すさびる。『悪魔は契約なんてしない』

晴羽照尊

悪魔は契約なんてしない


 ある日、天啓が降った。雲一つない快晴だった。それなのに、雷に打たれたような衝撃。いやまあ、もちろん僕は雷に打たれたことなどないが。ともかく。

 僕は周囲を見渡した。あるはずだ。この天啓が正しいなら。むしろ、ないとしたらこの天啓すら疑わしい。


「あった……」


 ほとんど探すまでもなかった。そのとき僕がいた場所。そこからもっとも近くにある場所。それこそがそれ・・だったのだから。


「すみません。ありったけください」


 僕は言う。もはや考えての行動ですらない。言葉も、どこぞの成金のようだ。もちろん僕は成金などではない。


「……じゃなくて、ええと」


 僕は財布の中身を確認。逆さに振り、ありったけをぶちまける。


「……買えるだけ」


 買った。それで買えたのが、44枚。なんと不吉な。

 だが、僕は不吉どころか、根拠のない確信しか感じていなかった。そしてそれは、現実となる。


 年をまたいで新年。たった44枚買った宝くじの結果は、見事一等賞。その賞金額は三億円だった。


        *


 さて、晴れて成金となった僕だが、これでも僕は欲の深い方ではない。かといって、「ほうら、明るくなったろう」とかやる趣味もない。パンがなければケーキを見て溢れるよだれで渇きを潤すような人間だ。


 と、いうことで、三億ほど寄付することにした。さて、どこにしよう?

 こういうのは、とことんまでなりゆきに任せるのが一番だ。


「と、いうことで。僕はどこへ寄付するべきだろうか?」


『動物愛護団体の愛護団体とか』


「よし解った」


 電話を切る。なりゆきくんはやはり的確だ。昔からちょっとなに言ってるか解らない。


 調べてみたら、動物愛護団体の愛護団体とやらは見つからなかったので、動物愛護団体に寄付しておいた。僕は猫派だ。


 んで。寄付したころに僕はようやく気付いたのだけれど。


 なんかいつの間にか、僕のかたわらには悪魔が立っていた。


        *


「なんだ。なりゆきくんじゃないか。中学卒業以来か?」


『ちげーよ。俺様は悪魔だ。声が昔の携帯電話みてえにぼわぼわしてんだろうが』


 相変わらずだ、なりゆきくん。ものすごくちょっとなに言ってるか解らない。


 だが確かに、声はぼわぼわしていた。


 そして、僕以外の人間には声も聞こえないし、姿も見えない。なんならすり抜けたりだってしてしまう。さすがなりゆきくんだ。


「しかし、声だけで他人を判断するなというばっちゃの教えだ。どういうじんぎすかん?」


『とりあえずおまえ黙れ』


「…………」


 黙った。周囲の通行人から奇異の目で見られていたから。


『こほん。……あーあー。マイクテス、テス』


 悪魔が自身のだみ声を気にし始めた。いまさらながら、なりゆきくんは実体のある変人だったので、目の前のこいつとは別人なのだろう。


『えー。おめでとう。おまえの人生の『運』は、すべて使い果たされました。今後、不幸が続くとまでは断言しませんが、もう幸運は訪れません』


「おお……」


 僕は感嘆した。そうなんだ。『運』って使い果たしたら、悪魔がやってくるんだね。


        *


 そんで、いまに至る。

 目下では、僕の娘と息子、その配偶者と、その子どもたち。あるいはその子どもたち。多くの親族が大爆笑していた。


「あははは……はは……」「ほんと、ずっとずっと、変わらなかったなあ」「最初から考えてたんだろ、あのネタ」「最期まで、ずっと笑わしてくれて」


 僕の人生最期のとっておきのネタは、ちゃんと伝わったようだ。


 あれから、確かに僕は、緩やかな下り坂を転げ落ちて行った。歳を重ねるごとに体は重くなり、身体機能は低下、やがて、病床に伏す。ただの老衰と言われればそれまでだが、それでも総括して、右往左往、七転八倒な波乱万丈の人生だった。でもね――。


「なあ、なりゆきくん」


『だからちげーっての。俺様は悪魔』


 死んでみて、ようやく気付いた。こいつは、なりゆきくんだ。僕の中学の同級生。おまえ、いつから悪魔なんぞに。


「おまえ嘘ついたろ。僕、……いまが一番幸福なんだけど』


 僕がそう言うと、なりゆきくんは頬を掻き、嘆息した。


『解っちゃいねえ。おまえ、もう死んでんだろうが』


『死は、不幸じゃないだろ?」


『解っちゃいねえ。解っちゃいねえ』


 呆れたように、悪魔は首を振る。


『死、そのものの話なんかしちゃいねえ。……もう死んでんだから、生前使い切った『運』も、リセットされたんだよ』


 さしもの僕も、その発言には背筋を冷やした。


『そうか。……じゃあもう、これで死後の『運』も使い切っちゃったな』


 僕は笑った。それでも後悔しない幸福が、まだ目下にはある。それでいい。


『死後の『運』は無制限だ。よかったな』


 悪魔は言った。


 こうして僕たちは、どっかへ消える。そしてそれは、決して『不幸』などではない。


 最期に一つ、世界の秘密を教えておこう。悪魔を見ていないあなたは大丈夫。その『運』は、ちゃんとまだ、残っているのだ。



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