上古文献にみる道教の歴史

 近況ノートでもお知らせ致しましたが、先日25000PVを超えました。こんなにも沢山の方々にご覧頂き大変うれしく思います。


 そして、本日(2024年3月14日)を以って本エッセイの連載開始から三周年を迎えます。まさか、三年も続くとは思いませんでしたが、大化以降の内容に乏しく、まだまだ内容が充実しているとは言い難いです。その為、現在の草稿では大化以降の内容、即ち有間皇子の変や壬申の乱についてなども取り上げる予定ですが、壬申の乱などは詳しく書いていると本一冊分ぐらいになりそうなので、ダイジェスト的な感じになりますが、そこはご了承下さればと思います。


 さて、前回、宗教的な内容を取り上げましたが、本エッセイで今までこういった宗教的な内容の記事が少なかった為、今回は道教について取り上げてみたいと思います。


 天武天皇が天文・遁甲に通じていた事はよく知られている様に、古代の祭儀では道教の影響が見受けられます。日本の道教の歴史は思いの外古く、『魏志』倭人伝の伝える鬼道が道教であるとも言われています。一方、道教的な祭儀は度々弾圧の対象ともなりました。本稿ではダイジェスト的になりますが、古代日本における道教の歴史を振り返ってみます。



◇最も古い道教に関する記録、及び、道教の影響が確実視される銘文。

⑴『三国史』魏志東夷傳 倭人

倭國亂、相攻伐歴年、乃共立一女子為王、名日卑彌呼事鬼道能惑衆、年已長大、無夫壻有男弟佐治國。


(倭國亂、相攻伐年歴、乃ち共にひとりの女子を立て王と為す。名は卑彌呼と日く。鬼道を事能く衆を惑はす、年已長大、夫壻無く男弟有り治む國をたすけ。)


⑴解説

 道教と関わる記事として推測されるもので、日本最古のものは『魏志倭人伝』に見える卑弥呼が人々の信頼を集めていた呪術「鬼道」と言われています。「鬼道」とは「鬼神の道」(『後漢書』倭伝)の意味であり、後漢時代にさかのぼる初期道教の経典『太平経』(二世紀中葉に成立した道教団太平道の教祖 干吉かんきつの『太平清領書』」)に見えるこの語の用法や、二世紀後半に成立した五斗米道の組織者張魯が「鬼道を以て民を救え」たとか「張魯の母は始め鬼道をもちう」などと記す『魏志』の用法と共通しており、鬼道を祀り、鬼道を駆使(「使鬼」)する呪術宗教的儀礼であると考えられており、『魏志』によれば、高句麗・馬韓・弁辰などでも行われていたそうです。⑵


 但し、卑弥呼の鬼道がどの様に行われていたのか実態は不明であり、中国との相違も見られます。張魯は符と呼ばれるお札も呪術に用いていましたが、この時代に日本で札の類が使われたという痕跡が無い為、中国の道教が正しく伝えられ理解されていたのか、或いは部分的に取り入れられたのか、それとも魏志の著者が伝聞から推測したに過ぎないのか、確実な事は分かりません。只、魏王朝から鏡を授けられ、この鏡が女王の新たな呪具になった事は違いないらしく、所謂「三種の神器」(この呼び方は大分後世的なものですが)に鏡が加えられるのは、この頃の価値観から連綿と続いてきたものなのかも知れません。例えば、景行天皇紀十二年(壬午八二)九月 戊辰五日にみえる神夏磯媛が鏡や剣を賢木に掲げる服属儀礼等は恐らく実際に行われていた事であり、これらの祭器が道教の祭器としても使われていたことから、道教の影響を見出すことが出来ます。

 



⑶『塵袋』大刀契

(上略)護身ノ釼ノ銘アリ、カノ銘ニ云ク。

歳在庚申正月、百済所造、三七練刀、南斗北斗、左青竜右白虎、前朱雀後玄武、避深不祥、百福會就、年齢延長、万歳無極


⑶解説

 時代が進むと、中国道家の呪句や鏡背などに刻まれる諸神諸図が正しく理解されていきました。天皇が即位の際に授受される剣をだいけいといいますが、『塵袋』に掲げる大刀契の破敵剣と護身剣の二振りがあり、護身剣は佩表に月形・北斗七星・玄武形・白虎形の金象嵌を入れ、峯には⑶の銘文が入れられ、対して破敵剣は佩表に北極五星・北斗七星・白虎形・老子破敵符を象嵌し、佩裏に三皇五帝形・南斗六星・青龍形・西王母兵刃符を象嵌し、この二振りは天皇の代替わりに伴い神器とともに授受され、行幸時に持参されていたものであり、両剣はその銘から西暦三六〇年、百済での作とみられています。⑷


 水野正好氏によると、七星剣を含めて中国・朝鮮より将来された象嵌について、招福・除災といった意味を持つ銘文、それも中国の道教で多用されている句に用いた刀剣の類が倭国王―天皇の周辺に集中して見出されることを、恐らく三・四世紀、中国の道教が政治・外交を通じてわが王室に伝えられ、一般の人々とは別世界の香りを漂わせていたと考えられる。漢風のまじない世界の受容が国家間の交流でなされ、そうした呪意を刻んだ文物が朝廷や、その周囲の顕官の中に読み取れるとのことです。⑸


 又、百済の造剣奉献は、道教的思惟の熟知を示すものであり、その献納と重宝としての所伝はわが国の道教的思惟の理解、積極的受容とその用益の内容を示すものであり、四、五世紀の東アジアに広く道教的世界が拓かれ浸透していく様が明確に辿れるものであり、我が国の道教的受容が政治者を中心に展開し、その権勢の護持、政治者の万歳無極、年齢延長を願う形で展開され、そうした初源の姿が鏡であり、護身剣・破敵剣でした。

 


◇咒禁師及び道教関連の呪術の伝来 

⑹『日本書紀』巻二十敏達天皇六年(五七七)十一月庚午朔

冬十一月庚午朔。百濟國王付還使大別王等。獻經論若干卷并律師。禪師。比丘尼。咒禁師。造佛工。造寺工六人。遂安置難波大別王寺。


(冬 十一月しもつき庚午かのえのうまついたちのひ、百濟の國のこきし還使かへるつかひおほわけのおほきみたちに付けて、きゃうろん若干そこばく、并に律師、禪師、比丘尼、咒禁じゅごむのはかせ造佛工ほとけつくるたくみ造寺工てらつくるたくみ六人むゆたりたてまつる。遂に難波なにはおほわけのおほきみの寺に安置はべらしむ。)


⑹解説

 百済国王がおほわけのおほきみ等に「咒禁じゅごむのはかせ」等を付けて返したとありますが、この「咒禁」とは、中国では道士法、左道、厭魅えんみどくえんどうじゅつごんしょうどうじゅつ等々と係わる方技の一つであり、後の大宝令や養老律では八逆の一つに不道をあげ、その中に大量殺人や残虐な殺人と並べてどく(毒虫から製造した毒)を所持することや、諸種の呪術を行う罪を上げています。道教に対する弾圧は後程取り上げます。




⑺『日本書紀』巻二二推古天皇十年(六〇二)十月

冬十月。百濟僧觀勒來之。仍貢暦本及天文地理書。并遁甲方術之書也。是時選書生三四人。以俾學習於觀勒矣。陽胡史祖玉陳習暦法。大友村主高聰學天文遁甲。山背臣日並立學方術。皆學以成業。


(冬 十月かむなづき。百濟のほうし觀勒くわんろくまヰく。仍てこよみためし及び天文てむもん理書りのふみ。并に遁甲方どむかふほうじゅつふみを貢る。是の時、書生ふむひと三四人みたりよたりを選びて、以て觀勒くわんろくに學びむ習ひは、このふびとおや玉陳たまふるこよみのりを習ひ、おほともの村主すぐり高聰かりそう天文てむもん遁甲どむかふを學び、やましろのおみたて方術を學びて、皆學びて以てみちを成す。)


⑺解説

 西暦六〇二年十月、百済僧観勒が来朝して歴本・天文地理書・遁甲法術書を貢上したことが記されています。遁甲は『日本書紀通証』⑻によれば、「武経風后演遁甲究鬼神之奥。」『後漢書』「方術伝」の註では「遁甲推六甲之陰而陰遁也。今七志書遁甲経。」『令義解』では「秘書者。遁甲太一式之類也。」などとあります。方術も同書⑽によれば、『考課令』の最終条に「占候医卜効驗多者。爲方術之最。」などとあります。要は人目をくらまし、わが身を隠す術を言いますが、これは占星術の一種らしいです。



◇民間道教とその弾圧

⑼『日本書紀』巻二四皇極天皇元年(六四二)七月 戊寅廿五

戊寅。羣臣相謂之曰。随村々祝部所教。或殺牛馬祭諸社神。或頻移市。或祷河伯。既無所効。蘇我大臣報曰。可於寺寺轉讀大乘經典。悔過如佛所訟。敬而祈雨。


戊寅つちのえのとらのひ羣臣まへつきみたちあひかたりて曰く。「村々のはふり 所教をしへのままに、或は牛馬を殺しもろもろの社の神をいはふ。或はしきりに市を移し、或はかはのかみいのる。既に所効しるし無し」といふ。蘇我大臣 こたへて曰く。「寺寺に於てだいじょうきゃうでん轉讀よみしまつる可し。過ちくゆほとけ所訟ときたまへるが如し。ゐやびて雨をこはむ」といふ。)


⑼解説

 村々の祝部の教えに従い、牛馬を殺して諸社の神を祭ると言った記事です。漢人系の人々の村々、漢巫のもとでは大旱の原因が漢神の祟りに求められ、その祈祷として殺牛が行われましたが、効果が無く、蘇我大臣(蝦夷)が大乗経典を読経して自己の悔悟を懺悔し、罪法を免れ、雨乞いをしようと述べたことが語られています。


 福徳の呪儀、殺牛の呪儀は、ともに漢礼、漢祀としてこの記事にその初見を見ますが、韓竈からかまどとも呼ばれる竈形をも含めて考えるならば、より古く六世紀に受容され、以後、漢礼、漢神、漢祀と呼ばれつつ脈々と続く一群の呪儀が成立していたことを知り得、弥生時代より幾度か日中・日韓の交流のなかでこうした道家の呪儀・方技がわが国に新しい波として受容され、我が国の祭式・思惟に変革を与えつつ、その骨肉の一部となり、人々の抜苦与楽の基盤として息づいていくことになります。⑽


 しかし、こういった殺牛儀式は後世、禁止されることになります。



⑾『日本書紀』巻二四皇極天皇三年(六四四)七月

秋七月、東國不盡河邊人大生部多、勸祭虫於村里之人曰、此者常世神也、祭此神者到富與壽。巫覡等遂詐、託於神語曰、祭常世神者、貧人到富、老人還少。由是、加勸捨民家財寶陳、酒、陳菜、六畜於路側、而使呼曰、新富入來。都鄙之人取常世虫置於清座、歌舞求福、棄捨珍財、都無所益、損費極甚。於是葛野秦造河勝惡民所惑。打大生部多、其巫覡等恐、休其勸祭。時人便作歌曰、禹都麻佐波、柯微騰母柯微騰、枳擧曳倶屡、騰擧預能柯微乎、宇智岐多麻須母。此虫者、常生於橘樹、或生於曼椒。〈曼椒。此云衰曾紀。〉其長四寸餘、其大如頭指許。其色緑而有黒點。其貌全似養蠶。


秋七月あきふみづき東國あづま不盡ふじかはほとりの人 大生部多おほふべのおほ、虫を祭ることを村里むらさとの人にすすめて曰く、「此は常世とこよの神なり、此の神を祭る者は富といのちとをいたさむ」といはく。巫覡かむなぎつひあざむきて、神語かむごとけて曰く、「常世の神を祭る者は、貧しき人は富を到し、老人おきなわかきにかへらむ」といはく。是に由りて、加勸ますますすすめて民家おほむたから財寶たからを捨てしめ、酒、六畜むくさのけものみちほとりつらねて、呼ばしめて曰く、「にひしきとみ入來きたれり」といはく。都鄙みやこひなひと常世とこよの虫を取りて清座しきゐに置く、歌ひ舞ひてさきはひいのり、珍財たから棄捨つ、かつまさる所無し、損費おとりつひゆる極めてはなはだし。ここ葛野秦造河勝かどののはたのみやつこかはかつの惑はさるるをにくみて大生部多おほふべのおほを打つ、其の巫覡等かむなぎら恐れて、其のすすめ祭ることを休めつ。時の人 便すなはち歌を作りて曰く、


太秦ウヅマサハ神神カミトモカミト聞来キコエクル常世神トコヨノカミト打罰ウチタマスモ


此の虫は、常にたちばなの樹にうまる、或は曼椒ほそきに生る。〈曼椒。此をホソキと云ふ。〉其の長さ四寸餘よきあまり、其の大きさ頭指おはよひばかりの如し。其の色緑にして有黒點くろまだらなり。其の貌全かたちもは養蠶かひこに似たり。)



⑾解説

 東国の富士川辺での常世の神(=常世の虫)まつりは大生部多おほふべのおほを中心としたげきたちが「神語」に託して富と不老長生をもたらすものとして、地域の住民たちに橘の樹や曼椒ほそき(山椒)につく蛾の幼虫らしき虫を祀らせたものであり、この常世の虫信仰には在地のシャーマニズムに道教的信仰が色濃く習合していた様子が伺われます。巫覡らは六畜を路の側に並べて布教したあることや、人々が歌い踊りながら、家財を常世の虫の前に捨てて祀ったとあるのが、これらが古代中国の道教教団五斗米道の宗教活動に近似した宗教儀礼であるそうです。⑿


 又、何れも後世の例になりますが、考古学的には常世虫と通じる「富鳥」の墨書をもつ土器が和歌山県岡田遺跡で発見されており、奈良県大安寺では「福徳」と墨書する一枚の皿が、石川県の箕打窯では「福・来・見」(福、来る、見よやはや―福、来現)と刻銘した杯が、平城宮内裏では、二匹の虫を描きそれぞれ下に福徳と記す桶底板の発見が伝えられており、福徳を求めて群集し道々辻々に財宝・酒祭・六畜を陳べ歌舞し盃酌しつつ都へ進む群衆のエネルギー、あるいは平城京の内裏にまで蔓延した福徳の想い、それらは突如として起こり、たちまち数万、数十万の人々の集まりを生み出すだけに朝廷は再三、再四、これを淫祀と呼び漢礼と称して禁断し平静に還るように策していました。⒀


 思えば、後漢王朝滅亡の遠因となったのは、原始道教の五斗米道による黄巾の乱がきっかけだったように、道教的な教えが生み出す群衆のエネルギーは政権を転覆させかねないものがありました。東国の常世の神の呪術的信仰は、大和王権の仏教普及政策にとって大きな障害であったのは間違えなく、本話で祭祀を行っていた大生部多が秦造河勝に討たれ、巫覡等は恐れてこの祭祀が行われなくなります。この様にして、⑾の殺牛儀式等を含め、道教起源の呪術ないし呪術的信仰は、中央の弾圧・禁制の対象となっていきます。


 しかし、後の天武天皇の様に巧みに道教や陰陽道を取り入れて利用する為政者も現れ、必ずしも道教的な要素の全てが禁止されたという訳では無いようです。



◇天武天皇による道教の利用

⒁『日本書紀』巻二八天武天皇元年(六七二)六月 甲申廿四

(上略)是日。發途入東國。事急不待駕而行之。(中略)將及横河。有黒雲廣十餘丈經天。時天皇異之。則擧燭親秉式占曰。天下兩分之祥也。然朕遂得天下歟。然朕遂得天下歟。即急行到伊賀郡。焚伊賀驛家。逮于伊賀中山。而當國郡司等率數百衆歸焉。(下略)


((上略)是の日、たちみち東の國に入りたまふ。事急にしおほむまを待たざりて、(中略)まさ横河よくかはに及びて、黒雲廣く十餘丈とつゑあまりばかり有りて天にわたれり。時に天皇すめらみことかしこみたまひ、則ちともいて親らふみのりてとりて占ひて曰く、「天下あめのしたふたつに分れむさがなり。しかれども朕遂われつひ天下あめのしたを得むか」とのたまふ。即ち急にみたしてがのこほりに到りて、伊賀のうまを焚く。伊賀の中山にたる。當國そのくにこほりのみやつこたち數百あまたいくさひきひてよりまつる。(下略))



⒂『日本書紀』巻二九天武天皇四年(六七五)正月 庚戌

庚戌。始興占星臺。

かのえいぬのひ。始めて占星せむせいだいを興す。)


⒁⒂解説

 共に天武天皇に関するの記事となり、道教と係わるエピソードはこれら以外にも天武天皇紀に複数伝えられています。⒁はまだ大海人皇子と呼ばれていた壬申の乱の際の記事です。東国に入り横河に至り、大きな黒雲が現れた際、「親秉式占曰(親らふみのりてとりて占ひて曰く)」とあるように天武天皇が天文遁甲を能くしていたことはよく知られています。式は栻に同じで、これは木製の星盤で、回して吉凶を占う具だと言います。⒃


 文字通り雲行きが怪しく、兵士が不安になるであろうタイミングを見計らい、「天下が二つに別れるが、遂には私が天下を得る」と予言することで兵達を鼓舞する効果を狙ったのでしょう。他にも、これ以前に、名張駅家を焼き村なかで呼ばわった時には一人も寄って来るものが居なかったのに対し、この後、伊賀郡に急行し伊賀駅家を焼き伊賀の中山に至ると、「當國郡司等」が数百の衆を率いて味方して来たのは対照的で、この占いの結果が(無論ヤラセでしょうが)無ければ「当国の郡司等」が大海人皇子の味方をしたのか分かりません。道教的な儀式を利用した巧みな人心掌握術であったことは想像できます。


 乱後も⒂のように始めて占星台を作るなど、天武天皇は取り分け道教に対して関心が高かったことが伺われます。



◇長屋王を陥れた罰則

⒄『律』賊盗律

有所憎悪。而造厭魅。及造符書咒詛。欲以殺人者。各以謀殺論。減二等。


(憎悪所有り、厭魅を造る、及び符書咒詛を造る、以て人を殺す者は欲す。各謀殺以て論じ、二等減す。)


⒅『続日本紀』巻十天平元年(七二九)二月辛未

二月辛未。左京人從七位下漆部造君足。无位中臣宮處連東人等告密。稱左大臣正二位長屋王私學左道。欲傾國家。其夜。遣使固守三關。因遣式部卿從三位藤原朝臣宇合。衛門佐從五位下佐味朝臣虫麻呂。左衛士佐外從五位下津嶋朝臣家道。右衛士佐外從五位下紀朝臣佐比物等。將六衛兵。圍長屋王宅。


(二 月辛壬戌朔。左京の人從七位下 漆部ぬりべのみやつこ君足、无位むゐなかとみの宮處みやこの連東人ら密を告げて、左大臣正二位長屋王、ひそかに左道を學びて國家を傾けんと欲すと稱す。其の夜、使を遣して固く三關さんげんを守らしむ。因て式部卿從三位藤原朝臣宇合、衛門佐從五位下佐味朝臣虫麻呂、左衛士佐外從五位下津嶋朝臣家道、右衛士佐外從五位下紀朝臣佐比物等を遣して、六衛の兵をひきゐて長屋王の宅を圍ましむ。)


⒄⒅解説

 天武天皇のように道教を巧みに利用した為政者も存在した一方で、⑾等の例でもみられる様に道教は度々弾圧の対象になりました。賊盗律厭魅条には厭魅(人の形を図に描いたり、人形を刻んで、その心臓や目を突き刺し、その手足を縛ったりして人を害するまじない)ないし、符書(道教の呪文などを書いたふだ)をつくって呪詛し、人を殺そうとした場合の罰則を定めています。平城宮の井戸などから胸に釘穴がある木製の人形や、「重病受死」という呪語を墨書した人形などがみつかっており、厭魅が実際に行われていたことは間違いないそうです。⒆


 厭魅と係わるような考古物が見つかるのは平城宮以降になる様ですが、用明天皇紀二年(五八七)四月 丙午二日の記事では中臣勝海連が「遂作太子彦人皇子像與、竹田皇子像厭之。(遂に太子彦人皇子ひつぎのみこひこひとのみこみかたと、竹田皇子の像とを作りてまじなふ。)⒇」と、政敵である彦人皇子と竹田皇子を厭魅で呪い殺そうとしたという記述があり、⑹の咒禁師伝来から僅か十年程で既に中央貴族の間でも厭魅の術が使われていた可能性もあるかも知れません。


 ⒅は長屋王が左道を学んで国家を傾けようとした疑いをかけられたという記事で、長屋王が実際に左道を学んでいたのか不明ですが、当時の左道が皇族の有力者すら失脚させ得る口実にまでなっていた事を知ることが出来ます。


 しかし、本来、厭魅で使われている様な人形が、悪用ばかりされていたのかというと、そうとも言えず、医療行為に使われていた形跡も藤原宮跡や平城宮跡の木簡から伺い知ることが出来ます。



◇道教的な医療行為

(21)平城宮跡 出土人型

左目病作 今日/今□


(21)解説

 古代社会において、薬を入手できたのは一部の特権階級にすぎず、病気の原因も、必ずしも科学的に突き止められたわけではありません。そのため、人々は呪術的な行為を行うことも少なくなかったと言います。


 人形ひとがたもその一つで、体の中の悪気を移し、水に流すことで病気が治ると信じられていたらしく、藤原宮北方の典薬寮付属施設からは、左目を塗りつぶした人形が発掘されており、平城宮跡から出土した人形の顔の裏面に(21)の文字が記されており、眼病の治癒を願ったことはわかります。縄文時代の土偶は何処かしらの部位が破壊された姿で発掘されるのは、その部位に対する医療的な呪術であったという説を思い起こさせますが、この時代に至っても似たような発想から呪術的な儀式を行っていたとすれば、その歴史の長さに驚かされます。


 典薬寮には医師・医博士・医生・針師・針博士・針生・案摩師・案摩博士・案摩生・薬園師・薬園生といった、現在の医療からも想像がつきやすい関係者の他、呪禁師・呪禁博士・呪禁生といった人たちによる呪文を使った医療行為も当時は治療と考えられていました。


 この様に、古代日本社会において、古い時代から道教を取り入れられて来ており、それは時の為政者の意向に沿って取捨選択されましたが、度重なる禁制にも関わらず、道教的な風習は残った部分があるようです。




◇参考文献

⑴『漢・韓史籍に顕はれたる日韓古代史資料 3版』太田亮 編 磯部甲陽堂

https://dl.ndl.go.jp/pid/1917919/1/29


⑵『改訂 日本古代史新講』梅村喬・神野清一 編 梓出版 207頁

「第二〇章 古代の呪術と神仙道教思想 鬼道と常世の神 卑弥呼の鬼道」


⑶『塵袋 : 11巻 第八』珍書同好会

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1876119/1/12


⑷『土佐史談』土佐史談会 5頁

所収「一宮神社七星剣のみち」岡本健児


⑸『神と人―古代信仰の源流』岩田慶治・松前健・水野正好・福永光司・岩井宏実・五来重【著】大阪書籍

所収「古代のまじないの世界―攘災・招福・呪詛」水野正好


⑹『六国史 : 国史大系 日本書紀 再版』経済雑誌社

https://dl.ndl.go.jp/pid/950693/1/218


⑺『六国史 : 国史大系 日本書紀 再版』経済雑誌社

https://dl.ndl.go.jp/pid/950693/1/232


⑻『日本書紀通證 35巻 廿六、廿七』谷川士清 撰述 五條天神宮

https://dl.ndl.go.jp/pid/12865757/1/17


⑼『六国史 : 国史大系 日本書紀 再版』経済雑誌社

https://dl.ndl.go.jp/pid/950693/1/254


⑽『日本歴史考古学を学ぶ(中)宗教の諸相』坂詰秀一・森郁夫 編 有斐閣選書 75-76頁

「Ⅲ歴史考古学の現状と課題⑵―宗教の諸相 殺牛祀漢神の呪儀」


⑾『国史大系. 第1巻 日本書紀』経済雑誌社編 経済雑誌社

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991091/218


⑿『改訂 日本古代史新講』梅村喬・神野清一 編 梓出版 207-208頁

「第二〇章 古代の呪術と神仙道教思想 鬼道と常世の神 常世の神のまつり」


⒀『日本歴史考古学を学ぶ(中)宗教の諸相』坂詰秀一・森郁夫 編 有斐閣選書 74頁

「Ⅲ歴史考古学の現状と課題⑵―宗教の諸相 福徳と漢礼の呪儀」


⒁『六国史 : 国史大系 日本書紀 再版』経済雑誌社

https://dl.ndl.go.jp/pid/950693/1/301


⒂『六国史 : 国史大系 日本書紀 再版』経済雑誌社

https://dl.ndl.go.jp/pid/950693/1/310


⒃『壬申紀を読む 歴史と文化と言語』西郷信綱 平凡社選書 106-107頁

「Ⅱ 黒雲を占う」


⒄『群書類従 第四輯』塙保己一 編 経済雑誌社

https://dl.ndl.go.jp/pid/1879458/1/421


⒅『六国史 : 国史大系 続日本紀 再版』経済雑誌社

https://dl.ndl.go.jp/pid/950694/1/91


⒆『改訂 日本古代史新講』梅村喬・神野清一 編 梓出版 208-209頁

「第二〇章 古代の呪術と神仙道教思想 道教と天皇の祭儀 民間道教の伝来」


⒇『国史大系. 第1巻 日本書紀』経済雑誌社 編

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991091/190


(21)『飛鳥の木簡―古代史の新たな解明』市大樹 中公新書 368-370頁

「3 都市問題の発生と信仰 病気の治癒を願って」

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