応援コメント

オワコントンデモ学説。王朝交代説の趣旨と批判。」への応援コメント

  • 崇神以前の王墓があったところで大和王権(天皇家)との繋がりが証明できなかったら初代天皇を崇神以前に遡るのはできないのでは。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     考古学者の白石太一郎氏は外山茶臼山古墳あるいはメスリ山古墳が鳥見山の地、即ち磐余の地にある事からイワレビコ、つまり神武天皇の墳墓である可能性を指摘しています。(「考古学からみた応神以前の王統譜」白石太一郎)

     奈良県立橿原考古学研究所によれば、外山茶臼山古墳から、最新の研究成果に基づいて出土した銅鏡の推定枚数を103面以上と発表し、古墳の被葬者を「他の古墳の追随を許さない隔絶した王権の地位にあった人物」とし、「王権内には一級の銅鏡が大量にストックされ、被葬者は各勢力への配布をコントロールできた人物」という見解を示していること等から、初期ヤマト王権の大王墓である可能性が高まっているそうです。

     又、箸墓古墳、西殿塚古墳は発掘された副葬品から、被葬者が女性であった可能性が高いらしいですが、外山茶臼山古墳からは多数の武器・武具と呪術的な石製品の副葬品が発掘されたことから、聖・俗の王権を兼ね備えた男王の墓と想定され、崇神以前の大和の最初の王であった可能性が高いのではないでしょうか。