『先代旧事本紀』第十巻「国造本紀」は『国記』の記述が反映されているか?

◇主に参考とする研究書

 『先代旧事本紀』は聖徳太子と蘇我馬子の国史編纂事業にかこつけた偽書ですが、第十巻「国造本紀」は古い趣があり、『国記』と関りがあるかと思われる個所もあるという説につきましては過去の稿で述べましたが、この主張で大変解りやすい例が安本美典氏の『古代物部氏と『先代旧事本紀』の謎 大和王朝以前に、饒速日の尊王朝があった』(勉誠出版)によく纏まっています。


 基本的に安本氏の説(統計学を如何にもそれらしく利用して天照大神を実在の人物として邪馬台国の卑弥呼と結び付けたり、饒速日の尊王朝云々。)は当方と相容れないものですが、『先代旧事本紀』の研究に関しては勉強になる事が多く、自説を空想豊かな想像で補いがちな歴史学者(武光誠氏の如きは『日本書紀』に都合が悪い記述を載せている『天皇記』が焚書にあったなどと古史古伝支持者とそっくりな主張をしている始末。もし焚書があったとすればワザワザ『日本書紀』に『天皇記』に関する記述を残さないと思うのですが……。この手の主張をする方は戦中に津田左右吉の著書が発禁処分になった事を意識しすぎなのでは?)と違い旧事本紀研究に関して言えばエビデンスも確かなので、この本を参考にして、具体的に「国造本紀」のどの部分が『国記』と関りがありそうなのか、取り上げてみます。



◇『風土記』編纂以降、国名は二字で統一された。

 先ずは何を以って国造本紀に「古い趣」があるのか理解するには八世紀初頭の時代背景を理解する必要がありますので、安本氏の主張を各種文献(参考文献参照)で確認しながら取り上げてみます。


 『続日本紀』巻六和銅六年(七一三)五月 甲子癸亥朔二の記事に「制。畿内七道諸國郡郷名着好字。其郡内所生。銀銅彩色草木禽獸魚虫等物。具録色目。及土地沃塉。山川原野名号所由。又古老相傳舊聞異事。載于史籍亦宜言上」⑴つまり、「畿内七道諸国の郡・郷の名称は、好い漢字で表記せよ。郡内で産出する銀・銅・彩色・植物・鳥・獣・魚・虫等の物は、その一つ一つの種類を記録し、また、土地が肥沃か否か、山・川・原・野の名称の由来、また古老が伝承している古い話や変わった事柄などは、史籍に載せて報告せよ」と書かれています。文中の「史籍」は『風土記』の事を指し、「好字」は二文字の好ましい漢字を示すらしく『延喜式』二十二巻民部省の「凡諸国部内郡里等名並用二字。必取嘉名」⑵は「畿内七道諸國郡郷名着好字」により基づいていると言われています。(なお、「好字」が「二字」である説を最初に唱えたのは民俗学者の折口信夫らしいです。)また、大宝年間(七〇一年から七〇四年)以降和同六年までの頃に、既に二字の好ましい漢字で記す改訂は進んでいたとも言う研究もあるらしいですが、それ以前は二字以外の国名も存在していました。



◇『先代旧事本紀』では古い国名表記を伝えている

 以上で見てきたように二字の地名表記は遅くても七一三年頃には決められていたのですが、『先代旧事本紀』第十巻「国造本紀」の三文字や一字の国名は、七一三年よりも前の国名を伝えている可能性があります。


 幾つか例を挙げると『日本書紀』の「駿河」は「珠流河」⑶、同書の「武蔵」は「无耶志」⑷、平城宮木簡の「秩父(郡)」は「知々夫」⑸と記されており、これら二文字の国や群名が三文字で書かれている他、平城宮木簡の「阿波」が「粟」⑹、『日本書紀』の「那賀(郡)」⑺が「長」、『続日本紀』の「賀茂(郡)」が「(針間)鴨」⑻などは一文字で書かれており、これらは七一三年以前の古い地名表記名がそのまま使われている可能性があります。この中でも「无耶志」表記は藤原京出土木簡にも「无耶志国造」とあり、この用字は西暦六九四年を遡り使用されていたことが証明されています。



◇『先代旧事本紀』で推古朝に遡る用字

 「天神本紀」にみえる「巷宜物部」⑼の「巷」表記は五九六年に作られたとみられる『元興寺露盤銘』の「名伊那米大臣」⑽や推古天皇十三年(六〇五)の『元興寺丈六釈迦仏光背』の「哥名伊奈米大臣」⑾、推古天皇三〇年(六二二)の『天寿国曼荼羅繡帳』の「奇大臣伊奈米足尼」⑿のものと一致し、「巷」表記が推古朝の用字である事を示しています。

 安本氏の説を補足すると、『上宮聖徳太子伝暦』に注釈を加えた『平氏傳雜勘文』に推古朝の遺文である『上宮記』に基づいた「上宮記下巻注云」として引用された聖徳太子の系譜にも「汀麻古大臣」⒀と表記されています。


 他にも「天孫本紀」の物部氏の系譜が伝える人名で「古」の使用例が十五例、「子」の使用例が五例で、「古」の使用率が七十五パーセントを占め、これは『古事記』上巻の「古」の使用の六五.五パーセントを超え、『古事記』上巻の原資料の成立よりも古く見え、人名の最後の部分に「古」を使用する用字が『釈日本紀』が引用した『上宮記』にもみられること。そして、同系譜の「足尼すくね」表記が『上宮聖徳法王帝説』の古い表記部分に見られる事から、『先代旧事本紀』が推古朝以降の古い文献を利用していた可能性があるとのことです。以上が安本氏の主な主張となります。


 

◇「国造本紀」は『国記』が基になっているのか?

 ここまで見ると『先代旧事本紀』が『天皇記』『国記』を基にしており、特に「国造本紀」が『国記』を基にしていると結論づけたくなりますが、「山城」「出羽」「越前」など平城京成立以降の用字も登場し、奈良時代以降の話も記されている事から、「国造本紀」が明らかに記紀よりも後の時代に書かれたものである事は間違いありません。


 また、例えば「无耶志」表記が使われ始めたのが藤原京木簡から推測して六九四年を遡るのが確実だとしても、それ以前は何時まで遡るのか証明のしようもなく、推古朝の表記とは限りません。また、安本氏の著書では触れられていませんが、『日本後紀』巻廿一弘仁二年(八一一)九月壬辰朔に「出羽国人少初位下直膳大伴部廣勝賜姓大伴直」⒁という一文があり、何も古い時代に限らず、『先代旧事本紀』が書かれた時代からそれ程離れていないと思われる時期でも「无耶志」という用字は見受けられます。


 『先代旧事本紀』が主に「天神本紀」「天孫本紀」「国造本紀」等にオリジナリティが含まれる部分以外は殆どが記紀や『古語拾遺』を基にしてダイジェスト的に編纂した偽書であることは言うまでもありません。


 ですが、今まで観てきたように記紀以前の古い文献を引用している形跡があるのは確かであり、現在では失われた書もあるかと思われますが、その中に『国記』の内容が含まれている可能性を見出したいと……、どうしても『先代旧事本紀』に対して夢見てしまうのは悪い事でしょうかね? 当方も所詮はアマチュアなのでこの辺はシビアになり切れませんので、何を馬鹿な事を言っているんだと笑って見守ってやってください。



*追記

 本稿では「国造本紀」の原資料として『国記』に焦点を当てましたが、別資料を原資料とする説も存在します。以下にその内容を取り上げてみます。


⒂『続日本紀』巻二大宝二年(七〇二)四月 庚戌十三日

庚戌。詔定、諸國國造之氏。其名具國造記。

庚戌かのえいぬみことのりし、諸國もろもろのくにの國造くにのみやつこうじを定む。其の名 國造記くにのみやつこのふみつぶさなり。)


⒂解説

 文中の『国造記』とは佐伯有義氏の『六国史』所収の『続日本紀』の頭注によれば、「國造記、狩谷氏云旧事紀所載國造本紀蓋此等之類」⒃とあります。

 栗田寛氏は『国造本紀考』で『国造記』に注目し⒄、又、和田英松氏は「奈良時代以前に撰ばれたる史書」⒅で、国造記について「この書は、今伝はらぬが、蓋し舊事紀の中なる国造本紀は、これによって撰録したものであろう」と、『国造記』を「国造本紀」の資料とする見解を述べました。


 吉田晶氏は和田氏の説を再評価し、「国造本紀」に書かれた国造の性格を『倭名類聚抄』と比較しながら比定し、七世紀後半に分国で成立した越前・越中・越後・備前・備中・備後・筑前・筑後・豊前・豊後などの国や、陸奥・常陸・美濃など律令制度下の国造が記載されていないことから、「国造本紀」は律令制度下の国造を記したものではない事を指摘し、「国造本紀」が掲げる国の数が『隋書』「倭国伝」に書かれる120という「軍尼くに」の数とほぼ一致することから、「国造本紀」は六世紀中葉から七世紀後半までの期間に実在した国造について記しており、資料は『国造記』と見るべきことを論じました。⒆


 こうした研究成果をみると「国造本紀」が『国記』を基にした文献とは言い難いです。『国造記』が書かれた時期が大宝年間に二文字の好字に改められた時期よりも早いとすれば、これを参考にした「国造本紀」に古い用字が使われていたとしても不思議ではありません。


 とは言え、『国造記』自体も『国記』程ではないにせよ、『古事記』を遡る古い文献であることには違いありません。既に失われた文献の形を拾い上げる事が出来るのであれば、決して「国造本紀」の価値も低くないと言えます。




◇参考文献

・『古代物部氏と『先代旧事本紀』の謎 大和王朝以前に、饒速日の尊王朝があった』安本美典 勉誠出版


⑴『六国史 : 国史大系. 続日本紀』経済雑誌社

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950694/45


⑵『延喜式 : 校訂. 下巻』皇典講究所, 全国神職会 校訂 大岡山書店

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442231/32


⑶『先代舊事本紀 10巻. [2]』

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2553448/104


⑷『先代舊事本紀 10巻. [2]』

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2553448/106


⑸『先代舊事本紀 10巻. [2]』

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2553448/106


⑹『先代舊事本紀 10巻. [2]』

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2553448/121


⑺『先代舊事本紀 10巻. [2]』

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2553448/121


⑻『先代舊事本紀 10巻. [2]』

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2553448/117


⑼『先代舊事本紀 10巻. [2]』前川茂右衛門

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563302/7


⑽『仮名源流考. 証本写真』文部省国語調査委員会 編 国定教科書共同販売所

https://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087719/17


⑾『仮名源流考. 証本写真』文部省国語調査委員会 編 国定教科書共同販売所

https://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087719/29


⑿『仮名源流考. 証本写真』文部省国語調査委員会 編 国定教科書共同販売所

https://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087719/42


⒀『仮名源流考. 証本写真』文部省国語調査委員会 編 国定教科書共同販売所

https://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087719/62


⒁『六国史 : 国史大系. 日本後記・続日本後記・日本文徳天皇実録』経済雑誌社

https://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950695/75


⒂『国史大系. 第2巻 続日本紀』経済雑誌社 編

https://dl.ndl.go.jp/pid/991092/1/17


⒃『六国史 巻3 続日本紀. 巻上,下 増補』佐伯有義 編 朝日新聞社

https://dl.ndl.go.jp/pid/1172835/1/36


⒄『国造本紀考 訂正版 (存採叢書)』栗田寛 著 近藤活版所

https://dl.ndl.go.jp/pid/993511/1/3


⒅『岩波講座日本歴史 第12 参考編』

「奈良時代以前に撰ばれたる史書」

https://dl.ndl.go.jp/pid/1240435/1/17


⒆『日本国家成立論 国造制を中心として』吉田晶 東京大学出版会

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