第2話  さようならは言わない

 だがしかし何時までも泣いてばかりはいられない。

 そして今を生きている以上その歩みは止まる事なくどういう形であろうとも確実に前へと進んでいるのだから。


 

 八年前のあの日私に降り掛かっただろう悍ましい出来事は恐らく生涯忘れる事はないだろう。

 でももうそれは過去の事にしてもいいのでは……と八年以上と言う時間を掛けてようやく私はそう思い至る様になったのである。

 決して短くはない時間だがここまで来るのに必要だった時間でもある。

 とは言えあの時に与えられたあからさまなる悪意からの恨みや憎しみに悲しみ、そして悔しさと言った様々な負の感情を完全に忘れられるのかと言えばそれはわからない。


 だが何時まも特定の人物へ恨みや憎しみを抱いたところで私にとってプラスになる事があるのだろうか。

 答えはそれもわからない。


 何故なら私が生まれてから今日へ至るまでに大なり小なりとも様々な事があったのである。

 楽しい事や悲しい事、今回の様に人を憎みまた憎む辛さで自身の心をまた苛み続け、その結果心臓への負荷を与え寝込んでいた日々……ってまだまだ寝込んでいますけれどもね。


 何よりも恐ろしいのは他人を心の底より憎む感情。

 そして屑扱いされた事により悲しみそして相手を心底恨み続けた時間。

 決して短くはない時間、また私の貴重な人生と言う時間を奪われた事について謝罪もなければ何ら保証をされる事もなかったのに対し、はっきりとした言葉で嘘偽りなく……何て綺麗事は言わないし絶対に言えない。


 生憎私は聖人君子でもなければなんちゃって無宗教な人間である。


 嘘もつけば摘まみ食いとか、時々自分だけの御褒美おやつを買っては密かに一人で食べてしまう事もある。

 TVやネットを見て悪態を吐く事も度々ある。

 断じていい子ちゃんではない。


 だからこれより先の未来についてものである。



 抑々そもそも鬱を患っていなければこうして小説を投稿する事もなかったしブログも書いてはいなかっただろう。

 必死にその日その日を齷齪あくせくと病院で働くだけの人生だったと思う。

 そう思えばきっと鬱となり今までに知る事のなかった様々な感情を知り、またネット上での知り合いも出来た事に感謝をしなければいけない。

 いやいや鬱になった原因に対しては感謝何てしないよ。

 今でもあの病院とあの人間関係からの看護体制は異常だと思うもん。


 でも久しぶりにあの病院のサイトを見る事が出来たのである。

 そしてそこで知ったのは看護部長の交代だった。

 何故交代したのかはわからないしその理由を知ろうとも思わない。

 だが私と同じ年齢の彼女はまだまだ働き盛りの年齢だ。

 決して後進へその道を譲るにしては早過ぎる交代だと思う。

 まあそれも私には一切関係のない事。



 そうして母が亡くなり今日で半年と言う時間が経過したからこそ思うもの。

 きっとあの玉子事件……恐らくそれまでに母の脳内では少しずつ炎症が始まっていたのだろう。

 また母自身が知っていたのかそれとも知らずなのかはもう調べようもない。

 でもきっとあの時あの瞬間を以て母は自らの魂の最期の力を振り絞ってまで心残りでしかないだろう私の行く末を案じ、母の命を代償にしてまで私を底なしの闇の沼より引き上げてくれたのだと思う。

 

 きっとこれは誰に相談したとしてもそれは考え過ぎだと言われるかもしれない。

 だが私には母の最期の光によって救い上げられたとしか思えないのである。

 何故なら本来ならば決して考えられなかったしきっと母が認知症になったからと言ってあの頃包丁を持つ事すら出来なかった私がである。

 不思議とスムーズに包丁を持てば料理を作り家事も普通にこなす事が出来ただけでなく、病で苛まれていく母の介護を最後まで行う事が出来たのだ。

 勿論それを行うにあたって弟妹達の助けがあり初めて成立したのは言うまでもない。


 だけど私の心へ最初の強烈な一撃を与えてくれたのは紛れもなくなのである。


 自分の命と代償に私を闇の底より救いだせばそのまま入れ替わる様に病魔へ侵され、病床へと付す事になってしまった母。

 母を看取り数ヶ月経って初めてそれに気づかされたのである。

 また深過ぎる子を想う母の愛情に涙が止まらない。

 

 私はそんな素晴らしい母へ一体何が出来たのだろう。

 そして何をしてあげる事が出来たのだろうか。

 

 いや、きっと母のしてくれただろう半分も私は何も出来はしなかった。



 生涯母に頭が上がる事はないと思う。

 そして感謝しか出来ない。

 でもそんな命懸けで救ってくれた母へ出来る事は――――。


 私自身の人生が終えるまで今度こそ真っ直ぐ前を向いて歩いていこう。


 これまで経験したもの全てに無駄なものは一つとして存在はしない。

 時にはそれらを忘れる事はあってもである。

 だが出来るだけ生まれてから今までに経験をした事と共に残りあと何年になるかわからない私の人生の最期の瞬間まで、それらと一緒に歩いていこう。

 

 そうして何時の日か私の時間が終わった時はまた母や春菜と雪乃、そして弥生にも会えるといいな。

 きっと再会出来ればまた私はぼろぼろと滂沱の涙を流し……って実は書きながらも今の時点で泣いています。

 そして妹にその姿を見られて引かれてもいます。


 まあその時までまた悔しい涙を流す事もあれば嬉しい涙を何度となく流すと思う。


 それでもだ。

 母より与えられた未来へ踏み出す為の一歩の勇気を無駄にする事なく、これから私の速度でゆっくりと歩いていきたい。


 有難うママ。

 私をこの世に産んでくれて、そして沢山愛してくれて有難う。

 でもさようならは言わないよ。

 だって何時の日か皆と再会するんだもんね。

 だからまた逢う日まで。



 *何時も拙作を読んで下さり有難う御座います。

  これにて完結となります。

  内容はざっくりとですがこれは改めて私が経験をしたであろう真実です。

  私は前を向いて歩くと決めた時に、過去に起こった事を忘れるのではなく私の中で昇華したいと思い物語を書く 

  事にしました。


  ぶっちゃけ辛い過去なので書いている間はそれなりに辛く、まあ本当に辛いの一言ですよ。

  でもこれもきっとこれから生きていく上で何か意味ある事に代わっていくのだと信じています。

  そして今日母の半年の命日となる日に完結が出来て良かったと思います。

  

  何かと色々大変な世の中ですが皆さまにとって素晴らしい人生である事を願っています。

  また辛い時や悲しい時にはきっと傍に誰かがいる事を忘れないで下さい。

  何故なら私達は決して一人ではないのですからね。

  

                                姫ゐな 雪乃 

 

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希望 ~差し伸べられたのは貴方の魂の光でした 姫ゐな 雪乃 (Hinakiもしくは雪乃 @papiten

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