第8話:馬鹿

 シャワーを浴び終わると沢君は、ベッドの端で丸まっていた。

「ねえ、沢君」

 声をかけるけど、返事はない。とりあえずベッドに上がると、少し寄ってきた。

「・・・い、イケさん」

「・・・泣いてるの」

「ううっ・・・」

 沢君は泣いていた。

「ごめん、イケさん、俺、ごめん・・・」

「どうしたの」

「もう、なんかどうにも、できなくて」

「何が。・・・なんか、あったの」

「なんか・・・って、いうか・・・」

「ツイッター、見たよ。あのCDのこと?もしかして何か揉めてんの?」

「ううん・・・ってゆか、俺、どうしていいか、わかんなくて・・・」

「うん、何が?」

「わかんない。何かいろいろ、・・・いろいろ、あって、でも、自分がどうしていいか、っていうか、どうしたいのかが、わかんなくなって」

「うん。・・・そのいろいろって、あのCDの話・・・だけじゃなく?」

「・・・うん」

「俺との、アルバムの話、も?」

「うん」

「他にも、ある?」

「・・・うん」

「どんな?」

「・・・」

 しばらく嗚咽を繰り返した後、沢君はいくつか知った名前を挙げ、つまり、俺のほかにもいろいろなコラボ的誘いやアレンジの依頼もあり、つまり、どんどん仕事が舞い込んでいるということだった。

「一気にいろいろきて、混乱した?大丈夫だよ、いっこずつやってけば。っていうか、俺とのアルバムはおいといて、誰かこういうの、経験した人に相談するのがいいと思う。変に仕事受けすぎても追っつかなくなるし、たぶんこれからもっと、セルフプロデュース的な何かが・・・」

「・・・い、イケさん、違う」

「・・・え?」

「違う、俺、だって、望んでた、と、思ってた・・・。でも今はぜんぶこわい。本当に今日も今も、ぜんぶぜんぶ、断ろうと思ってる・・・俺、246Pとアルバム出したかっただけなのに、それ以外今はいらないのに、何で急にこんなことに」

「・・・それ、別に、今じゃなくたって、いつかはめぐってきたチャンスだよ。つかんだほうがいい。・・・音楽で食っていける、俺たちの夢じゃん」

「・・・おれ、だって、そう、思う・・・。でも心が全然やりたくない。でも、でも、い・・・」

「・・・うん?」

「い、家を、出るなら、のがせない。俺はもうあんな家を出たい。でも、それなのに、・・・急に全部の意味がわかんなくなって、それなのに仕事はどんどん来て、でも俺はどんどん余計にわかんなく・・・」

「焦ってるだけだって。たぶんみんな、誰でも通る道なんだよ。抜けるしかないんだ、きっと」

「そんなこと・・・言わんで。おねがい」

「俺はサワーPはいい曲作ると思ってる。それが広まって、みんながそれを聴くのは、必然だし、いいことだ。それを俺が、辞めろだの、断れだの、言えるわけがない」

「・・・うう、違う、今のおれには、むり・・・」

「俺は沢君の曲が好きだよ。本当に。心の底から好きだ」

 キスを、された。

 少し涙の味がした。

 もう一度求められて、抱き合った。そして風呂に行く余裕も何もなく、倒れるように寝た。



* * *



 それから連絡が途絶えて、数ヶ月。

 俺は、達観した渾身の五曲目の詞を送って、あとはどうすることもできない。冬のイベントは一人で申し込んで、そのためのアルバム制作に入った。

 見たくないような、気になるような、で、結局、数日に一度、サワーPのツイッターをチェックしてしまう。

 心の底ではまったくそんなことはないのに、心の表層では、彼がうまくいっていることに安堵して、「おめでとう」「やったじゃん」とつぶやきさえしていた。

 そしてそれらを見る度、ざわついた心を抑えたくて、コラボ曲のあの、二人がリンクした曲を聴き直す。

 二度目のサビが最高に震えるけど、そこで、あの最初の<フィックスした>キスが蘇ってしまい、別の何かが震えそうになって、こらえる。

 そして二曲目、三曲目も攻めていて、本当に意欲作だ。正直言って、イケボ天国にラインナップされた曲よりも、こっちの方が・・・。

 いや、曲に優劣はつけまい。



* * *



 冬が来た。

 毎年恒例、似たり寄ったりの顔ぶれが並ぶイベント会場。(註:ここでいうイベントは、いわゆる同人誌即売会の音楽版。サークル参加して、自分で作ったCDを並べ、個々のブースで売る)

 サワーPは出ていない。しかしたとえ本人名義のブースがなくても、なじみのPたちはそこら辺にいてそこら辺で委託販売しているのが常だから、案外そこら辺に・・・。

 ・・・。

 ・・・いた。

 遠くに、大勢の集団の中に、その姿を見た。

 ・・・夢。

 ここにいる誰もがそれを目指している。スマッシュヒット、再生数1万回、100万回、コラボ、メジャーデビュー、タイアップ、深夜アニメのエンディングテーマ、ゲーム主題歌。

 サワーPはその階段をのぼって実家を出て、音楽で生きていこうとしている。

 そのことに俺は何を思うべきだろう?

 俺はサワーPの音楽のことは分かるつもりだけど、彼の人生については驚くほど、馬鹿だったのかもしれない。

 音楽については100語れるけど、デビューすべきかどうかについては、1か2くらいしか答えを持ち合わせていない。

 イヤホンを耳に突っ込んで、二人のコンセプトミニアルバムを聴く。

 午後に入って人も少なくなり、この界隈では、ブースにいるほぼ半数が別の何かを聴いている。

 何度聴いても、いい曲だった。仕上げたらどんなに素晴らしいだろう。ここはこうしたい、ここにこの音を入れたい、ここは絞ってここで膨らませたい・・・。

 沢君はもう、この曲を作っていた頃とは、別の人になってしまっただろうか・・・?



* * *



 春になった。

 サワーPの曲は、別のCDでもいくつか取り上げられて、ランキングでも常に名前が出るようになった。

 他の有名ボカロPの曲のアレンジもあった。相変わらずいいリズムだけど、やや、大人しくて、色が原色のドロップ飴のよう。繊細さと大胆さに欠ける気がする・・・なんていうのは、ただのひがみ根性だろうか。

 しかし、これまでの曲の別アレンジや焼き直しはあっても、新譜はなかった。

 それを聴けば、サワーPが今幸せなのかどうか、分かるのに。


 何度も、もうサワーPのことをチェックするのはやめようと思った。

 それでも、やはり、俺はもしかして間違ったアドバイスをしたんじゃないか、ろくに彼の話を聞かず、無責任に背中を押したんじゃないかと、後悔は日に日に大きくなっていった。



* * *



 初夏になり、ひとつ年を取って、三十五歳になった。

 字面じづらを見ればそれはオッサンだ。アルバイトのかたわら、音楽活動をしているという、それ以上でもそれ以下でもないオッサン。

 沢君も三十一歳になったかもしれないが、メジャーデビューを目前にしていれば、音楽活動という響きも変わってくる。

 羨ましい、というよりは、よく分からない。


 ツイッターでオッサン報告をしたら、DMが来た。

 サワーPが、渋谷で飲みませんかと言う。

 あれ、サワーPって誰だっけ。そういうシチュエーション、前にもあったような・・・。

 ・・・。

 鼻で笑って、腹の奥は苦しくなって、「また前の店で?」と返したらすぐに「あそこ潰れたんで、別のところで」と。

 情けなくも、手が震えた。

 たぶん俺は、沢君の人生についてろくに考えが足らない馬鹿だったが、それは自分の気持ちについても、そうだったらしい・・・。

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