楽天のつぶやき

三遊亭楽天

第1話 書き言葉としゃべり言葉

落語を聴きながら書き写していると、「どういう風に書いたらいいだろう?」と悩む事がある。


例えば、「女郎」は通常「じょろう」と読むが、落語では「じょうろ」と発音している。

また、「ゆうべ」も「ゆンべ」と言ったりもする。

「ゆンべなかァしやかしてたら、なじみのじょうろに…」

これを書き言葉で表記するならば

「昨夜、吉原ァ冷やかしてたら、馴染みの女郎に…」

とでもなるだろうか。

しかし、この書き方だと、途端に落語らしくなくなってしまうように感じる。


速記本などでは

「ゆんべ吉原なかァ冷やかしてたら、ナジミの女郎じょうろに…」

のような書き方になっていたりして、まだ落語っぽいように思える。


当たり前の様だが、しゃべり言葉は音であり、書き言葉は文字である。

普段何気無くしゃべっている言葉を録音して書き出してみると、歌を無理やり文字に起こしているような、若干の違和感がある。

まだ聴いていない歌の歌詞を読んでから、その歌を聴いたり、逆に歌を聴いた後に歌詞を読んだりすると、やっぱり違和感がある。

頭の中にすっかり入ってしまっている歌詞の歌ならば、違和感は少ないのだが、聴きなれていない、もしくは歌詞をちゃんとわかっていなかった歌の歌詞を読むと、結構大きな違和感を覚えるのだ。


これは英語なんかだともっと如実である。

我々はついついカタカナ英語的読み方で読んでしまいがちだが、実際の発音は全く異なる。

「tomato」は「トマト」よりも「トメィドゥ」に近く聴こえる。

「an apple」は「アン・アップル」ではなく「アンナポー」に近い音で聴こえる。


母方の祖母「ちゃあちゃん」は生前、世界各国を旅するのが趣味だった。

しかし、ちゃあちゃんは英語は全く喋れない。

ジェスチャーとほとんど日本語でコミュニケーションを取ってきたのだ。

小学生の頃、ちゃあちゃんと一緒にタイに行った事がある。

その時、ちゃあちゃんに

「水(という単語)だけは絶対必要だから覚えていきなさい」

と紙にカタカナで

「ワーラー」

と書いてくれた。

「ふーん。水はワーラー。わーらー。ふふっ、何だかわらみたいだね」

とすぐに覚えてしまった。

結局、この「ワーラー」を使う機会は無かったのだけれど、成長した後のある日、これは「water」の事だったのでは?と思った。

カタカナ英語の「ウォーター」と「ワーラー」がかなり違うイメージだったので、まさか英語とは思ってもみなかったのだが、タイ語では水は「น้ำ(ナーム)」であり、「ワーラー」では無い。

そして、「water」は聴きようによっては「ワーラー」に聴こえなくも無い。

ちゃあちゃんは英語の読み書きこそ出来なかったが、耳ではしっかり聴いて覚えていたのだろう。

「water」を「ウォーター」ではなく「ワーラー」と覚えていたのだろう。


外来語だと違和感に気付きやすいが、普段使っている日本語にも、こうしたズレを感じる事が多々ある。

例えば、「新宿区」を発音するとき、「しんじゅくく」とは言っていない。

「しんじっく」だとか「しんじゅっく」に近い音を発している。


サラリーマン時代の父が、初めて社内にワープロが導入された時、一所懸命文字を入力してもなかなか漢字変換出来ずに困っていると、後ろから後輩に

「田中さん、そりゃあ変換出来ませんよ」

と笑われた事があったという。

父はその時、「朝日新聞」を「あさっしんぶん」とか「あさししんぶん」と入力する様な塩梅で、喋り言葉を入力していたのだった。

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