第42話 彼女たちのサンクチュアリ
庭園を駆け回っている蒲公英姫たちも頭上に近付く黒い雲に気が付きました。
「あー!これ雨雲じゃない?」
「そうだった…サンクチュアリにも雨が降るようになったんだっけね。」
「早くあの子たちを見つけないと降ってきちゃう…。」
ぽつり。頬に小さな雨粒を感じます。
「おーい!降参だよー!雨が降るから出ておいでー!!」
舞胡蝶姫が大きい声で叫んだ途端、急にバケツをひっくり返したように雨足が強くなりました。徒花姫たちは驚いて思わず近くにあったガゼボの廃墟に駆け込みます。
「こ、こんなに急に降って来るなんて…。」
「早く迎えに行かないと。」
結ビ姫が濡れたリボンの端をぎゅっと絞りながら言い、他の二人が頷いた時です。
「ああ、もう。嫌ですわね…雨って本当に煩わしい。」
不意に届いた声に顔を上げると、ガゼボの前に大きな傘をさして立つ人影がありました。
「お届け物ですわよ、お三方。まったく、かくれんぼごときでこのわたくしの手を煩わせないでくださいな。」
傘の中から不機嫌そうな眼差しがこちらを射抜きます。鮮やかな橙色の髪に雨粒を輝かせながら現れたのはマリーゴールドでした。その胸には二人の幼児が顔をうずめてすやすやと寝息を立てています。
「アルビナ!ディアナ!よかった…。」
「二人してあっちの木陰でぐうぐう眠っていましたわ。人騒がせですわね…。」
青いドレスと黒いドレスを着た二人の女の子は、こちらの気など知らずに安らかな寝息を立てていました。駆け寄った舞胡蝶姫はほっと一息ついて、改めてマリーゴールドを見上げます。
「マリー、さっすが頼りになる―!本当にありがとうね。」
「さぁ、さっさと帰りますわよ。わたくしたちの館へ。」
マリーゴールドがため息をつきつつ人差し指を空中で振るような仕草をすると、たちまち徒花姫たちの前にぱっと傘が三本現れました。
あの日、眩い光に包まれた一同が、目を開けた時見たのは以前と変わらない穏やかなサンクチュアリの光景でした。
全員が信じられない気持ちで陽光に包まれた心地良い風の中、無言で佇んでいました。
明けない夜も、黒い靄も全て夢だったのではないかと戸惑いながら。
辺りを呆然と見回した舞胡蝶姫の目に、なんだか懐かしさすら覚える人影が飛び込んできました。そのすらりとした立ち姿を見間違えるはずもありません。
「マリー!?マリーなの…?」
舞胡蝶姫は弾かれたように走って彼女に抱きつきます。
(戻ってきたのね…)
一華姫は安堵すると全身の力が抜けてその場に崩れ落ちました。なんだか自分のガゼボから一歩踏み出したあの時が遠い過去のようでした。疲れ切って俯いているとさっと目の前に一輪の花が差し出されます。思わず受け取り、上を見上げると、ランが少し照れ臭そうに微笑んでいたのでした。
この時はまだ誰も気づいていませんでしたが、変わらないように見えるこの世界にも実は大きな変化がいくつも起こっていました。
花が枯れるようになったこと、天気が変わるようになったこと、夜が訪れるようになったこと。
そして――――この二人が現れたこと。
最初に気が付いたのはマリーゴールドでした。泣いている舞胡蝶姫に覆いかぶされるように身動きが取れなくなっていた彼女は、どうしたものかと困り果てふと目線を横に向けました。そして茂った草の間に沈み込むようにしてうごめく何かに気が付き固まります。
「な、な、な……」
慌てふためきながらなんとか舞胡蝶姫の腕からすり抜け、足を縺れさせながらそこへ駆け寄ったマリーゴールドの表情は、激しく困惑していました。
「なんですの、どうなってますの…」
生い茂る足元の草に埋もれるようにして、そこには二人の幼児が眠っていたのです。
ひとりは金色の髪、青いドレスの女の子。
もう一人は白い髪、黒いドレスの女の子。
寄り添って熟睡している二人の顔はそっくりなのでした。
むかしむかしあるところに、双子のお姫様がいました。
ひとりは蒼い鳥のお姫様。
もうひとりは黒い鳥籠のお姫様。
二人はとても仲良しでしたが、離れ離れでなかなか会うことができません。
だから二人は、二人だけの秘密の世界を作ることにしたのです。
世界の名前はサンクチュアリ。
二人は誰にも内緒で、ここで待ち合わせの約束をしました。
だけどその途中はうねりにうねったくねくね道。
迷子になってしまったお姫様たちは、それでも必死にお互いを探しましたがどうしても会えません。
やがて二人とも歩き回るのに疲れて、座り込んで目を閉じました。
もはやお城に帰る道もわからず、一人ぼっちのさびしさに心はつぶれそうです。
だけどその時、声がしました。
「こんなところでどうしたの?あなたはだあれ?」
顔を上げるとそこには、不思議そうにこちらを覗き込む見知らぬ少女たち。
蒼鳥姫も黒籠姫も、彼女たちに手を引かれてついに暗い森を抜けることが出来ました。
そこで二人が目にしたのは、美しい夢のような庭園。
色とりどりの花々が咲く中、お茶会のテーブルを挟んで、ついにふたりは会うことが出来たのです…
蒲公英姫はそこまで書き終えると、ぱたんとノートを閉じて空を見上げます。
きゃっきゃとはしゃぎまわる幼子たちの声がどこからか聞こえました。
ここはもはや不変ではなく移り行く世界。
花が枯れ、いつか全てが還っていく世界。
いつでもいいお天気、というわけにはいかないけれど。
徒花姫たちのサンクチュアリは今日も、美しく晴れ渡っています。
おしまい
徒花姫のサンクチュアリ @Luna1126
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