赤と青のif

江戸川台ルーペ

チクタク


 こんな絵に描いたようなシチュエーションって、ある?


 あたしはニッパーを手に硬い唾を飲み込んだ。


 目の前には極めて分かりやすい、青と赤いコード。それと繋がっているダイナマイト with 目覚まし時計。


「とっとと切っちまえよ、広末」


 頭がくしゃくしゃの小汚い髭を生やした先輩刑事が欠伸をしながらあたしを急かした。


「あたしの名前は広末じゃない!」


 取り敢えずあたしは怒鳴った。


「髪型がショートカットってだけで広末って呼ばないで!」


「ポケベルも持ってるじゃねえか」


「持ってないわ!」


 この生きるか死ぬかって時にこの男はダメだ。本当にダメなやつだ。絶対にこいつとだけは死にたくない。煙草臭いしちゃらんぽらんだし身なりは汚いし足も臭い。身長が高いのだけが取り柄の筋肉馬鹿なのだ。


「いいから切っちまえよ、どっちだって一緒だろ」


「先輩、避難しましょう」


「逃げるつったって、おまえどこ逃げるんだ」


「トイレとか」


「地震じゃねえんだから。これが爆発したらお前、東京ドーム五十個分が吹っ飛ぶってあいつが言ってただろう」


 先輩が床で仰向けにひっくり返っている悪党を顎でしゃくって言った。


「 ──東京ドーム五十個分って、何ヘクタールなんだろうな?」


「わかりません!」


「だろうな」


 先輩がカラカラと笑った。


「まあほら、あと40秒だよ広末ちゃん。どーんと逝こうぜ」


「いやです、先輩と死ぬのは絶対嫌です」


 あたしは亜光速に近い速度でかぶりを振った。あまりに早すぎて、周りからはゆっくりに見えたに違いない。


「お前のおしめを取り替えてやったのに、酷え言われようだ」


「親戚面やめてもらっていいですか?」


「赤か青。どっちかを切りゃ助かるんだろう? だったらどっちか切っちゃえよ。理論上、50%の確率で助かる」


「死ぬほど時間の無駄をしてしまっている気がして仕方がない」


「ほらあと5秒!」


「ああ、ああ〜」


 あたしは咄嗟に赤を切った。


 東京は壊滅した。


(◀︎◀︎◀︎)


「広末ちゃんさ、早く切っちまえよ」


「髪が短いだけで広末って言うな!」


 あたしは迷って踏ん切りが付かない。今朝のコンビニでも、アップルデニッシュにするかツナマヨおにぎりにするか迷ったのだ。結局両方買ってやった。それは今、湾岸署のあたしのデスクの上で食べられるのを待っているに違いない。絶対に死ぬ訳にはいかない。あたしは決意を新たにする。


「両方同時に切るっていうのはどうですか」


「お前頭良いな」


 先輩が指をパチンと鳴らしてあたしを褒めた。


「馬鹿みたいに頭が良いな」


「何だとコラァ!」


 勢い余って同時に切ったが、やはり爆発して東京は壊滅した。同時に切ることなんかできる訳がないのだ。0.2フレ差で赤が早かったっぽい。


(◀︎◀︎◀︎)


「広末ち」


「やめろその呼び方」


 あたしは冷徹に言い放った。何だか知らないが、同じことばかり繰り返しているような気がする。


「このままじゃ、俺たち、死ぬぞ」


 先輩が重たく言った。


「先輩だけでも逃げてください。ここはあたしが何とかします」


「馬鹿言ってんじゃないよ、たまには先輩に美味しいところ寄越せ」


 ヒョイと先輩があたしの手からニッパーを取り上げた。


「あっ」


「直観なんてな、あてにならんのだ。全ては確率だ、広末涼子」


「あたしは赤だと思います。あと広末涼子ではない」


「俺はな、今朝バスに乗った時、女子高生が隣に座ってきた」


「先輩は郊外の方に住んでいるロリコンなんですね」


「すごく良い匂いがした……」


 先輩がほふう、としみじみと息をついた。


「ニッパー返してください」


 絶対こいつと死にたくない、とあたしは思いを強固にした。


「それからな、駅で一万円拾った」


「足、舐めます」


「安い広末だなお前は」


 先輩が呆れた声で言った。


「そして、ついさっきも良い事があった」


「何ですか? どんな良い事があったんですか?」


「あー、それはまだ言えない」


 目を宙をアイマイに泳がせて先輩が口籠った。


「とにかく、俺が言いたい事はだな広末。直観なんざあてにするなって事だ。人生には波がある。良い時はずっと良い事が起き続けるし、悪い時は最悪がしばらく続くんだ。その潮目をじっと辛抱して見定めて、行くべき時は行く。いかない時は布団で静かに寝てりゃいいんだ。そうすりゃイヤでも物事は上手くいく」


「おやじくさ……」


「親父臭くて結構。これは人生論じゃなくて、確率論なんだよ涼子くん。君が広末涼子より少しだけほっぺがふっくらしてて、口が大きくて、笑うとクールな顔が子供みたいな無邪気さを取り戻す素敵な顔に生まれてきたのも、確率が成した奇跡の一つだ」


「先輩……」


 トゥンク、あたしはトキめいた。


「俺は今、ノリにノッている。うまく行けば日本の大統領になれるビッグウェーブにさらわれているんだ」


「さらわれてるんじゃ、ダメですね」


「全てを俺に任せろ、ルールルルルー!!!」


「あぁー!!!」


(パチン)


 ──生きてる。


「先輩、あたし達、生きてます!」


「よし、やってやったぞ!!!」


「やったー!!」


 あたし達は生きて、その内お互いを愛し合い、結婚した。子供には葵と名付けた。


「どうしてあの時、青を切ったの?」


 あたしは先輩にある時、聞いてみた。


「良い事があったって言ったろ? お前が悪党の顎をハイキックで蹴り飛ばした時、パンツが見えたんだ」


「ほほう」


「それが青だった」


 まったくもう。

 どこまでもありがちなんだから。


 これから東京ドーム五千万杯分のありがちな幸せを、こいつらに捧げてやろうと思う。あたし達が幸せになれる確率は、100億万%だ。


(終)


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赤と青のif 江戸川台ルーペ @cosmo0912

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