彼女の世界

ナナシマイ

第1話


「なー、橋本。お前、1組の湯浅と仲良いよな。付き合ってんの?」

「は? んな訳ないだろ」

「だよなー。さすがにあれにはいかんよな」


 昼休みが終わる頃、真がスマホを弄っていると、クラスメイトで親友の啓介が話しかけてきた。真はうんざりした様子で答えるが、啓介がそれに気付いた様子はない。


「でもさ、なんで仲良いの? 接点あったか?」

「何でも良いだろ。ほら、次マスティだぞ。席戻れよ」

「やべっ、そうだった! 後で教えろよ!」


 そう言って席に戻る啓介に手を振り、真はスマホに目を戻した。


 (あいつとは、そういうんじゃないんだけどな……)


 湯浅真紀。啓介が言った通り、1組の女子だ。いつもきっちりと結った三つ編みで、制服のスカートも折っていない、いかにも真面目そうな生徒。そして彼女が実際に真面目で、「よく見たら可愛い」などという漫画的設定もないことは、真がよく知っていた。勿論それは、真の好みではなかった。


 しかし、2人は毎日一緒に昼食をとっている。それも、屋上や食堂のようなメジャーな場所ではない。職員玄関の横にある、古びたベンチで、だ。周りからすれば、秘密裏に付き合っているのでは、と勘繰りたくもなるだろう。


「このベンチ、何のためにあるんだろうな?」


 今日も登校前にコンビニで買った菓子パンに齧り付きながら、真はそう呟いた。ここに自分達以外が座っているのを見たことがなかったからだ。しかし、真紀は当然のようにこう言う。


「私達が座るためよ」


 見た目とは裏腹に、彼女の言葉はいつも断定的だ。まるで、何もかもを知っているかのように、言葉を紡ぐ。




 真が真紀と出会ったのは、放課後の図書室だった。倫理の授業で出された課題をやるために、本を探しに来ていたのだ。図書委員に大まかな位置を聞いて、「哲学」系の本が並んでいる棚へ向かうと、そこには先客がいた。真紀だ。彼女はすぐ真に気が付き、


「橋本真」


 と言った。


 (いきなりフルネームで呼び捨てかよ……)


 真はそう思ったが何も言わず、ただ頷き返す。だが、次の言葉に面食らうことになる。


「君は、直観症候群なのかしら?」

「……は?」


 直観症候群。真紀は確かにそう言ったが、真には聞き覚えすらなかった。その症候群であるはずもない。

 その反応を見て、真紀は残念そうに息を吐いた。


「そう。真だから、同じなのかと思ったわ」


 そこで真は、彼女の名前が「真紀」で、自分の名前と同じ字が使われていることを思い出す。3年生ともなれば、違うクラスの人間でも、ある程度は把握するものだ。

 しかし、「真」という字と直観症候群の繋がりが分からない。いや、その前に、直観症候群というものが分からない。


 首を傾げ続ける真に、真紀はこれ以上は無駄だと教室へ戻ろうとしたが、途中で立ち止まり、振り返った。


「……お昼。一緒に食べてくれるなら、話してあげても良いわよ」




 真紀は、自分は直観症候群なのだと言った。それは、世界の様々な真実を、その場にいるだけで知ることが出来てしまう病気なのだと。

 勿論、簡単に信じられるような話ではない。そんなことが出来るなら、それはファンタジーの世界だ。


「信じなくても良いわ。ただ、君もいつか、真実を知ることになる」


 その真実を、真はまだ知らない。しかし、真紀が直観症候群だということに対する疑念については、既に消えている。小テストの予想から、この街にある上場企業の経営に関する問題まで、彼女の話はいつだって、他の誰の話よりも真実に近かったのだ。そのことについて尋ねると、


「何故って、見れば分かるのよ。君は、参考書の解答を見ても、その答えを読み上げることは出来ないのかしら?」


 と言った。真紀に連れていかれた企業見学で、同じ物を見たはずの真には、その意味すらよく分からなかったというのに。


 (いや、その解答をどうやって知り得ているのかが分からないんだよ!)


 ある日、真紀はこんな気になることを言った。


「気を付けた方が良いわ。もうすぐ、症候群の患者が増える」


 この時にはもう、真紀が言うのであればそうなのだろう、そういう気持ちで真は聞いていたのだ。それほど、彼女が真実を言い当てる様子を見てきていた。


「ふうん。じゃあ、馬鹿な奴が少しでも減ると良いな」

「何を言っているの? 真、君だってその候補なのよ?」

「……え?」


 真紀の言葉=真実。それを信用してはいたが、ちょっと信じられない話だった。


 (俺が、直観症候群になる?)


 想像すら出来ない話だ。自分にそんな力などない、現に今、その話を聞いただけで混乱しているではないか。……そう思った。


「最初に聞いたでしょう? 『直観症候群なのかしら?』って」

「あぁ」

「やっぱり、あの予想は当たっていたのよ。真実に辿り着くのに、名前は大事だわ。まさに、名は体を表す、ね! ……君は遠からず、私と同じになる」


 そう話す真紀の顔は普段通りの真面目な表情だが、少し興奮してるようにも見えた。それが珍しいと思い、真は続きを促した。


「私ね、もう疲れてしまったの」

「いきなりなんだ?」


 それなのに、急に話題を変える真紀。真は訝しげにその顔を見つめた。


「真実を知ることにも、飽きてしまったわ。他人にとっては驚くようなことでも、私にとっては当たり前なんだもの」


 真ははっとした。今までそんなことを考えたこともなかったのだ。

 自分がスマホで情報収集をしているのと同じように、彼女も真実を得ているのだと、そういう風に納得していたから。一つ一つ真実を知っていくことに、彼女も達成感を味わっていると、そう思っていたから。


 でもそれが、全て引かれたレールの上を歩いているようなものだと、自覚していたら……?


「だからね。ちょっと、休もうかと思って」


 そこで真は、彼女が笑うところを初めて見た。それは寂しげで、儚い笑顔だった。


「……」

「今、私のこと綺麗だと、そう思ったでしょう?」

「え」

「……だから世界は、つまらないのよ」


 それから、真紀が学校に来ることはなかった。退学したという噂を聞いたのは学期が変わってからで、誰もその後の彼女を知るものはいなかった。


 しかし、真は確信していた。真紀が今いる場所も、そこで何をしているのかも。


 (卒業したら、会いに行くか……)


 そんなことを考えながら、古びたベンチで一人、菓子パンに齧り付いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼女の世界 ナナシマイ @nanashimai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説