05 兄と弟
「
「そうだ」
毛利興元は、多治比元就の居城・多治比猿掛城にひとり、ふらりと
興元は「呑もう」と、元就の居室へ半ば強引に上がり込み、元就は「酒は……」と閉口するのもかまわず手酌を始め、そして、京の大内義興への働きかけを口にしたのである。
「……しかしまた、天下人として、今を輝く大内義興さまとしては、いかに領国であるとはいえ、おいそれとは戻れないのでは」
「そうだ」
興元は酔っているのか、先ほどと同じ返答をした。
元就は、何か吉田郡山城で兄嫁と喧嘩でもしたのかと疑ったが、特にそういう様子はうかがえなかった。
「……で、だ。多治比どの」
「はい……」
「何ぞ、良い知恵はないか?」
「はあ?」
それは当主である興元や、宿老である
「そう言うな」
「言うなと言われても、事実でござる」
「分かった、分かった。では、私や広良も考える。考えるから、多治比どのも、知恵を出せ」
「はあ……」
不得要領な元就に、「これは広良もそう言うておるのじゃ」と興元は付け加えた。
「……ふうん、なら言いますが、陶興房どのとか、どなたか有力な家臣を戻してもらうよう、お願いしては」
大内氏の重臣であり、のちに元就と中国の覇権を賭けて戦う相手・
「……なるほど。確かに興房どのが戻ってくれば、安芸国内の
興元は酒杯を傾けて痛飲し、それから元就の提案を褒めた。
しかし、そのあと、酒杯の、酒の水面にうつる己の影を見つめた。
「……だが、興房どのは無理じゃな。京での
「……では、お手上げですな」
元就としては、突然に振られた話題であるので、特に執着なく、自案を取り下げた。
興元はまた酒杯をあおる。元就は、もうやめたらと止めに入るが、興元はそれを
「多治比どの、もうひと工夫、足らぬ。足らぬぞ。興房どのが駄目なら、どうするか……と考えねば」
「……そうでござるな」
元就としては、このあたりで実は興元は「正解」を導き出して、もう動いているのでは、と察した。
しかしわざわざ多治比くんだりまでして来訪する以上、何か狙いがあるのではないかとも、思った。
「……降参でござる、兄上。もう、教えて下され……どう動いているのか」
「ほ」
興元は酒精のこもった息を吐きだした。元就が顔をしかめるのも構わず、そのまま話し出す。
「……『項羽』だ」
「……は?」
「だから、『項羽』だ。安芸守護代、武田元繁どのだ。勇将として名高い。このあたりが、中国と呼びならわしていることから、『項羽』と称している」
「……さようでしたか」
安芸武田家は、かの武田信玄の甲斐武田家と同族である。そして、安芸武田家は、安芸守護代を務める家柄であった。が、大内家のたび重なる侵略に遭い、現当主・武田元繁は、大内義興に膝を屈し、従属していた。
……現在、大内義興の上洛軍に従い、武田元繁は京にいる。
大内家の家臣ではなく、従属しているものの、あくまでも別勢力であるので、前述の陶興房とちがい、大内義興が京から下向させることに、抵抗を感じないと思われた。
「武田どのは、安芸国人一揆には名を連ねることが叶わなかった……が、これを機会に安芸に帰ってくれば」
元就には、興元の言わんとしていたことが理解できた。
「安芸国人一揆に、武田家を加えれば、国人一揆の力が増す。また、『項羽』武田元繁どのがいれば、尼子経久が安芸に侵略してきたとしても、われら安芸国人を率いて、
「そうじゃ!」
興元は快哉を叫び、そして痛飲した。元就は、もはや諦めて何も言わなかった。
「実はな、多治比どの」
「なんでしょう」
「広良を京へ派遣し、このことを義興さまに伝えるよう、言うてある」
「……おお」
だからひとりで来たのか、というか事後承諾を得に来たのか、自分に。
元就は自分を後回しにされて、怒ることはなかった。兄から見れば、自分は弟とはいえ、家臣の一人だ。変に後継者扱いされても困る。ましてや兄・興元は正室・高橋氏との間に子が生まれたばかり。
……また、下剋上を警戒して、城を追われてはたまらない。
後回しで充分だ。
「そんなわけでだ、多治比どの」
「何でしょう」
元就の内心を知ってか知らずか、興元は酔っぱらったように、元就に寄りかかった。
元就に支えられながら、興元は言った。
「武田どのが、
京では、広良が武田元繁本人を
「……では、今度は武田家の臣である方々の城をめぐることにしましょう」
「うん、よろしく頼む」
いつの間にやら、兄・興元の思惑通りに動いているな、と元就は自覚したが、悪い気はしなかった。
毛利家の当主・興元は、
それは永久のものではないが、しばらくは、のんびりとした暮らしが営めるであろう。
微笑む元就に、興元が呟く。
「そういえば」
「なんですか、兄上」
「お前、妻を
「……どこぞから縁談でも?」
「……いや」
元就の脳裏に、
「……兄上のお子が、大きくなられたら、考えます」
「そこまで遠慮せんでも」
「兄上が良くても、家臣が気にしましょう」
元就には、十代の頃、城を追い出されたという苦い経験がある。それにより、小なりといえども、国人である毛利家もまた、後継者争いを生じる下地があることを知った。でなければ、当主の弟である自分が城を追われてしまうという状況を、家臣らは黙認しなかっただろう。
元就の冷静な頭脳はそう判断を下した。
加えて、家臣といえども、あっさりと自分の大事なものを奪っていくということを知った。
であれば、自分が家族を、例えば妻や子を持つと、どうなるか。
それを奪われたら、どうなるか。
きっと自分は耐えられまい。
耐えられたとしても、己の中に巣食う鬼が表に出てきて、自分は自分でなくなる。
……そんな確信があり、元就はこれまで、家族を持とうとしなかった。
城を追われた日々を共にした継母、杉大方は例外であり、元就としては、彼女は戦友であるという認識の方が強い。
「だから、あの吉川の姫が……いや、どうでもいいか」
その呟きを興元はしっかり聞いていたが、何も言いはしなかった。
「…………」
興元としては、自分が京に行っている最中に、そして自分自身が元就を信じ切れずに、そこを家臣の井上につけ込まれ、元就が城を盗られたという苦痛に等しい思い出がある。
だからこそ、元就に妻子を持たせてやりたいという思いがあった。
けれども、当の元就にやんわりと断られた。
そしてその言い分に、興元は、己の内の下剋上への猜疑心がくすぶられ、それが自己嫌悪を招き、酒量を増やしていくのだった。
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