第4話:円山町で聴く、すごくいい曲
歩いて十数分、そこは
まったく波に揺られる昆布のような、夜の蒸し暑さも感じない、もういい、どうにでもなれという肌感覚で男女の行き交う道を男二人で歩き、普通のマンションみたいなホテルに入った。入り口で待っていると沢君が会計を済ませ、俺にしなだれかかるように腕を絡め、その頭には、バッグから出したらしい帽子をかぶっていた。ロビーにいたカップルたちから光速で遠ざかり、俺たちは部屋に駆け込んだ。
「やばい、ちょっと、ごめんなさい俺、シャワー浴びてくる」
「あー、マジ、普通に東急ホテルとかでツインとかにしたらよかったんじゃ!?」
「高すぎるし空いてないよ」
「まあ、そうかな。でもとにかく、宿は確保したから、もういっか」
「うん、ごめんちょっと、汗かいた」
「あ、どうぞどうぞ」
「すんません!」
俺も酔っていて頭とまぶたが重くなってくる。リネンと、変な香水というか、ジェルみたいな香料の匂い。空調はカラオケ屋みたいにガーガー風ばかり出る。そこそこ綺麗な方だとは思うけど、やっぱり何ともいえない。
それでも、冷蔵庫の水を飲んで小便をして空調を調節すると、少し落ち着いてきた。身体が落ち着けば、そこは、ただ、見慣れない世界。風呂場では男がシャワーを浴びている。今日会ったばかりの、でも、少なくとも俺の思う、十本の指に入る<これは>と思う曲を作る人間。
空間。
空気、ベッドの座った感じ、匂い、肌の感覚、微かな音・・・。
俺は急いでヒップバッグの中のiPodのイヤホンをひったくる。百合の曲は入ってないけど、別の曲、しかも別の人のアレンジだけど、サワーPの、・・・ああこれだ、<船の音>。そう、この人のはタイトルが日本語でいい。こういう言葉を操るくせに、出てこないとか・・・。
曲が始まれば、それに浸った。
青色のゼリーの中に浸かって、顔の、鼻から下、一緒に固まってしまったよう。
群青のような、藤色のような、澄んでいるけど澄みきってはいない、朝もやのような、そういう曲が多い。・・・好きだ。すごくいい。改めて聴いてみると、すごくいい・・・。
「・・・なんか、すっごい俺、・・・どうしたらいいかわかんないかも」
沢君が言うので、俺はまず風呂場の電気を消して、他の電気も消して回って、そして最後にサイドテーブルのつまみを回して全部真っ暗にした。俺は暗闇が好きだ。
「え、・・・ちょ?」
「俺暗いのが好きなんだ」
「・・・ま、・・・こ、怖い話とか始めたり」
「しない、しない。大丈夫」
「い、いや、その・・・」
「今、沢君の曲聴いてたら、なんか、すごく、よかった」
「・・・え、そ、それは」
「すごく綺麗だし、・・・奥行きと、・・・山の、雪解けとか、岩肌、色んな角度と色があって、光が反射するし、豊かな感じがする」
「・・・目の前であんま褒められると、・・・あ、あ、の」
「ん?」
「・・・うわ、勃つ。ありえん」
「ありえん?」
「ありえんでしょう。まずいでしょう」
「でも、沢君、酔ってるし」
「ひっ、・・・よ、酔ってる」
「俺も、酔ってるし」
「・・・まさか」
「俺はいいと思うんだ。その、・・・俺は今、<オン>だよ」
「ひやあ・・・こういう時に、言うかな」
「音楽的な体験の一部だと思ってる」
「俺も、そう、思っちゃって、いいですか」
「そんなの、思うのは自分じゃん」
「うん、それは、確かに」
「俺、浴びてないから、汗臭いけど」
「・・・俺そういうの、気にしない・・・」
「・・・うん」
「・・・、ええ?」
「初対面だよ」
「・・・まじやばい」
「でも酔ってるし」
「はい、酔ってる、酔ってる・・・!!」
沢君はいろいろ言いながらも、結局その手をゆっくり俺の背中にまわして、「あああああ」と身体を震わせた。
「お、俺、おれ、そーいうんじゃ・・・」
「俺だってそうだよ。で、でもまずいでしょ」
「まずい、まずい・・・」
「沢君いい匂いする」
「やっ・・・!」
「意外といい匂いするんだこんなとこのシャンプー・・・」
「やばいやばいやばい・・・」
「やばいと思うよ?だから電気消したんじゃん」
「・・・へ?・・・え?」
「顔見たらまずいでしょ、次に会えなくなる、ってか記憶に残ったり残られたりすんのも・・・でしょ?」
「あ、うん。それはそうかも。真っ暗でいいです」
「沢君身体熱い・・・」
「もう、なんか、なんか・・・自分がわからん!!」
「でもそれが、いいんじゃん?・・・俺、あんま、倫理観とかないよ。全部、流れとか、運命、じゃないけど、そういう、自分に舞い込んだものだと思ってるから・・・」
「な、流れ・・・?」
「まあそれは俺の話だけど、変わりたいとか、成長とかってさ、・・・いったん既存の自分をぐちゃぐちゃにして、めっちゃめちゃに混ぜて色なくして、そっから、へったくそから構築する、その繰り返しだって、俺は思ってる・・・」
「・・・やめてよ、オトナの言葉でさ、俺をさ、・・・負けるよ、誘惑に」
「俺だってまずいよ。好奇心だってあるし」
「好奇心・・・」
「初めてだからね、こんなのね。・・・まだ初めての体験ってあるんだね」
「・・・たしかに」
「ねえ、ほら、どうすんの?俺もちょっと、なんかまずりそうだけど」
「俺だってそーだよー!!でも、どうなっちゃうか、ちょっとこわい・・・」
「なにが」
「え、いや、・・・だってさ、せっかく・・・、だってさ、なんか、もう、・・・こんなん、ウワー、もう口利けないし今までの話も全部おじゃんで、それってこんな誘った俺のせいって」
「まだそうなってないし、まあなったらそれはそれで、今だけ楽しめば」
「な、なにその楽観!」
「だって初めて会ったんだし、まだ何も、その、コラボとかしてないんだし、だから逆に何でも、・・・ってさあ、これ、沢君がネガると俺ポジるよ?そういう、あれだよ?まるで俺がやりたくてやりたくてしょうがないみたいじゃん!」
「やぁ・・・でも、もう俺だって・・・ごめんなさい」
沢君は息を殺しながら、震える手でゆっくり触れてきた。
「ねえごめん、先に言っとく、俺こんなことされて我慢できないからね」
「俺も、もう、無理、こんなの・・・」
沢君はほとんど泣くような声を出した。
何だかもう、まるで中学生のようなぎこちなさ。
沢君が俺の上で泣きそうなのが、ちょっとだめだった。
もう観念したように抱き合ってしまうと、とうとう沢君は「気持ちいい、なんかすげーきもちい・・・」と泣き笑いを漏らした。
* * *
沢君は遠慮しているようで、でも結局俺の前で、我慢はしなかった。
俺は他人が達する瞬間というのを間近で感じて、驚きと感動と、ああみんな同じなんだなという思いと、あとは、ごく普通の人が知らないで生きていることを今俺は知ったんだなという変な喜びを得た。
それから今度は、俺が沢君の手に握られた。
ふと、この手で、指で、ギターを弾くのかなと思ったら、楽器になりきろうと思って目を閉じた。そしたら勝手に声が出て、もう夢中になった。
「・・・イケさん、・・・もう?」
「んっ」
「・・・ね、・・・イイ?・・・イイの?」
「う、んっ・・・、あっ」
すぐ、出た。あーあ、もうちょっと
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