ある少女へ 第1部 (連載1)
狩野晃翔《かのうこうしょう》
第1部 第1話
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昭和の頃のの代表的若者音楽といえばフォークでした。その流行の中で多くのシンガーソングライターが生まれ、そしてアマチュアの世界でも自分で作詞、作曲して歌うスタイルが全盛でした。その70年代後半、ぼくはもう社会人になっていましたが、毎月その最終土曜日は北千住にある個人経営レストラン『モンテ』で仲間たちとミニコンサートを開いていたんです。
『モンテ』は通常は午後十時までの営業時間でしたが、コンサートがある日は六時で終了。その後テーブルをかたずけ、店内の奥に特設ステージを設け、それに向かって椅子を30脚並べてコンサート会場を作りました。コンサートの開始は午後七時からで、ぼくを含め、3組か4組が持ち時間30分で自分のオリジナル曲とか有名フォークシンガーの歌をカバーして歌っていました。
そのミニコンサートも回を重ねると、いつも観に見てくれる常連さんがいます。特に印象的だったのは、いつもひとりで前の方の席に座り、曲と曲の間のトークに熱心に耳を傾けている女子大生のチェリーさん。あと引っ込み思案を顔に張り付けて、いつも後方の席で友だちと一緒に来ていて、熱心にぼくの歌を聴いていた女子高生のオケアットが記憶に残っています。
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その月イチ土曜日のミニコンサート。それが終わったあと、ぼくはチェリーさんから、1本のカセットテープをもらったことがあります。
「これ、よかったら、家で聴いてみてください」
そう言って手渡されたカセットテープ。
それは何のカセットテープだろう。どんな音楽が入っているんだろう。
ぼくは興味津々で自宅でそのカセットテープを再生してみました。するとそのテープは彼女自身がピアノを弾きながら歌っているフォーク系の楽曲3曲が入っていました。
テープの最後には、谷山浩子の『河のほとりに』のカバー曲です。もちろん歌っているのはチェリーさん本人です。
しばらくそれを聴いていると、その歌と演奏はセリフの部分ででフェルマータ(止まってしまうこと)になっています。おや、と思っているとやがて歌と演奏が再開されました。
『河のほとりに』という歌の歌詞には
~ずっと昔から 知っているような そんな気がする~
という箇所があります。
チェリーさんの自作テープではその歌詞の直後がフェルマータになり、歌が再開されたすぐ後に、本来の歌詞以外に「コウショウさん、あなたが、好きです」というセリフが入っていたのです。
このサプライズにぼくは、驚いてしまいました。そして照れました。
チェリーさん。ありがとう。ぼくは嬉しいよ。照れくさいけれどね。
ぼくは貰ったカセットテープに、そうつぶやいたものでした。
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ぼくは一度だけ、チェリーさんの夢を見たことがあります。
夏。海に面した白いテラスハウス。そのテラスハウスで、白いゆったりしたムームーのようなワンピースを着たチェリーさんが、海を眺めているんです。
そのことをぼくがチェリーさんに話すと彼女は、次のミニコンサートで
そっくりそのままのワンピース姿で会場にやっってきて、いたくぼくを感動させたものでした。
さらにその年のクリスマスイブの夜、ぼくは彼女からプレゼントをもらいました。包装紙を剥がすと中から出てきたものは、手編みのフィッシャーマンセーターです。
でもそのフィッシャーマンセーターは、ほかのセーターと違っていました。何と
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そのチェリーさんがいつもリクエストしていたのは、ぼくのオリジナル曲『十九歳の遺書 第2章』でした。
かつて彼女が慕っていた先輩。その先輩は大失恋の痛手で、みずからの命を絶ってしまったというのです。それとオーバーラップするこの歌はどうやら、彼女の琴線に触れたようなのでした。
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『十九歳の遺書 第2章』
作詞作曲 狩野晃翔
Am G Am G Am G Am/G Am
人の命のはかないことを 今こそ知った19の冬
Am G Am G Am G Am/G Am
残り少ないぼくの命を あなたのために ささげたい
Gm Am G Am G Am G E7
あなたのことを 憎みきれたら ぼくの心は救われたのに
Am G Am G Am G/Am
遠い世界に 旅立つぼくを あなたの涙で飾りたい
苦しみだけのこの世界 悲しみだけの ぼくの心
あなたのことを 憎みきれたら ぼくの心は救われたのに
あなたの幸せ 祈りながら 19の命を ここに散らそう
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森羅万象。ぼくの周りにあるすべてのもの。それらのものに始まりがあるように、いつか必ず終わりもあるような気がします。
一年半近く続いた毎月最終土曜日のミニコンサート。そのコンサートは場所を提供して頂いていた北千住のレストラン『モンテ』の閉店に伴い、とうとう最終回を迎えることになりました。その最終コンサートは事前にハガキで連絡したこともあり、会場は満席で、立ち見も出るほどの盛況です。
そのミニコンサート最後の日。いつもはひとりで来ていたチェリ―さんはその日、なぜか優しそうな男性と一緒に来ていました。
チェリーさんと一緒の、あの男性は誰なんだろう。どんな関係なんだろう。兄か弟、あるいはただの友だちだろうか。
けれど二人で笑い合う雰囲気は、愛し合う恋人同士のそれです。
ぼくの心にちょっぴり、嫉妬の炎が広がりました。チェリーさんと親しげに談笑している男性が羨ましく、て仕方ありませんでした。
そのとき、ぼくは悟りました。やはりぼくだってチェリーさんが好きだったんだ。
好きです、という声が入ったカセットをもらい、LOVE100%のタグが付いているセーターもプレゼントされたのに、ぼくは彼女に何か応えただろうか。
ぼくは自問自答しました。
コンサートがはねたあと、ファミレスで食事したり、駅まで一緒に帰ったことはありました。でもぼくとチェリーさんとは、それ以上何の進展もなかったのです。
今思えば彼女は、ぼくにカセットテープとフィッシャーマンセーターをプレゼントしてくれた以外、その見返りをせがまなかったし、ぼくも一定の距離を置いて、どこかに誘うとか、愛を告白することもありませんでした。そしてそれが今になって悔やまれて仕方ありませんでした。
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最後のミニコンサートが終わったあと、ぼくは急いで外に出ました。
いつもならそこには、心細さそうにチェリーさんが立っていて、ぼくを見るなり子犬のように駆け寄ってくるのに、その日はそこにチェリーさんの姿はありません。
胸が締め付けられました。ぼくの恋心。それは失ったからこそ気づいたのかもしれません。仲睦まじい男性が現れたからこそ、こんな気持ちになったのかも知れません。
夜空を見上げました。
星のまたたきさえ見えない都会の夜空。周りをビルに囲まれた都会の夜空。
その漆黒の夜空が、この恋の
チェリーさんのひたむきな愛。それに応えなかった鈍感なぼく。
ちょっと胸が痛みました。
けれどもうひとりの自分が、ぼくのその揺れる思いに
チェリーさん。好きだったよ。恋していたよ。いつも心の片隅に、チェリーさんの存在があったよ。
だけどぼくはチェリーさんの愛に、応えられっこないじゃないか。
だってぼくには、ぼくの家には、身重の妻がいるんだから。
《この物語 続きます》
ある少女へ 第1部 (連載1) 狩野晃翔《かのうこうしょう》 @akeey7
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