03 鬼吉川の姫

「あああ、はらはらする」


「お前がはらはらしてどうする、雪」


「無骨な兄上には、分からん!」


「……おいおい、ここまでつき合わせといて、そりゃないぜ」


 小倉山城・城主の間……の隣の

 そこで雪は、次兄・宮庄経友みやのしょうつねともと、城主の間――長兄である吉川きっかわ元経と多治比元就の対面の場をのぞき見していた。

 宮庄経友は豪放磊落な猛将として知られる男であり、のぞき見なんてするぐらいなら、堂々と同席を求めるたぐいだ……が、妹の雪には弱く、「ばれたら、同席を求めようとして来たと言い訳して」と言われて、こんな忍びまがいのことをしている。

 ひそひそ声の、会話がつづく。


「……大体だな、兄者のいうとおりじゃねえか、雪。吉川家は無理に国人一揆を……」


「そんなんだから兄上は!」


「なんだ、それは。って、褒めてるのか、けなしているのか」


「頭を使わないから、名将ではなく、!」


「お前、そりゃ酷いぞ……大体……」


「あっ、黙って! 元就どのが返事をする!」


「聞けよ、人の話……」



 多治比元就はひとつ息をつくと、吉川元経を見た。

 その目は、元経に負けないくらいの強い眼光だった。


「……元経どの」


「な、なにか」


「吉川家が国人一揆に入ることにより……安芸の国人の諸人に、尼子あまご方へつかぬか、と働きかけができますぞ」


「何!?」


 尼子の侵略からの自衛のためでなかったのか、国人一揆は。

 少なくとも、発端の動機はそれだったはず。

 吉川元経の戸惑う姿を見ながら、元就はにこやかに微笑んだ。


「……別に、尼子とのつながりを作ることは否定しません。というか、する方が無理。であれば、吉川家が加わることにより、そのように


 なんなんだ、こいつは。

 毛利家は、大内家寄りではないのか。

 それがなんだ、この尼子家への肩入れは。


 ……吉川元経のその胸中を見透かしたかのように、元就はと笑っている。

 元就としては、別に吉川家が尼子家へ従うよう動いても、それは仕方ないと思っている。どころか、そうすれば、吉川家に注意さえしていれば、尼子家の策謀の動静を掴むことができる。


「――どっちにしろ、国人一揆をお願いする使として、私は期待されている。盟約の実務は毛利家宿老の志道しじがやるさ。であれば、適当に言ったところで、構うまい」


 元就としては、そう割り切っていた。それに、駄目だとなったら、それこそ、兄であり主君である毛利興元が出張ってきて、取り消すなり、変更するなり、すれば良いのだ。


「――さあ、元経どの、返答やいかに」


 気がついたら、問う答えるの立場が逆転していた。

 実は、吉川元経としては、国人一揆に加わるのはやむを得ないと思っていた。元経の妻は、興元や元就の妹だ。もともと、毛利家にはがある。それを無視してまで、国人一揆に加わらないというのは、外聞が悪いし、万一、尼子家から縁を切られた時に困る。それどころか、国人一揆側から、ていのいい「共通の敵」に祭り上げられる危険もある。


「……なるほど、お説ごもっとも。では、吉川は国人一揆に加わろうではないか」


 尼子家への「根回し」についても、言質を取った。どちらにしろ、国人一揆が結盟された以上、尼子経久から「依頼」が来よう。それを考えれば、毛利家の了承を得ておくのは、悪くない。

 吉川元経はほくそ笑んだ。


「…………」


 元就としては「だからと言っても、と言ってないんだがな」と思ったが、おごそかに沈黙を守った。



「……やった! やったやった!」


「落ち着け、雪。見つかるぞ」


 控えの間では、雪が小躍りせんばかりに、いや実際飛び跳ねて喜びを現わしていた。

 宮庄経友は、その妹を押さえるのに必死だった。

 ことここに至った以上、同席しようという言い訳は通じまい。そう言うには


「……落ち着けも何も、聞きましたか、今の! 元就どのの、あの言い様!」


「聞いていた、聞いていた。聞いていたから、ちょっと黙れ」


 宮庄経友も、吉川家の尼子家との関係について、どう扱うのか気になっていた。それが、「別に構わない」と言われるとは思わなかった。形式上、尼子との縁切りを要求とは言わないまでも、示唆されるぐらいはあるだろうと思っていた。


「……それにしても、何だってあの殿に入れ揚げるんだ?」


「……は?」


 経友としては、元就の渾名あだなを何気なく、特に悪気もなく使っただけである。

 しかしそれは、雪のかんさわった。


「何ですか、その渾名! そんな渾名を使うなんて、兄上はですか!」


「ばかとはなんだ、ばかとは。それも酷いもんだぞ」


「口ごたえしない! いいですか、二度と元就さまをその渾名で呼ばないと誓いなさい!」


「……何言ってんだ、お前、おかしいぞ!」


 兄と妹の喧嘩が燃え上がり、控えの間から罵声が轟いてきて、長兄である吉川元経は頭を抱えた。


「あやつら……」


「ああ、では、拙者は多治比に帰ります。国人一揆結盟の日取りなどは、宿老の志道しじあたりから、追って書状を出しますゆえ」


 元就は何事かを察したのか、即座に去ることを選んだ。吉川元経の妻女である松姫、つまり妹に会いたかったが、何やら自分の名を声高に叫んで怒鳴る声が聞こえてきて、剣呑であると悟ったのだ。


「では、御免」


「いや、元就どの。大丈夫だ、愚弟と愚妹なら、これから……」


 吉川元経が、さすがに気まずいと思ったのか、元就を引き留めようとした。そのとき、控えの間から、宮庄経友と雪が乱入していきた。


「兄者、このじゃじゃ馬を何とかして下され! こやつ、おれの言うことを、まるで聞こうとしない!」


「元経兄上! この粗忽そこつ者を叱ってくだされ! よりによって、多治比どのに、言ってはならぬことを!」


「……黙らんか! 客人がお帰りであるぞ!」


 吉川元経は、話がついたあとで良かった、早く帰らせよう……と、内心でほっとしながらも、弟と妹を叱りつけた。

 元就は、言ってはならぬこととは、「こじき若殿」のことか、と思ったが、特に怒りを覚えず、むしろ懐かしいな、と感慨にふけった。


「大体だな! お前が多治比どのを見たいって……」


「わーわーわーわー! 経友兄上が錯乱された! 自分が対面の場をのぞこうとした癖に!」


「何言ってんだこいつ! そりゃお前だろ! 女だからって、いい加減にしないと、おれも怒るぞ!」


「ふたりとも、黙れと言うておる!」


 吉川元経は「失礼」と言って、のしのしと経友と雪の方へ歩いていき、そして両の拳骨で弟妹の脳天を叩いた。

 

「ぐっ」


「がっ」


 このあたり、長兄としての貫禄勝ちとしか言いようがない。そして元経はにこやかに、元就の方を振り向いた。


「……さ、多治比どの、お帰りあれ」


「あ、はい、でも……」


「国人一揆の件は了承したゆえ、さ、早く」


「は、はい」


 元就としては、微笑ましいなと思っていたが、吉川元経のがぴくぴく震えているのを見て、城主の間を辞した。

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