エピローグ 彼女たちのサンクチュアリ

第41話 新しい日々

 「ほら、またほどけてるよ。」


 結ビ姫むすびひめの首元に巻いたリボンがするりと地面に落ちます。蒲公英姫たんぽぽひめはそれを拾い上げると再び彼女の首へ結んであげました。かつてはどうしてもほどけなかったこのリボン。取れるようになった今も外すとなんとなく落ち着かないらしく、結局いつも身につけている結ビ姫なのでした。


 「…あり…が、とう…。」


 丘を上がってきたばかりの彼女はぜいぜいと肩で息をしていました。すぐ後からやって来た舞胡蝶姫まいこちょうひめも同じように荒く呼吸しつつ、蒲公英姫に気が付くと、途切れ途切れに喋ります。


 「はぁ、はぁ……たんぽぽちゃん。こんなところで、なにしてるの?」


 「風が気持ちいいから読書してたんだ。そういう二人こそ、一体何して…」


 「私たちは…かくれんぼを……。」


 疲れ切った結ビ姫の言葉に蒲公英姫は「ああー」と声を上げ、細かく何度も頷きました。


 「あの二人・・・・ね。」


 「そう、そうなの…。ねぇ、あの子たち、こっちに来なかった?全然見つからないんだよぅ。」


 舞胡蝶姫の問いかけに蒲公英姫は首を横に振ります。


 「残念ながら見掛けてないなー…。ああ、そんなにがっかりしないで!私も探すの手伝うから。」


 蒲公英姫は立ち上がると、二人と共に丘を下り始めました。見晴らしがいいので辺りをぐるりと見回してみると、垣根の合間に揺れる大きな青薔薇の帽子がすぐに目に留まりました。



 垣根をはさみで整えていたランは、少し暑くなってきて「ふう」と一息ついたところでした。枯れた花を切り取り、樹形を整えながら葉っぱの状態を調べます。

 ほぼ崩壊していたサンクチュアリを全員のイメージで再構築したあの日から、サンクチュアリにはいろいろな変化がありましたが、植物が不変ではなくなったのもその一つでした。寿命がありますし、枯れます。いわば現実世界と同じになったような状態ですが、ランにはとても新鮮でした。ただし庭師の仕事は信じられないくらいに増えてしまったのですが。


 「ランさーん!」


 名前を呼ばれて振り返ると、舞胡蝶姫たちがこちらに歩いてきているところでした。ランは律義に帽子を取り、ぺこりとお辞儀をします。


 「皆様お揃いで。お散歩ですか?」


 舞胡蝶姫もつられてぺこりとお辞儀を返しながら言いました。


 「あのですね、お散歩ではなくてかくれんぼの途中なんですけど…、あの子たちを見かけませんでしたか?全然見つからなくて…」


 「いえ…。このあたりの植物たちも見ていないと言っているので、別方向ではないでしょうか。」


 「そうですかー…、ありがとうございます。次はどっちの方探そうかな…。」


 舞胡蝶姫が苦笑いしながら顔を上げると、小道を抜ける爽やかな風と共に、薔薇の花びらが舞い散りました。美しい光景に思わずはしゃいで歓声を上げる彼女たちを、ランは眩しそうに見つめました。


 「ランさんそれじゃ!今日はもう行かなきゃだけど…明日お仕事手伝いますね!」


 手を振りながら彼女たちを見送ったランは、微笑みを浮かべたまま青い空を仰ぎました。澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、改めて気合を入れ直すと再び剪定せんてい作業に戻ります。そしてぽつりと独り言を言いました。


 「あなたの言った通り、儚い花というのも美しいものですね。百花姫ひゃっかひめ。」





 サンクチュアリの中央に立つドレッサーの館の中では、一華姫いちげひめが部屋の掃除をしているところでした。ここはずっと徒花姫たちに閉ざされてきた場所でしたが、あの日以来解放され、部屋の数も十分にあるのでみんなで移り住むことにしたのです。一緒に働いていたはずの睡莉姫ねむりひめはいつのまにかベッドの上でくうくうと安らかな寝息を立てています。その様子に苦笑いして肩をすくめつつ、手にしたふきんで窓ガラスをきれいに磨いていきます。


 遮るものが一切ない青い空に少し太陽が傾きかかって、早くしないとじきに夕暮れ時を迎えてしまうことに思い至ります。現実世界では当たり前だった一日の営みが、サンクチュアリの常日に慣れ切った感覚には少しくすぐったく感じられるのでした。


 「ふわぁ……」


 後ろから欠伸あくびをする声が聞こえてきて振り返ると睡莉姫が起き上がって伸びをしているところでした。


 「ごめん…いつのまにか眠っちゃってたみたい…。」


 彼女はベッドから立ち上がると一華姫の横まで歩いていき、一緒に窓の外を眺めます。

 そして不意にぽつりと尋ねました。


 「ねぇ、一華姫。これでよかった?」


 一華姫は窓の外を見つめたまま沈黙していましたが、しばらくしてこくりと頷きました。


 「…私は…辛い現実から逃げて逃げてここへ来た。だからもう一度現実に帰ってやり直さないと前に進めない…そう思ってたの。」


 睡莉姫も窓の外を眺めたままで、静かに彼女の言葉に耳を傾けていました。一華姫はさらに続けます。


 「結局現実世界に戻ることはできなかったけど、考えているうちにわかったことがある。ずっと勘違いしていたけれど、ここも私の現実なの。逃げ続けた私自身と辿り着いたこの世界…、私の行き着いた果て。これが本当に向き合わなければならないものたちだと、そう思ったから。」


 「そっか。」


 睡莉姫はぽつりと相槌を打ちつつ、一華姫の方に顔を向けました、俯いている彼女の横顔は、髪の毛がしなだれかかっていて表情を伺うことができません。しかし構わずに睡莉姫は優しい微笑みに目を細めて言いました。


 「それじゃあこれからも時々、あなたの隣で眠らせてね。」


 一華姫は思わず顔を上げて睡莉姫を見つめました。

 時々、どうして彼女はいろいろと自分のことを気にかけてくれるのだろうと不思議な気持ちになります。初めて出会った時も、一華姫の「サンクチュアリから出たい」という願いを否定せずに、一緒に行動してくれました。だけどそこには恩着せがましい優しさや腫れ物に触るような気遣いがなく、ただ単に彼女がそうしたいからそうしているだけといったあっけらかんとした爽やかさがあり、そのせいか一華姫も彼女にはつい本音を話してしまうのでした。


 「…あ」


 何気なくまた窓の外に目をやった睡莉姫は口をあんぐりと開けた表情で固まりました。一華姫もつられて前を向くと、彼方の空から黒く厚い雲が近付いてくるのが見えます。


 「夕暮れ前に一雨来るかもね。外にいるみんな大丈夫かな。」


 二人は肩をすくめて顔を見合わせました。

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