上古の宗教

狹穗彦の子孫もやらかした話にも刑法・宗教的な意義がある

 本エッセイでも度々コメントを頂く様に、記紀の狹穗彦・狹穗媛に関するエピソードはとても人気が高いようですが、それにワザワザ冷水をぶっかけるような話を取り上げてみます(マテ)。



⑴『日本書紀』巻十四雄略天皇十三年(己酉四六九)三月

十三年春三月。狹穗彦玄孫齒田根命竊姧采女山邊小嶋子。天皇聞以齒田根命。收付於物部目大連而使責讓。齒田根命以馬八匹大刀八口。秡除罪過。既而歌曰。

耶麼能謎能。故思麼古唹衞爾。比登涅羅賦。宇麼能耶都擬播。鳴思稽矩那欺。

目大連聞而奏之。天皇使鹵田根命資財露置於餌香市邊橘本之土。遂以餌香長野邑。賜物部目大連。


(十三年 春三月はるやよひ狹穗さほひこ玄孫やしはこ齒田根はたねのみことひそか采女うねめ山邊やまのべの小嶋子こしまこをかせり。天皇すめらみこと聞しめして齒田根命を以て。物部目大連に收付さづけて使責せめしたまふ。齒田根はたねみこと馬八うまやつ大刀たち八口やつを以て、罪過つみはらひ除き、既にそ歌ひて曰く。


 山邊やまのべの しまゆゑに ひとらふ

 馬のやつは しけくも無し


めのおほむらじ、聞て奏す。天皇、鹵田根命を資財たから餌香えか市邊いちべの橘のもとところあらはに置かして。遂に餌香の長野のむらもののべのめのおほむらじに賜ふ。)


*山邊……大和国山辺郡のこと。采女うねめの小嶋子はこの地出身。



・⑴解説

 雄略天皇は狹穗彦玄孫である齒田根命がひそかに采女の山邊やまのべの小嶋子こしまこを犯したのを聞き、齒田根命に物部目大連を遣わして責めさせた。齒田根命は馬八匹大刀八口を以て、罪過を贖い、歌った。


 山辺の小鳥子の為には、人が誇るような、

 馬八匹は、惜しくない


 目大連がそれを聞いて天皇に奏上すると、齒田根命に餌香えか市邊いちべの長野の邑まで科され、それを物部目大連に賜った。


 という内容です。現代人で例えれば、性犯罪者が罰金を払ったことで開き直るような感覚で、あまりいい気分になる歌ではありませんが、この短い話からも当時の刑法と宗教的な背景を窺い知ることが出来ます。


 上代人の考えた罪の種類に、「天つ罪」と「国つ罪」があり、前者が農耕に関する妨害(「畔放あなはち」「溝埋みぞうめ」「くそ」「逆剝さかはぎ」「桶放ひはなち」「頻蒔しきまき」「串刺くしざし」)であることに対し、「国つ罪」は地上で人々が犯す罪を言います。殺生、残虐な行為、乱脈なる近親通婚、獣姦、及び鳥獣の災厄と詐称する類であり、かかる行為は、上代の社会組織の秩序安寧を乱す事は勿論であって、神の世界の延長である現世において看過すべからざる事であるから、必然神意に悖るところの罪穢と考えていたらしいです。この物語は、齒田根命が采女の山邊小嶋子を犯した罪に対し、馬八匹大刀八口を贖物に提出せしめられ、餌香えか市邊いちべの長野の邑まで重ねて科せられました。我が国の刑法は、こうした宗教的な意味に出発しており、社会公衆の秩序を妨害する行為に対して起こった公平な鞭笞べんちでした。⑵


 死罪を課されていないのは、齒田根命が狹穗彦の玄孫という王族であったからであり、私財の提供はいわば贖罪ですが、ここでの在り方は後世の財産権と同じではなく、財産刑は、私財を徴収して罪を償わせる罰であり、経済的負担を強制すること自体に目的があり、齒田根命は貴重な多くの私財を提出しましたが、それは祓除という宗教的儀礼に用いるための資材でありました。祓(祓除)は宗教的秩序を侵犯した際に科される宗教的儀礼であるから、采女との姦通が殺人や窃盗などと同じ世俗的犯罪ではなく、宗教的儀礼の範疇で捉えられていたことが知られるそうです。⑶


 なお、狹穗彦が異母妹の狹穗姫と男女関係に陥り、死に至ったと伝えられており、当時、父母を同じくする兄妹(姉弟)が男女関係を結ぶことは、呪術宗教的観点から厳しく禁断されていたらしく、祖の狹穗彦と玄孫の齒田根命が、ともに性的禁忌を犯したことは偶然とは思われないとの平林章仁氏⑷の主張を考慮すると、やはり創作性が強いということでしょうか? 神に対する不敬故にその命を落とすことにつながった日本武尊は、その子である仲哀天皇も同様に神に対する不敬を働き、それが遠因となり早逝したと思われる伝承でみられるように、記紀の物語では先祖が罪を犯すと、その子孫も似たようなことを行うと考えられていたのかも知れません。


 又、坂本太郎氏は齒田根命の話を物部連が蒙った殊恩を記している点より物部家記のものらしいこと。武人たる物部氏に伝えられた物語の趣が顕著であること。前後の記事とは全く関係のない一つの挿話であることから、一氏族の伝承として物部家記に拠ったものであると指摘されました。⑸


 更に言えば、同じ話が『古事記』には無い為、出典は『旧辞』ではないことが明らかなことから考慮しても、坂本氏の指摘通り七世紀後半に石上物部氏が提出した家記(墓記)が出典である可能性が高く、史実性が低い内容であると言わざるを得ませんが、これまで見てきたように本話から上古の犯罪に対する贖罪行為に宗教的な意義を見出すことは可能と言えます。




◇参考文献

⑴『六国史 : 国史大系 日本書紀 再版』経済雑誌社

https://dl.ndl.go.jp/pid/950693/1/159


⑵『記紀歌謡全註解』相磯貞三 有精堂出版 448-450頁

「七九 齒田根命の歌」


⑶⑷『雄略天皇の古代史』平林章仁 志学社 電子書籍版 392-393頁

「王族と通じた采女と物部氏」


⑸『日本古代史の基礎的研究 上 (文献篇)』坂本太郎 東京大学出版会 144頁

「纂記と日本書紀」

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