第一章  安芸国人一揆(あきこくじんいっき)

01 多治比の若殿

 永正九年(一五一二年)の安芸あきの状況は複雑だった。


 ……しかし、元はと言えば、安芸の大半を支配する、周防すおう(山口県)の戦国大名・大内義興が、天下人になることを夢見たことに始まる。


 応仁の乱以来、室町幕府はふたつに割れ、大名もまた、ふたつに割れた。そして世は千々ちぢに乱れた。そのような状況において征夷大将軍である足利義稙あしかがよしたねは、のちに管領となる細川政元によって、将軍の地位を追われ、みやこから落ち延びるという憂き目を味わった。細川政元は、足利義澄あしかがよしずみという別の将軍を立て、自身は「半将軍」と称せられるほどの権勢を誇った。

 世にいう「明応の政変」である。


「流れ公方くぼう


 そう呼ばれるほど、足利義稙は諸国を放浪し、将軍として返り咲くことに必死だった。

 しかし足利義稙の運の強いところは、その落ち延びる旅の果てに、周防の大内義興の元にたどり着いたことにある。

 足利義稙を奉じ、大内義興はその勢力下の大名や国人(地域領主)に対して号令をかけ、大軍を組織した。その軍中に、出雲の尼子経久あまごつねひさ、安芸の安芸武田家の武田元繁、そして……同じく安芸の毛利興元おきもとがいた。

 折りしも細川政元は暗殺され(「永正の錯乱さくらん」)、後継ぎがいなかったため、後継者争いが発生した(「両細川の乱」)。

 この状況下において大内義興は上洛を果たし、足利義澄が病死し、かつ義澄方の軍を撃退したため、足利義稙を将軍の地位に復位させた。ちなみに、史上、征夷大将軍に復帰した将軍は、この足利義稙のみである。

 ともあれ、結果、大内義興は「管領代」という地位に就き、幕府を切り回す立場となった。


「予は、天下人である」


 大内義興の、そして大内家の栄光極まれり、といったところである。しかし、そこまでは良かったが、おのずと京にいる日々が長くなるにつれ、率いてきた大名や国人が領国のことが心配になり(下剋上を警戒した)、大内義興の許しを得ず、帰国する者が相次いだ。


 ……その状況を、虎視眈々とうかがう野心家がいた。

 雲州の狼・尼子経久あまごつねひさである。


 経久は出雲へと無断で帰国し、そして安芸の国人たちをお互い争うようけしかけ、安芸を混乱におとしいれた。混乱の中、侵略しようという策である。

 


「――もう、戦にはいた」


 それが現時点での毛利家当主・毛利興元の口癖であった。

 興元は、主君・大内義興の上洛軍に従い、京へ上った。しかし、その京にいる期間が四年の長きにわたるとは予想しておらず、十五歳で元服してそのまま上洛して以来、十九歳になった若者は、他の国人たちと同じく、義興の許しを得ず、安芸に帰国してしまった。これにより、毛利家は大内家の不興を買うことになった。

 むろん、興元も無策で帰国したわけではなく、が無断で帰国すると聞きつけ、それに便乗したのである。

 そのこそ尼子経久である。


「今思えば、あれは尼子どのの策略であった」


 そう興元は述懐する。

 経久自身が領国である出雲に帰りたかった、というのもあるが、他の国人たちが帰るのを煽ることにより、大内家の領国に不穏をもたらしたかったのだ。

 大内義興というあるじなき国人たちが、その野心を、領土欲を刺激されたら、一体どうなるか。

 安芸は、その尼子経久の心理実験の大いなる舞台と化した。


 まずほころびはじめたのは、厳島いつくしまである。

 厳島神領、平たく言えば、厳島神社の家柄の者の領土が、西と東に分かれて奪い合いを始めた。

 厳島は、神を奉じる島というだけでなく、瀬戸内の海路のかなめであり、それを支える領土が争いの舞台となることは、瀬戸内海の海運の不安定化をもたらすことである。

 大内義興としては、それを憂慮したのだ。


「――これでは、日明貿易の権利を独占したところで、腰砕けではないか」


 大内家は、「管領代」としての権力に物を言わせ、大陸と日本の交易の独占を目論んだ。そしてその莫大な利益により、その旺盛な国力、華美な文化を支えていた。かつ、大内義興としては、京において天下を取り仕切る立場であるため、領国である周防から堺、堺から京へと至る海路は、生命線ともいえた。


「ばかめ。それが、よ」


 老獪な尼子経久は、そうしておいて安芸だけではなく、石見いわみ(島根県西部)へと触手を伸ばす。安芸へ耳目を集めておいて、その隙に石見へ――まさに「雲州の狼」の真骨頂である。


 こうした尼子家の動きに対し、そして大内家からの悪感情を危惧した毛利興元は、安芸国内の国人たちを糾合して、国人一揆こくじんいっきの盟約(地域領主の同盟)を模索した。

 実は、毛利家の祖先は応永十年(一四〇四年)、足利義満の御世に、同じく安芸の国人一揆を形成したことがある。そのときは、守護職にある山名氏の支配に抗するために結成された。


「――あれから百年たった今、永正のこの時代において、尼子の侵略に抗うには、これしかない」


 毛利興元は、早速、安芸国内の国人たちに向けて国人一揆の盟約を結ぶよう働きかける。

 その具体的な外交交渉を、弟である、多治比元就に依頼したのである。



「――拙者が、でござるか」


「頼む、多治比どの、そなたは安芸に居る日々が、私より長い……分かるだろう?」


「それはまあ……」


 毛利家当主の居城・吉田郡山城にて。

 多治比元就は、帰郷したばかりの兄・興元の待つ城主の間に招かれた。元就が城主の間に入ると、興元は即座に頭を下げた。国人一揆の盟約の使者として、安芸の国人たちの元へ向かうよう依頼されたのである。

 依頼されてしまったのである、が正しいかもしれない。

 元就は、兄・興元が在京中に、その居城である多治比猿掛城を家臣に乗っ取られるという奇禍に遭った。本来なら元就の後見である井上という家臣が、主君・興元の不在をいいことに、元就から城を奪い、さらに、元就を城外へ放逐したのだ。

 これには興元の、元就の下剋上(興元の不在中に毛利家を乗っ取る)を警戒したという見方もある。そうでなくとも、興元が井上を抑制できなかったという点においては、興元に非がある。


「兄上がいれば、城を盗られずに済んだ」


 そんな嫌味のひとつでも言っていい立場の元就であるが、久しぶりの再会で、いきなり頭を下げられては、それも言えない。

 しかも、「多治比どの」と敬称付きで話しかけられている。弟とはいえ、家臣である以上、呼び捨てにされてもおかしくない立場の元就を相手にだ。


「…………」


「多治比どの、そなたが私に対して恨みつらみを抱いているのは分かる。が、今は危急存亡のとき。この国人一揆が成れば、そなたに対して、いろいろと報いることもできよう」


「危急存亡……まあ、たしかに、出雲の尼子経久の陰謀により、この安芸は揺れています。加えて、兄上の無断での安芸帰国……これで周防の大内義興どのの機嫌も大いに損ねておりましょう」


 はさみ撃ちだ、と元就は言った。出雲と周防、それにはさまれた安芸。中国地方の戦国大名の双璧ともいうべき、尼子経久と大内義興。その間にはさまれた安芸は、絶好の草刈り場だ。


「……その刈られるべきも、編んで結べば、綱となり、押し引きされても耐えようと言うもの」


「そう簡単にいきますかな」


 興元の理想論に、元就はつい反論する。反論したあとに気づいたが、興元は微笑んでいた。

 やられた、と思った。

 兄はこうして、弟である自分を、内政や外交の相談役として取り扱っていくことを、認識させたのだ。こう取り扱われては、かつて城を盗られた「こじき若殿」と呼ばれ蔑まれたという恨みつらみを吐くわけにはいかない。吐く相手である、毛利家の首脳陣に仲間入りしてしまっていることになるからだ。

 元就はひとつ息を吐く。


「……ふう」


「……どうした?」


「いや何も」


 実は、あまり恨みなどはなかった。

 井上は死んだ。

 城は取り戻した。

 継母との仲は良くなった。

 城の者や領民も、かつてはともかく、今は言うことを聞いてくれている。

 それは元就自身のこれまでのまつりごとへの尽力によるものだが、それでも、少なくとも、城を盗られた「こじき若殿」と、表面上は言われないぐらいにまでは、いっぱしの国人――地域領主になれたと思う。

 そして今、こうして兄に、毛利家の命運について、相談されている。たしかに、ここで国人一揆を形成しないことには、安芸は食われてしまう。


 元就は、ひとつ息を吐くことで、恨みを吐くことに、見切りをつけたのだ。


「……やりましょう、兄上。で、拙者はまず、いずこへ使いとして参ればよろしいので?」


「おお」


 興元は感銘を受けたように頷くと、手をたたいて、毛利家の宿老である、志道しじ広良ひろよしを呼んだ。


「御前に」


「広良。多治比どの、了承してくれたゆえに、まずは行くべきところを指図してくれ」


「あい分かりました」


 広良は壮年の武者で、きびきびとした印象を人に与える男だった。

 広良は早速、安芸の地図を懐中に取り出し、興元と元就の前に広げる。


「では手始めにまず、吉川きっかわから……」


 そういえば吉川家とは、尼子経久と縁戚にある家だ。

 尼子経久とは、厳島で出会ったことがある。

 元就はふと思い出した。


「そういえば、その時、もうひとり……」

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