。
「……痛! おい、雪、兄の尻をつねる奴があるか!」
「……は? 嘘つきを罰したまでです」
「こいつ……」
「やめよ、二人とも。せめて朝餉が終わってからにしろ」
まったく……と言いながらも、元経はいつもの朝だな、と、なぜか感慨にふけった。
……それは、この武田元繁と、大内義興の養女の婚姻が、そしてその結末が、安芸を大いなる動乱の渦中に投じることになることを、無意識に予感していたのかもしれない。
*
京。
管領代として、天下を取り仕切る立場になっていた周防の戦国大名・大内義興は、ついに決心した。
「必ずや、
安芸の毛利家の宿老・
のちの織田信長や、豊臣秀吉のように、近畿に本拠をかまえるのならいざ知らず、大内義興の領国は、飽くまでも周防とその周辺の中国地方であり、北九州のあたりである。
かつ、
「日明貿易を支えているのは、わが大内家だ」
莫大な利益を生み出す日明貿易。これを室町の世において、永正の時代において、今、実のあるものとして実行できるのは、大内家をおいて他にない。
その自負が、大内義興にあった。それは、山口や博多という、大内家の領国にある港があってこそだ。
その領国と、京との間の連絡が断たれる。
――それは、大内義興にとって、死命を制すことを意味する。
「しかし今、京から離れるわけにはいかない」
その日明貿易について、細川家から、大内家のものとするよう、将軍家に対し働きかけており、それが今、大詰めに差し掛かっている。
「――だからこそ、
折りしも、その毛利家の宿老の志道広良が、毛利興元の献策を伝えてきた。
安芸武田家の武田元繁を帰国せしめ、尼子に当たらせよ、という献策を。
「興元の言や良し」
大内義興の度量のあるところは、そういう、半ば離反したかたちになっている毛利家の発案をあっさりと採用するところにあった。
そして――義興の優れたところ、すなわち天下を取れたゆえんは、その案をさらに、一層深みのある味付けにして実行するところにあった。
*
「元繁を呼べ」
義興は重臣である陶興房に命じて、従軍している安芸守護代・武田元繁を召喚した。
「……お召しですか」
早速に、
自分は大内家の家来ではない。
京に兵を率いてきたのも、ひとえに将軍・足利義稙公の復権という、いわば正義の戦いがあればこそ……そう、元繁は思うようにしていた。
それが、なんだ。
今もこうして、大内義興は、自分を軽く呼びつけてくる。
「…………」
そういう元繁の内心を見透かしているのか、義興は、元繁をじっと見つめていた。
元繁は頭を下げて、その視線を
「さて元繁どの、今、
「……さようでござる」
後世に伝わる、この時点での武田元繁の身の上は、嫡子・光和はいるものの、正室を置いてはいない。
「…………」
義興の探るような目線。
抗しきれず、元繁はつい、口走る。
「……正室が何でござるか?」
「いやいや、『項羽』とも
義興は髭をしごきながら、愉快そうに言った。
元繁としては、この傑物の言うことの意味を図りかね、あいまいにうなずく。
「いや、
元繁は「おれの正室に、何か胡乱な者を迎えさせる気か」と警戒した。たとえば、大内の家臣の誰かしらの
だが、大内義興の考え、というか構想はそれを大きく上回るものであった。
「慎み深いことよのう……であればこそ、わが
娘? 今、娘と言ったのか?
元繁はわが耳を疑うが、義興の脇に侍す陶興房も、うんうんとうなずいており、聞き違いはないらしい。
おれが……大内の
「
義興はほくそ笑みながら、そう言って話をつづけた。
さすがに驚愕を隠せない元繁は、その話をただ聞くのみ。
「……聟どの。予に娘はおらぬでな、公卿の飛鳥井家から養女を迎えた」
過去形で語っているところに、すでに手はずは着々と進んでいる気配を示す。
「ゆえに、だ……聟どの。これより日取りを選んで、婚儀を挙げていただく……いちおう、聞いておくが、不満か?」
疑問形で敢えて聞いてくるあたり、義興の自信のほどがうかがえる。むろん、拒否すれば、元繁の命は無いものと思われる。少なくとも、それだけの凄みのある発言であった。
「……不満など、ございませぬ」
「そうか」
義興は破顔し、では婚儀を終え次第、安芸へ戻ってくれるな、と、さり気なく言った。
「……安芸へ?」
「そうじゃ聟どの。予の
「尼子討伐でござるか?」
養女とはいえ、
元繁は、安芸の国人一揆の動き自体は把握していたが、安芸守護代の家柄である自分をおいそれとは帰すまいと思っていた。虎に翼だ。安芸に戻った瞬間、牙を
しかし、今ここで、大内義興は、武田元繁を、いわば養子に迎えるかたちで取り込んできた。義興には嫡子・義隆がいるが、それに次ぐ地位を約束していると言っても過言ではない。
ゆくゆくは、安芸における支配権を約束し、大内家における管領的な役割を与えられるのではないか。
「……あとは、卿の働き次第じゃ」
そう言って、義興は明言を避けた。
主君として、臣下に易々と褒美を確約するわけにはいかないということだろう。
同席する、大内家重臣筆頭の陶興房の目もある。
だが今は、大内家の「御一家」としての立場を得て、しかも待望の安芸帰国という
「委細、あい分かってござる」
元繁は仮面めいた笑顔を浮かべ、義興に
*
安芸武田家の当主・元繁は京において、大内義興の養女と婚礼を挙げた。
同時に元繁の安芸帰国、そして安芸国内の鎮定が任されたことが公表される。
「聟どのが安芸に入る……『項羽』武田元繁が帰国すると知れば、その雷名を恐れ、不穏の輩は、おのずから聟どのの前に現われ、これまでの愚行を伏して詫びよう」
大内義興は、喧伝もふくめて、婚礼の場において、そう高らかに褒めそやした。
暗に、尼子経久に対して、これ以上の軽挙妄動は許さんという意志の
……こうして、いわば鳴り物入りで、武田元繁は安芸への帰途についた。
示威も含めて、安芸への道のりを、軍勢を率いて派手に進む。
途中、安芸国人一揆の使いと名乗る多治比元就が面会を求めてきたが、「
元繁としては、まず、おのれの領国の安定こそが第一であり、その前に他家の問題にまでかかずらわっていられない、というのが心情である。これは元繁の私的な感情だけでなく、
「わが安芸武田が安定している……それこそが、安芸の安定につながる」
元繁はそう信じていた。まさに多治比元就がそうであったように、城を盗られたりしていては、ここまで事態が進んだというのに、一挙に笑劇の道化と化す。
「そう……たとえば、佐東銀山城に、すでに尼子経久がいるとか……」
元繁がそう呟いているうちにも、武田軍は進軍し、当の佐東銀山城の目前にまで迫った。
「開門」
元繁が懐かしさに浸っていたが、その城門を開けて出てきた人物を見て、一瞬でその懐旧の情が吹き飛んだ。
「お帰りをお待ち申しておりました……項羽どの」
「あ、尼子経久! ……どの」
出雲の戦国大名・尼子経久。
現在の安芸の情勢の不安定の原因であり、大内義興が、養女を与えてまで、武田元繁に討伐せよと言った人物。
それが今、にこやかに、元繁の方へと歩み寄ってきた。
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