第5話  最初の別れ

「桃園さん!!」

「は、はい?」

「いーい、辞める時はな。退退んよ」

「退職届って?」

「そう退職届。退職届を出せば上は二週間で受理しなあかんねん。だから辞める――――と決めた時は退!! 絶対に忘れたらあかんで」


 それからもう私には限界やわ。

 先に辞めてごめんな。



 本当にあっと言う間の出来事だった。

 『辞めたい、辞めようね』って仕事の合間に、まるで口癖の様に呟いている間の事だった。

 

 土山さんは私へそう伝えた二週間後、本当にこの病院を退職してしまった。

 土山さんの行動力恐るべし?


 何時も明るくお姉さんの様な存在でまた分かり易い指導をしてくれた女性ひとだった。

 まだまだ学ぶ事はあった。

 そしてまだ学び足りなかった。


 穿刺一つにしても土山さん達が何時も刺し易い患者さんを教えてくれたからこそ出来た手技。

 独り立ちだなんて烏滸がまし過ぎて言葉にも出せやしない。

 なのに――――。


 何故私自身が未熟なのをわかっている筈なのに、どうして皆穿刺を行えるスタッフの一人としてみなすのだろう。

 

 幾ら年齢を重ねても、また准看護師としての経験があったとしても、透析の、穿刺の経年はまだまだ未熟なのにだ!!


 そうして未熟である事は私以上に皆が十分過ぎる程に分かっているとも思う。

 そう十分理解した上でそれでも私を頭数に入れなければいけない理由わけ


 透析へ従事する人員不足。


 それ以外の理由はない。

 何故なら元々ギリギリのメンバーで透析を行っていたのである。

 それこそ面接を行って直ぐに採用してしまう程に……だ。

 従事する人間が少ないからこその土井さんの様に検査技師まで、法を無視し一スタッフへと加えたのだろう。

 

 派遣の田中さんが逃げるように退職し、土井さんを本来の検査技師へと戻し、そうして土山さんも辞めてしまった今、圧倒的に穿刺を行うスタッフが足りない。

 だから未熟な私が仕方なく頭数へと引き込まれてしまったのだ。

 ああ、これならば土井さんの事に疑問を持たなければ……いやいやそれは今でも間違いではないと思っている。


 資格がなければ認められた以上の医療を提供してはいけない。

 人員不足だからと言い訳は法の下では正当な理由にはならないのだ。

 そして私は犯罪には加担したくはない。

 彼の、土井さんの資格を知らなかった頃は仕方ないにしてもである。

 土井さんの持つ資格を知ってしまった以上、もう元へは戻れない。


 そう私は前に進む事しか許されなかった。

 また一体何が私をそうさせたのだろう。

 考えられるとすればきっと、うん多分私が土山さんと同時期に辞めなかったのはから?

 取るに足らない存在の私でも、きっとここにいれば何かの役に立つのかもしれないと愚かにもそう思ったのである。

 

 私まで辞めれば透析は回せなくなってしまう。


 自意識過剰と言われても仕方がない。

 でも実際ギリギリの人数で毎日を何とか無事に終わらせている現状下において、酷くそう思い込んでしまったのである。


 実際私なんていなくても透析は回せるし、何も変わらないのだと気づくのに私はかなりの時間を要してしまった。

 本当にあの頃の自分へ帰れるのであれば戻り、目が覚める様に頬をしっかり叩いてやりたい。

 そうすればこんなにも悩まずに済んだのだ。

 だけど鬱を患わなければ恐らく……きっと私は小説を書く事もなかっただろう。


 そう考えれば人生とは本当に面白い。

 何処に道が繋がっているのか全く分からないのである。

 ただ今この現状で分かる事は――――。


 どの様に困難な道、また歩んでいた道が突如閉されようとしてもである。

 小さな亀の様にゆっくりでもいい。

 自らの歩みを止めなければ何時かきっと道は開けていくのである。

 

 暗く、一条の光さえも射し込まない真っ暗闇の道と言えどもだ。

 止まらぬ限りは思い示す場所、または全く思いもよらぬ広く大きな道へと繋がっているのだと私は信じている。

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