第9話:サワーPとの再会

 サワーPに指定されたのはとても小綺麗なバーというかカフェというか、薄暗くて壁にはたくさんの絵や写真が飾られていて、わけのわからないオブジェがあって、古いアメリカの曲がかかっている店だった。

「あの・・・お久しぶり」

「・・・うん」

 洒落たメニューしかないから、何とかいう黒いビールを頼んで、タコスみたいなものを食べる。味は分からない。

「とにかくいろいろ・・・うん、もう、いろいろと」

 おめでとう・・・と言いたい、言うべきなんだろうが、言葉が続かなかった。

「ああ、いや、うん・・・」

「・・・えっと、今日は、・・・その?」

「あー、えっと・・・あれ、その、・・・ツイッター、見て、ない?」

「あ、あれ、何かあったっけ」

「そうだよね、見てないよね。だって246Pから俺、フォロー、外されてたもんね」

「あっ・・・、ご、ごめ」

「別に、よくて。いろいろ・・・よくて」

「う、ん・・・」

 沈黙。

 沢君は髪を伸ばしていて、何色だか分からない色に染めていた。

 知らない人みたいだったけど、テーブルに置いた右手の、薬指と中指がほんの軽くトントンと叩くリズムで、かろうじて、繋ぎ止めた。

「・・・いったん、活動休止、する」

「・・・え」

「ようやくいろいろ、片付けた、ん、だよね。・・・案外、誰からも、引き留められない感じで。・・・それで、その、・・・今月からもう、いったん、お休みで」

「・・・そ、そう、なんだ」

「・・・いろいろ、あった・・・んだけど、さ。・・・イケさん、興味、別にないよね」

「・・・い、いや」

「俺、いっぱい、メッセージとか送ったけど、返って、こなくて・・・」

「・・・え、え?それ・・・どれ?まさかケータイ?」

「と、とにかく、その・・・もうそれは、よくて。・・・ただ、その・・・あのね」

「・・・う、ん」

 そこで頼んでいた料理が来て、いったん会話は途切れた。

 結局、食事の間、途切れた会話が戻ることはなかった。


 店を出て、どちらもまだ無言。

 二軒目に行く、様子もない。

 ここで、それとなく、あっちの方・・・つまり、円山町まるやまちょうへと足を向けるのは、さすがに躊躇ためらわれた。

 だから仕方なく、人の流れる方、つまり駅の方へ何となく下っていく。渋谷駅はボウルの底みたいに低い。

 そして駅前、ハチ公広場はまだまだ喧騒の中。どこかから聴こえるストリートミュージシャンの歌声に気を取られていたら、隣で声がした。

「・・・って、いいですか」

「え、うん?・・・ごめん聞こえなかった」

「イケさんの家、これから行ってもいいですか」

「・・・」

 顔は伏せられたまま。切羽詰まった声。

 俺は「散らかってるけど」と一言、井の頭線へと向かった。



* * *



 友人を連れてきたことはない。

 当然だ。

 祖師谷そしがやの都営住宅。要するに公営団地。一人で暮らしてはいるが、それは実家暮らしも同然で、片手の指でお釣りがくる激安の家賃だからこそバイトで食っていけている。

 ・・・本来は、俺がここに一人で住むのは規約違反だ。

 世帯主である父に貸し出された住宅なのであって、今も毎年審査されているのは父。引っ越しや介護施設への入居などではなく、親戚の家で面倒を見てもらっているだけだから、完全なる違反ではないが、限りなくグレー。

 近所の人は、寝たきりに近い父を俺が面倒みているんだと思って、封筒でまわってくる管理費が遅れても、自治会の掃除に行かなくても大目に見てくれている。ただ、それはありがたいが、東京でありながら田舎のような団地の包囲網があって、ちょっとしたこともすぐ知れ渡って自治会長が訪ねてくるから油断ができない。

 

 以上の説明を「俺が借りてるわけじゃないが、今は一人で住んでる」の一言で済ませ、狭い階段を三階分のぼり、重いドアを開けた。そこそこ壁が分厚いことと、周りが老人ばかりで夜は静かなことが幸いなのか災いなのか、こんな団地の一角でも音楽をやるにはいい。以前行った友人の安アパートは壁があってないようなもので辟易した。まともなマンションに越すほどの貯えもないのは、ここでも十分できてしまうという甘えだ。

 玄関に上がった沢君は、面食らっている、という風にも見えなかった。

 表札の<原口>という文字も見えたはずだが、何も言わなかった。そういえば246Pの由来は嘘ではないが、無意識に、渋谷に住んでいた頃の暮らしや思い出に逃げているわけだ。

「イケさん、あの・・・」

「うん、なに・・・あ、ごめん、コーヒーでも」

「いや、・・・何か、イケさんも、・・・生きてたんですね」

「・・・なにそれ」

「音楽の感じとは、全然違う・・・それは、俺も、同じだけど」

「・・・逃げてるからね」

「・・・して」

「・・・うん?」

「していいですか」

 そう言って沢君は俺に抱きついてきた。

 ここは・・・今俺は、<オン>じゃない。<オフ>だ。

 天井も低い、古びた部屋。ここではヘッドホンをしていなければ、俺は246Pになれない。

 サワーPとも、寝れない。

「ごめん、無理だよ、ここでは」

「いいじゃないですか、減るもんじゃなし」

「・・・出来ない。今、そういう身体じゃない」

「俺だってきっと、そう、です、けど・・・だからお願い、俺とアルバム作ってください」

「・・・え?・・・いや、だって、活動休止って」

「こう・・・こうするしか、なくて。俺がここに戻ってくる、ただ、あのアルバムを作るところから、そうじゃないともう、他のことはわけわかんなくて」

「それって、俺とのアルバム、作りたいってこと?あれ、まだやる気がある?」

「・・・っ、まだ、とかじゃ、なくて・・・!」

「そんなのさ、俺だって、ずっと」

「俺もう、イケさんに嫌われたんだと思って・・・見放されたんだと」

「・・・っ、俺がどれだけ、何回、今だってずっと、あの作りかけを聴き続けて・・・!」

 もう、抱き合って、めちゃくちゃにキスしていた。

 服を脱がせるのも追いつかないままベッドに押し倒され、電気も消していないからそれはいつもの天井なのに、沢君が乗っかっていると、違う天井に見えた。


 ヘッドホンもしていないのに、あの曲が聞こえてくる。

 でも、違う、細部が全然違う。ここのベースもここのパーカッションも、顕微鏡で構造を見ているように、その音が過ぎ去っても俺の頭はそこを見続けて、緻密に作り込まれているのが手に取るように分かった。これは、俺がいつの間にか作り上げた?いや、こんな音は作らない、作れない、これはサワーPだ。サワーPがすぐそこにいる・・・。

 現実の音が戻ってきて、それは俺と沢君の声とベッドの軋みだけど、その背景に確かにその音があった。

 それは沢君のポケットから落ちたiPodが勝手に押されてイヤホンから聴こえていたもので、それで、俺は、沢君がずっとこのボタニカルなアルバムに手を入れ続け、完成度を上げていたことが分かった。それはあの、サワーPによる他の有名ボカロPのアレンジ曲なんかとは仕事の質が違って、俺はもう、涙が出てきた。

「沢君、沢君、俺はもう、ごめん、本当に」

「・・・な、なに」

「俺の詞でいい?いや俺のじゃなきゃだめだろ?頼む、一緒にやらせて・・・」

「・・・おねがい、します」

 その消え入るような声とは裏腹に、食いつかれるようなキスが降ってきて、抱き合った。俺は完全にそれに没頭して、五曲分の歌詞がすべて、そこに在って時間は止まって、全部の<正しい姿>がはっきりと見えて、漢字もひらがなも韻も行間も、俺の中で完成した。

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