02 吉川(きっかわ)の城

 吉川きっかわ家の居城・小倉山城は今でいう、広島県北広島町にある。

 その頃の安芸の山野は、そこかしこに蒲公英たんぽぽが咲き、見る者の目に、春の到来を感じさせていた。

 その名のとおり、山上の城・小倉山城を目指し、多治比元就は、山道を馬を歩かせていた。


「妹は元気かな」


 吉川家の嫡子・吉川元経の妻は、元就の妹、松姫である。

 その国経の妹が、尼子経久あまごつねひさの妻であり、吉川家は尼子家と毛利家の双方に縁のある家であり、何よりも勢力がある。


「毛利家が国人一揆(地域領主の同盟)を結ぶのなら、外せない相手……心して、かからねば」


 馬上、ひとりごとをつぶやく元就。

 しかし、その元就を、木陰からじっと見つめる影があった。

 元就がそれに気づき、馬を走らせようと手綱を握ると、声がかかった。


「そこを行く者。何者か」


「…………」


 元就がそれにこたえず、じっと木陰を眺めていると、やがてしびれを切らしたのか、その木陰から小柄な影が出てきた。


「……こたえよ! 何者かと聞いておる!」


 見たところ、少年のような感じの若武者で、弓を構えている。そして、小兵こひょうながらものしっかりとした甲冑を身に着けている。

 元就が口を開く。


「そちこそ、何者か」


「何い!?」


「名を聞くなら、その方こそ名乗るべきだろう」


 若武者は怒りを感じたようだが、元就の言い分に理を認めたのか、あきらめたように名乗った。


「わたくしは吉川家の、雪」


「雪? 女みたいな名だな」


「女だ、阿呆!」


「え、本当か?」


「…………」


 若武者は弓を下ろして手挟たばさみ、元就の前までやって来た。そして元就にその紅顔を見せつけるように、にらみつけた。


「いちいち無礼な奴。気に食わん! ……だが、ここまで名乗ったのなら、その方も名乗るんだろうな!」


 元就は下馬して、謝った。


「これは失礼をした。私は多治比元就。毛利家から吉川家に、使いとして参った次第」


「多治比? 毛利?」


 雪が目を白黒させると、いったん、背を向けた。

 元就が、仮にも検問をしているのなら、何たる無防備かと思ったが、ここを無事通してもらわないと、国人一揆も何もなくなるので、黙って待った。

 やがて落ち着いたのか、くるりと振り返る。


「……し、失礼した。それでは、通られるが良い」


「感謝する」


 元就は頭を下げてから、馬にまたがった。

 その様子を見ていた雪は、元就に「待て」といった。


「……何か?」


「い、いや……多治比どのは、わたくしに見覚えはないか?」


「…………」


 元就がめつすがめつ雪を見つめる。雪はなぜか敢えて目線をそらす。

 そして元就は、ぽつりと、言った。


「……いや、無いな」


「無い!?」


「そんなことより、小倉山城への案内あないをお願いしたいのだが」


より!? ばかもの! この道をまっすぐだ! 行ってしまえ!」


 雪はぷんすかとしながら、弓で道の先を指し示し、そっぽを向いた。

 元就としては、ぽかんとしながらも、兄の命令を果たさなければな、と、馬首を弓の指す方に向けた。

 元就はそのとき、雪に声をかけた。


「……ああ、そういえば」


「! ……な、なんだ」


 雪が期待を込めて振り返る。


「道を教えてくれた礼を言うのを忘れていた」


 嚇怒かくどする雪は、足を力いっぱい踏みしめながら、叫んだ。


「そんなことはどうでもいい! さっさと行け!」


「……では、御免」


 元就は、雪の態度など、どこ吹く風で馬を走らせて行った。

 その後ろ姿を見送りながら、雪は落胆した。


「やっぱり、こんな格好をしているから……?」



 小倉山城。

 城主の間にて。


 多治比元就は、吉川家の嫡子・吉川元経の引見を受けていた。

 吉川家の当主・吉川国経は高齢であるため、嫡子である元経が吉川家を仕切っていた。

 元就はまずは頭を下げ、元経に対し毛利興元の書状を渡し、国人一揆の盟約を結ぶよう、依頼した。


「恐れ入ります。昨今の尼子家の安芸に対する不穏な動きがあり、また、京にいる大内義興さまからも不興を買っているわれら安芸の国人、このままでは食われるは必定ひつじょう何卒なにとぞ、国人一揆の盟約の方……」


「書状は読んだ」


 吉川元経は元就の発言を切るように、言った。

 そして書状から目を離し、使者である元就を冷めた目で見た。


「前口上はいい。安芸の国人が盟約するのはいいだろう……ただ、国人一揆を盟約することにより、当家に、どんな利がある?」


「…………」


 安芸の国人、すなわち各地域の領主たちが盟約し、連合するのはいいが、果たしてそれにより、吉川家に対して、どんな利があるのか。

 他の国人なら、国人一揆自体に意味があろう。たとえば尼子なり、大内なりに攻められたり、圧力をかけられたりした場合、国人一揆に声をかけ、安芸国人の大多数が連合して抵抗することができ、それにより、家を守ることができよう。


「しかし、当家はちがう」


 それが吉川元経の言い分である。元経の祖父・経基は、応仁の乱において、細川勝元率いる東軍に参戦し、西軍の豪将、畠山義就を相手に死闘を演じ、それにより、吉川と異名を持ったほどの武の家柄だ。

 しかも経基は、その応仁の乱において、共に戦った尼子経久にむすめを嫁がせている。


「武門の名高き家。しかも、雲州の狼・尼子経久との縁戚。ならば、敢えて国人一揆に仲間入りせずとも、吉川は


「……さようでございますな」


 吉川元経の言い条、いちいちもっともである。

 元就は考える。

 おそらく、元経としては国人一揆に加盟することはやぶさかではない。が、その場合、尼子経久に対するを求めているのだ。すなわち、尼子とのを粗略にしてまでも、国人一揆に名を連ねる理由を。

 ここで妙に、安芸の平和と安定のため、とか、国人の独立のため、とか答えても、元経から袖にされるのは目に見えている。


「さて、多治比どの、返答やいかに」


 吉川元経の射竦いすくめるような視線が、多治比元就を貫いた。

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