応援コメント

景行天皇紀と神功皇后摂政前紀は邪馬台国末期の状況の反映か?」への応援コメント

  • 何度も読み返しているのですが、あまりにも情報量が多くて整理しきれません。どれだけの時間を使って研究されてきたのか、驚くばかりです。

    まず、邪馬台国と大和王権に連続性を認めないとする主張は、とても納得させられました。多くの情報に晒される中、記紀の内容と邪馬台国を無理にでも関連付けようとする視座に固定されていたようです。その呪縛から離れることで、視野が広がりました。

    景行天皇紀・神功皇后紀の九州の情勢については、全くの勉強不足です。知りませんでした。熊襲に関しては、手塚治虫の「火の鳥」の情報くらいしか思い出せません。これらの情報を消化するにはまだまだ時間がかかりますが、新しい視座が開けて、とても良かったです。ありがとうございました。

    作者からの返信

     景行天皇や神功皇后は津田史観・王朝交代説により抹殺されてしまった天皇・皇后であり、特に景行に関しましては、日本書紀の記述を架空のものとして古事記のみを参考にして、ヤマトタケルを遠征で死に追いやった天皇ぐらいしか思われていない爲、一般的に興味が抱かれていないのは仕方がないのかなと思いますが、渋谷向山古墳の規模や、同時期に九州に前方後円墳が造営され始めること等から考慮すると、日本をほぼ統一(と言っても北九州から関東までですが)した最初の天皇であり、これを土台に神功皇后以降の朝鮮遠征が可能になったのかと思います。

     言わば後の日本の基盤を作った、古代史上きわめて重要な天皇であったのではないかと思いますが、その分、力を入れ過ぎたのか、今読むと確かに情報過多で、せめて景行天皇紀と神功皇后紀で分割した方が良かったかなと反省しております……。

     本稿で取り上げた以外にも、景行天皇に関しましては、『肥前国風土記』神埼郡の記事が3世紀末から4世紀の初め頃、吉野ケ里の集落が突如途絶えたことと関連するのかな? と推定し、かなり大胆な仮説を立てたりしました。

    ・吉野ケ里遺跡⑵ 『肥前国風土記』に見える遺跡付近の伝承と景行天皇の実在性について
    https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817330659484533629

     神功皇后も一般的に実在性が低いとされていますが、その一方で、神功皇后紀を朝鮮文献と比較して、史実性が認められる記事が登場しだします。又、最近の研究では少しずつですが、神功皇后の実在性を認め得る見解も出てきており、それに関しましては後日投稿したいと思います。

    編集済