第6話  面接

 だからと言って何もしなかった訳ではない。

 

 そう土山さんが辞めてしまう少し前の事だった。

 確かにN病院を辞めたいと言う気持ちは私の心の中に存在している。

 それは誰に言われるまでもなく私自身が肌でビシビシと感じるこの病院の異常さと闇の深さを感じとっていたからだ。

 とは言え何度も言うが私の腰は私の身体並み……いやいやそれ以上に重い。


 そんな腰の重い私がである。

 それはほんのちょっとした好奇心からなのだろうか。

 ある日偶々違う人材バンクより、そう偶々休日だった私へ電話があったのである。


 健康診断の求人。


 いやいや私が検診を受けるのではなく、検診を専門としたクリニックで毎日クリニックのバスへ乗り、指定された場所へ向かえばそこで採血や計測等を行うもの。

 病院と言う閉鎖空間の中で仕事をしてきた私にしてみれば、少しばかり知らない世界を覗いてみたいと、ただ単純に思ったのである。

 

 勿論その行動へ踏み切った主な要因はN病院の異常さに他ならない。

 それがあったからこそ辞めたい癖に辞められない優柔不断な私には珍しく二つ返事で了承したのだ。

 


「――――色々な分野を経験されているのですね」

「はい、ですがどれもまだまだ浅くしか学べてはいません」

「今は……透析ですか」

「はい……」


 人材バンクのスタッフである女性と共に臨んだ面接は思ったより会話も弾み、気が付けば何故か相手の師長さんより気に入られてしまったのである。

 そして結果は後日。

 別れの挨拶をする時も師長さんは採用したいと何度も言って下さり、人材バンクに伝えていた時給よりも少しだけ上乗せを提示して下さる程だった。

 

 そう正直に言って私を必要だと申し出て下さったと言う事がめっちゃ嬉しかった。

 ただどの検診先も京都市街な為に朝はめっちゃ早い。

 しかしそれは別に苦ではない。

 新しい環境で心機一転――――それもいいのかもしれないと、心の中へよぎっていく。


 そうして二日後だったと思う。

 メールに合否が知らされていた。

 勿論だった。

 本当に心から嬉しかった。

 私を必要だと言ってくれる言葉と気持ちがめっちゃ伝わっていた。

 そう、何も考えずに本心を言えば検診へと転職したい。

 だが結果的に……残念だけれどもお断りをしたのである。


 沢山……それはもうめっちゃ考え抜いた末の結論だった。

 珍しく母にも相談をした。

 母は転職に対して賛成だった。

 でも生憎と常勤ではなくパート扱い。

 勿論師長さんは常勤の枠が空き次第常勤へ移行してくれるとも約束してくれた。

 しかしその期間は未定。


 検診は忙しい季節もあればほぼほぼ検診のない季節もある。

 パート契約をすれば繁忙期はそれなりに給料を手にする事は出来るだろう。

 だがその逆……閑散期の給料は月にして約三万円くらいだと言う。

 当然その間は副業もOKだし、移動するバスの中では自由に昼寝をしようがお菓子を食べるのもいいとも言われた。

 中々に自由な所だなぁとも思った。


 でも給料が安定しないのはちょっと……ね。


 それに幾ら夫がいるとは言えである。

 昨今何があるかはわからない。

 ましてや夫は私よりも12歳も年が上。

 確実に夫の老後の事も考えなければいけない。

 年齢を重ねた母と夫は10歳しか変わらない。


 そうして色々その他にも考え抜いた末、後ろ髪を思いっきり引かれながらのお断りを直接伝えたのである。

 すると断ったと言うのに師長さんは――――。


 『何かあったら連絡して』と名刺までくれたのである。

 気さく過ぎるでしょ。

 でもそのお言葉はとても有り難かった。

 流石に鬱を患い八年以上経過している故に連絡は入れてはいない。


 今思えばあの時に転職をしていればまた違った未来がひらいていたのだろうか。

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