『日本書紀』で見る各時代の大連・大臣(14) 蘇我蝦夷・蘇我入鹿① 蘇我氏の権勢

 ここ数カ月間で書籍を購入しすぎてしまった為、中々更新出来ませんでした。購入した主な本は以下の様な感じです。『吾妻鏡』でよさげなテキストがあったらご教示ください。

https://kakuyomu.jp/users/uruha_rei/news/16817139557296894823


 本稿ではいよいよ最後の大臣である蘇我蝦夷・蘇我入鹿(但し入鹿に関しては大臣は自称)を取り上げます。



⑴『日本書紀』巻二四皇極天皇元年(六四二)正月 辛未十五日

元年春正月丁巳朔辛未、皇后即天皇位。以蘇我臣蝦蛦爲大臣如故。大臣兒入鹿〈更名鞍作。〉自執國政、威勝於父。由是、盜賊恐懾、路不拾遣。


元年はじめのとしの春正月はるむつきの丁巳ひとのとのみのついたち辛未かのとのひつじのひ皇后きさき即天皇位あまつひつぎしろしめす蘇我臣蝦蛦そがのおみえみしを以て大臣おほおみすこともとの如し。大臣の入鹿〈更の名は鞍作くらつくり。〉自ら國政くにのまつりごとを執りて、いきほひ父にまされり。是にりて、盜賊ぬすびと恐懾おぢひして、路におちものらず。)


・⑴概略

 元年の春正月十五日、皇后は皇位に則位された。これまで通り蘇我臣蝦夷を大臣とされた。大臣の子入鹿は、自分から国の政治を執り行って、威勢は父よりも勝っていた。そのため、盜賊は怖気づいて、道に落ちている物も拾わなかった。



⑵『日本書紀』巻二四皇極天皇元年(六四二)十二月是歳

是歳、蘇我大臣蝦蛦、立己祖廟於葛城高宮、而爲八佾之儛。遂作歌曰、野麻騰能、飫斯能毘稜栖鳴、倭施羅務騰、阿庸比施豆矩梨、擧始豆矩羅符母。又、盡發擧國之民并百八十部曲、預造雙墓於今來。一曰大陵、爲大臣墓。一曰小陵、爲入鹿臣墓。望、死之後、勿使勞人。更悉聚上宮乳部之民〈乳部、此云美父。〉役使塋垗所。於是上宮大娘姫王發憤而歎曰、蘇我臣專擅國政、多行無禮、天無二日、國無二王。何由任意、悉役封民。自茲結恨、遂取倶亡。


(是の歳、蘇我大臣蝦蛦、己がおやまつりや葛城かづらき高宮たかみやに立てて、*八佾やつらまひを爲す。遂に歌を作りて曰く、


大和ヤマトノ、忍廣瀬シノブヒロセヲ、タラムト、足帯手作アヨヒタツクリ、腰作コシツクラフモ。


又、ふつく擧國あめのしたおほむたからあはせて百八十ももあまりよそ部曲かきたみおこして、あらかじふたつの墓を今來いまきに造る。ひとつ大陵おほみささぎと曰ひ、大臣の墓と爲す。一を小陵こはかと曰ひ、入鹿臣いるかのおみの墓と爲す。望むらくは、みまかりて後、人をいたはらしむることけむ。更にことごとく上宮かむつみやの**乳部みぶ〈乳部、此をミブと云ふ。〉の民をあつめて塋垗所はかところ使役つかふ。是に於いて上宮かむつみやの大娘姫王おほいらつめのみこ發憤むつかりて歎きて曰く、「蘇我臣そがのおみたうめにてかくにのまつりごとほしきままにして、さは無禮ゐやなきわざす、天にふたつの日無く、國にふたりきみなし。何に由りてかこころままに、ことごとくよさせる民をつかはむ」。これより恨みを結びて、遂にともほろぼされぬ。)


*八佾やつらまひ

 中国古代雅楽の編成で、一佾いつは八人から成る。天子は八佾、諸侯は六佾を用いる定めだった。


**乳部みぶ

 聖徳太子の為に定め置かれた乳部の民。乳部(壬生部)は部の一種で、皇子の養育の料として定められたものと考えられる。


・⑵概略

 是の年、蘇我大臣蝦夷は、自家の祖廟を葛城かづらき高宮たかみやに立てて、八佾やつらの舞をした。そこで歌を作って曰く、


大和ヤマトノ、忍廣瀬シノブヒロセヲ、タラムト、足帯手作アヨヒタツクリ、腰作コシツクラフモ。


(大和の忍海おしみの曾我川の広瀬を渡ろうと、足の紐を結び、腰帯をしめ身づくろいすることだ。)


 又、国中の併せて百八十あまりにおよぶの部曲かきたみを召使い、双墓ならびのはかを生前に、今来(御所市東南)に造った。一つを大陵おほみささぎと言い、(蝦夷)大臣の墓とし、一つを小陵こみささぎと言い、入鹿臣いるかのおみの墓とした。死後に墓の造営の為に人々が苦労させることのないようにと願っての事である。更に上宮かむつみや乳部みぶの民〈乳部、これを美父と言う。〉の民をことごとく集めて、墓所に使役した。この為、上宮かむつみやの大娘姫王おほいらつめのみこ(太子の女、舂米女王?)は憤慨して言った。「蘇我臣そがのおみは国政を欲しい儘にして、無礼な振る舞いが多く。天に二つの太陽は無いように、国に二人の君主はいない。どうして勝手に、上宮に賜った民を悉く使役するのだ」。こうしたことにより恨みを買って、後に二人とも滅ぼされた。



⑶『日本書紀』巻二四皇極天皇二年(六四三)十月 壬子六日

壬子、蘇我大臣蝦蛦縁病不朝、私授紫冠於子入鹿、擬大臣位。復呼其弟曰物部大臣。大臣之祖母物部弓削大連之妹。故因母財、取威於世。


壬子みづのえねのひ蘇我大臣蝦蛦そがのおほおみえみしやまひりてまゐでず、ひそかに紫冠むさらきのかうぶりを子入鹿に授けて、大臣の位になずらふ。復た其の弟を呼びて物部大臣もののべのおほおみと曰ふ。大臣の祖母おば物部弓削大連もののべのゆげのおほむらじいろとなり。いろはちからりて、いきほひを世に取れり。)


・⑶概略

 六日、蘇我大臣蝦蛦そがのおほおみえみしは病のために朝庭に出仕出来ず、かってに紫冠むさらきのかうぶりを子の入鹿に授けて、大臣の位になぞらえた。またその弟をよんで物部大臣もののべのおほおみと言った。大臣の祖母おば物部弓削大連もののべのゆげのおほむらじの妹である。母の財力に因って、世に勢威を振るったのである。




・⑴⑵⑶解説

 これらの記事は大化のクーデターを正当化する為に、ことさらに蘇我氏を悪く書こうとして、誇張と作為を加えた形跡がうかがわれ、八佾やつらの舞をしたことなどは造作であるとも言われていますが、これらの記事を通して、蘇我氏の権勢と政界の不安の実情をうかがうことが出来ます。①



⑷『日本書紀』巻二四皇極天皇二年(六四三)十月 戊午十二日

戊午、蘇我臣入鹿獨、謀將廢上宮王等、而立古人大兄爲天皇。于時有童謠曰、伊波能杯爾、古佐屡渠梅野倶、渠梅多爾母、多礙底騰裒囉栖、歌麻之之能烏賦。〈蘇我臣入鹿、深忌上宮王等威名、振於天下、獨謨僣立。〉


戊午つちのえのうまのひ蘇我臣入鹿そがのおみいるかひとり、上宮かむつみや王等みこたちてて、古人大兄ふるひとおほねを立てて、天皇と爲さむとすることをはかる。時に童謠わざうた有り、曰く、


イワニ、小猿コサル米焼コメヤク、コメダニモ、ゲテホラ山羊カマシシ老翁ヲヂ


〈蘇我臣入鹿、深く上宮かむつみや王等みこたちいきほひあり、天下に振ふをにくみて、獨り僣立ひところひたたむことはかる。)


・⑷概略

 十二日、蘇我臣入鹿そがのおみいるかは独断で上宮かむつみやみこたちを廃し、古人大兄ふるひとおおえを天皇に立てようとはかった。この時に童謠わざうた有った。


イワニ、小猿コサル米焼コメヤク、コメダニモ、ゲテホラ山羊カマシシ老翁ヲヂ


(岩の上で小猿が米を焼く。米だけでも食べていらっしゃい山羊(かもしか)のおじいさんよ。)


〈蘇我臣入鹿は、上宮の王たちの声望が、国内に盛んな事を酷く憎んで、自ら臣下の身分をかえりみないふるまいに出ようとした。〉




⑸『日本書紀』巻二四皇極天皇二年(六四三)十一月丙子朔

十一月丙子朔、蘇我臣入鹿、遣小徳巨勢徳太臣、大仁土師娑婆連、掩山背大兄王等於斑鳩。〈或本云、以巨勢徳太臣、倭馬飼首爲將軍。〉於是奴三成與數十舎人出而拒戰。土師娑婆連中箭而死。軍衆恐退。軍中之人相謂之曰、一人當千謂三成歟。山背大兄仍取馬骨投置内寢、遂率其妃并子弟等得間逃出、隱膽駒山。三輪文屋君、舎人田目連及其女菟田諸石、伊勢阿部堅經從焉。巨勢徳太臣等燒斑鳩宮。灰中見骨、誤謂王死、解圍退去。由是山背大兄王等四五日間、淹留於山、不得喫飮。三輪文屋君進而勸曰、請移向於深草屯倉、從茲乘馬詣東國、以乳部爲本、興師還戰、其勝必矣。山背大兄王等對曰、如卿所噵、其勝必然。但吾情冀、十年不役百姓、以一身之故、豈煩勞萬民。又於後世、不欲民言由吾之故、喪己父母。豈其戰勝之後、方言丈夫哉。夫損身固國、不亦丈夫者歟。有人、遥見上宮王等於山中、還噵蘇我臣入鹿。入鹿聞而大懼、速發軍旅、述王所在於高向臣國押曰、速可向山、求捉彼王。國押報曰、僕守天皇宮、不敢出外。入鹿即將自徃。于時古人大兄皇子喘息而來問、向何處。入鹿具説所由。古人皇子曰、鼠伏穴而生、失穴而死。入鹿由是止行。遣軍將等、求於膽駒。竟不能覓。於是山背大兄王等自山還入斑鳩寺。軍將等即以兵圍寺。於是山背大兄王、使三輪文屋君、謂軍將等曰。吾起兵伐入鹿者、其勝定之。然由一身之故、不欲傷殘百姓。是以、吾之一身賜於入鹿。終與子弟妃妾一時自經倶死也。于時五色幡蓋、種種伎樂、照灼於空臨垂於寺。衆人仰觀稱嘆。遂指示於入鹿。其幡蓋等變爲黒雲。由是入鹿不能得見。蘇我大臣蝦蛦、聞山背大兄王等惣被亡於入鹿、而嗔罵曰、噫、入鹿、極甚愚癡、專行暴惡。儞之身命不亦殆乎。時人、説前謠之應曰、以伊波能杯爾、而喩上宮、以古佐屡、而喩林臣、〈林臣入鹿也。〉以渠梅野倶、而喩燒上宮、以渠梅施爾母陀礙底騰褒衰羅栖、柯麻之之能鳴膩、而喩山背王之頭髮班雜毛似山羊。又曰、棄捨其宮匿深山相也。


十一月丙子朔しもつきのひのえねのついたちのひ、蘇我臣入鹿、小徳せうとく巨勢徳太臣こせのとくだのおみ大仁だいにん土師はしの娑婆連さはのむらじりて、山背大兄王等やましろのおひねのみこたち斑鳩いかるがおそはしむ。〈或本に云ふ、巨勢徳太臣こせのとくだのおみ倭馬飼首やまとのうまかひのおひと將軍いくさのきみと爲す。〉ここ奴三成數十やつこみなりとをあまり舎人とねりと出でて拒ぎ戰ふ。土師はしの娑婆連さはのむらじあたりてせぬ。軍衆いくさのひとども恐れて退く。軍中の人相 かたりて曰く、「一人ひとりちたりあたるといふが三成みなりを謂ふか」。山背大兄やましろのおひね仍りて馬の骨を取りて内寢よとのに投げ置き、遂に其のみめならびに子弟みうから等を率ゐてひとまを得て逃れ出で、膽駒山いこまのやまに隱れたまへぬ。三輪文屋君みわのふむやのきみ舎人とねり田目連ためのむらじ及び其のむすめ菟田諸石うたのもろし伊勢阿部堅經從いせのあべのかたふみともにつかまつる。巨勢徳太臣等こせのとくだのおみたち斑鳩宮いかるかのみやを燒く。はひの中に骨を見いでて、誤りて王死みこうせましぬとおもひて、かこみを解きて退去まかる。是に由りて山背大兄王等やましろのおひねのみこたち四五日よかいつかの間、山に淹留とどまりたまへて、不得喫飮ものもえまうのぼらず三輪文屋君みわのふむやのきみ進みてすすめまつりて曰く、「請ふ深草屯倉ふかくさのみやけ移向きて、これより馬に乘りて東國あづまのくにいたりて、乳部みぶを以てもとと爲し、いくさを興して還り戰はむ、其の勝たむことうつなし」。山背大兄王等やましろのおひねのみこたちこたへて曰く、「いましふ所の如くば、其の勝たむこと必ずしからむ。だ吾がこころねがふは、十年百姓ととせおほむたからつかはず、一身ひとりのみゆゑを以て、豈に萬民おほむたからわづらはしいたはらしめむや。又後世またのちのよに於いて、民の吾が故に由りて、己が父母かぞほろぼせりと言はむことを欲せじ。豈に其れたたかひ勝ちて後に、方に丈夫ますらをと言はむ。夫れ身をて國をかたくせむは、また丈夫ますらをならざむや」。人有り、はるか上宮かみつのみや王等みこたちを山中に見て、還りて蘇我臣入鹿にふ。入鹿聞きて大にぢて、速かに軍旅いくさおこして、みこまします所を高向臣國押たかむくのおみくにおしかたりて曰く、「速に山にきて、彼の王を求捉かすめからむし」。國押報くにおしこたへて曰く、「やつがれ天皇すめらみことみやを守りて、敢えてでず」。入鹿即ち自らかむとす。時に古人大兄皇子ふるひとのおひねのみこ喘息いわけていでましはく、「何處いづちへかく」。入鹿 つぶさ所由よしを説く。古人皇子曰く、「ねずみは穴にかくれて生き、穴を失ひて死ぬ」。入鹿是に由りて行くことを止む。軍將等いくさのきみたちを遣りて、膽駒いこまに求めしむ。つひもとめうること能はず。是に山背大兄王等やましろのおひねのみこたち山よりかへりて入斑鳩寺いかるがのてらに入ります。軍將等いくさのきみたちすなはいくさを以て寺をかくむ。是に山背大兄王、三輪文屋君をして、軍將等にかたらはしめて曰く。「吾れ兵を起して入鹿をたば、其の勝たむこと定之うつなし。然るに一身ひとつのみゆゑに由りて、百姓おほむたからやぶそこなはむことを欲せじ。是を以て、吾が一身ひとつのみをば入鹿にたまふ」。つひ子弟やから妃妾みめ一時もろとき自經わなきて倶にうせましぬ。時に五色の幡蓋はたきぶがさ種種くさぐさ伎樂おもしろきおとおほそらに照りひかりてtらに臨み垂れり。衆人もろひと仰ぎ觀て稱嘆めぬ。遂に入鹿に指示す。其の幡蓋はたきぬがさかへりて黒雲に爲れり。是れに由りて入鹿 得見えみることあたはず。蘇我大臣蝦蛦そがのおほおみえみし、山背大兄王等がすべて入鹿にほろぼされぬと聞きて、いかりて曰く、「ああ、入鹿、極甚きはめて愚癡かたくなに、たうめ暴惡あしきわざを行ふ。いまし身命みいのちまたあやふからずや」。時の人、前のわざうたこたへを説きて曰く、「『岩上イハノヘニ』といふを以ては、上宮かむつみやたとへ、『古猿コサル』といふを以ては、林臣はやしのおみに喩へ、〈林臣は入鹿なり。〉『米燒コメヤク』といふを以ては、上宮を燒くに喩へ、『コメダニモ、ホラ山羊カマシシ老翁ヲヂ』といふを以ては山背王やましろのみこ頭髮班雜毛みくしふふきにして山羊かましし似たまへるに喩へたり。又曰く、其の宮を棄捨すて深山みやまに匿るしるしなり」。)


・⑸概略

 十一月一日、蘇我臣入鹿、小徳せうとく巨勢徳太臣こせのとくだのおみ大仁だいにん土師はしの娑婆連さはのむらじを遣わして、斑鳩いかるが山背大兄王やましろのおおえのみこたちを襲わせた。〈或本には、巨勢徳太臣こせのとくだのおみ倭馬飼首やまとのうまかひのおひとを将軍とした。〉


 やつこ三成みなりが数十人の舎人とねりと共に出でて防戦し、土師はしの娑婆連さはのむらじが矢に当たって死に。軍勢は恐れて退いた。軍中の人々は、

「一人当千とは三成みなりのようなものを言うのだろう」と語り合った。


 山背大兄やましろのおおえは、そこで馬の骨を寝室に投げ置き、妃や子弟達を連れ逃げ出し、膽駒山いこまのやまに隱れた。三輪文屋君みわのふむやのきみ舎人とねり田目連ためのむらじ及び其のむすめ菟田諸石うたのもろし伊勢阿部堅經從いせのあべのかたふみともらがお供に従った。巨勢徳太臣等こせのとくだのおみたち斑鳩宮いかるかのみやを焼き、灰の中に骨を見つけて、王が死んだものと思って、包囲を解いて退去した。こうして山背大兄王等は四、五日の間、山にひそみ、食べ物を取る事も出来なかった。三輪文屋君みわのふむやのきみ


深草屯倉ふかくさのみやけ(京都市伏見区にあった朝廷の直轄地)に移り、そこから馬に乗って東国におもむき、乳部みぶ(太子の為に置かれた部民)をもとに軍勢を整え、軍勢を興して戦いましょう、そうすれば必ず勝ちます」

と進言した。山背大兄王等は


「お前の言う通りにすれば、必ず勝てるだろう。ただ、私は十年間百姓を使役すまいと決めている。自分一身の為に、どうして万民に苦労をかけられよう。また後の世の民から、私の為に父母かぞを亡くしたとも言われたくない。例え戦に勝ったとしても、それをどうして丈夫ますらをと言われよう。身を捨てて国を固めるのも、また丈夫ますらをではないか」

と答えて言った。


 遠くから上宮かみつのみやの王等を山中に見た人があり、帰って蘇我臣入鹿に知らせた。入鹿はそれを聞いて大いに恐れて、急いで軍勢を発して、王の居場所を高向臣國押たかむくのおみくにおしに教え、


「すぐに山に行き、彼の王を捜して捕まえるのだ」

と言ったが國押報くにおしこたへて、


「私は天皇すめらみことみやをお守りしているので、外に出て行く事はしません」

と答えた。入鹿が自身で行こうとすると、古人大兄皇子ふるひとのおおえのみこが息せき切って駆けつけ、


「何処へ行く」

とお尋ねになった。入鹿がつぶさに事情を話すと、古人皇子は、


ねずみは穴に隠れて生き、穴を失えば死ぬというぞ」

と言われた。(本拠を離れたらどんな厄に遭うか分からないという忠告)入鹿はそこで行くことを止めた。軍将等を遣り、膽駒山を捜索させたが、とうとう王達を発見出来なかった。やがて山背大兄王等は、山から帰り、斑鳩寺いかるがのてらにお入りになった。軍将等はすぐに軍兵で寺を包囲した。山背大兄王は三輪文屋君を通して、軍将等に


「自分が兵を起して入鹿を討てば、きっと勝つ。しかし、一身の為に、百姓おほむたからを傷つけ殺す事はしたくない。それゆえ、吾が一身をば入鹿にたまう」。

と語って言われた。ついに子弟、妃妾みめともろともに、みずから首をくくり、お亡くなりになられた。おりから五色のはたきぬがさが、さまざまの妙なる舞楽の姿と共に空に照り輝き、寺の上に垂れかかった。仰ぎ見た多くの人々が、感嘆して入鹿に指し示したところ、それはたちまち黒雲に変わり、入鹿は見る事が出来なかった。蘇我大臣蝦蛦そがのおほおみえみしは山背大兄王等が全て入鹿に滅ぼされた事を聞くと、


「ああ、入鹿、何と愚かで、乱暴な悪事を行ったのだ。そのようなことをすれば、お前の命もまた危ういのだ」

と怒り罵って言った。

人々は先の童謠わざうたの意味を解き明かして、


「『イハニ』とは上宮を喩え、『古猿コサル』とは、林臣はやしのおみに喩へ、〈林臣とは入鹿のことである。〉『米燒コメヤク』とは上宮を焼く事に喩えたもので、『コメダニモ、ホラ山羊カマシシ老翁ヲヂ』と言うのは山背王やましろのみこの頭髮が白髪交じりでぼさぼさしてカモシカに似ていることの喩えである。又、その宮を捨てて深い山にお隠れになることを表したものである」

と言った。


・⑷⑸解説

 蘇我入鹿は舒明天皇と蘇我馬子の娘の間に生まれた古人皇子を立てようとして、声望が高く、皇位継承に関する発言権が高かったと思われる厩戸皇子の子である山背大兄皇子を殺害します。


 なお、「イハニ~」の歌は入鹿の手が山背大兄皇子を捕らえることの前兆の意味を持つものとして取り入れられていますが、本来は歌垣に立った女の歌であろうと言われています。②



⑹『日本書紀』巻二四皇極天皇三年(六四四)十一月

冬十一月、蘇我大臣蝦蛦兒入鹿臣、雙起家於甘梼岡。稱大臣家曰宮門。入鹿家曰谷宮門〈谷。此云波佐麻。〉、稱男女曰王子。家外作城柵、門傍作兵庫、毎門置盛水舟一、木鈎數十、以備火災。恆使力人持兵守家。大臣、使長直於大丹穗山造桙削寺。更起家於畝傍山東、穿池爲城、起庫儲箭。恆將五十兵士、続身出入。名健人曰東方儐從者。氏氏人等入侍其門、名曰祖子孺者。漢直等全侍二門。


(冬十一月、蘇我大臣蝦蛦そがのおほおみえみし入鹿臣いるかのおみ、家を甘梼岡あまかしのおかならつ。大臣の家をびて宮門うへつみかどと曰ふ。入鹿が家を谷宮門はざまのみかど〈谷。此をハザマと云ふ。〉と曰ふ、男女をとこめのこびて王子みこと曰ふ。家の外にかきを作り、門のほとり兵庫つはものやぐらを作る、門毎かどごとに水をるる舟一ふねひとつ木鈎きかぎ數十とをあまりを置きて、以て火のわざはひに備ふ。つね力人ちからひとをしてつはものりて家を守らしむ。大臣、長直をさのあたひ大丹穗山おほにほのやまに使はして桙削寺ほこぬのてらを造らしむ。更に家を畝傍山の東に起て、池を穿りてつくり、やぐらてて箭をもうく。つねに五十の兵士ひとて、身をめぐらして出入す。健人ちからひとを名づけて東方儐從者あづまのしとりべと曰ふ。氏氏うじうじ人等ひとども入りて其の門にはべる、名づけて祖子孺者おやのこわらはと曰ふ。漢直等あやのあたひらもはふたつかどはべる。)


・⑹概略

 冬十一月、蘇我大臣蝦蛦そがのおほおみえみしが子の入鹿臣いるかのおみ、家を甘梼岡あまかしのおかに並べて立てた。大臣の家を上の宮門みかどと呼び、入鹿の家をはざま宮門みかど〈谷。此をハザマと言う。〉と呼んで、男女を王子みこと呼んだ。家の外にはかきを造り、門のわきには兵庫つはものやぐらを造り、門毎かどごとに水をみたした舟一つと、木鈎きかぎ(とびぐち)数十とを置いて火災に備え、常に力の強い男に武器を持たせて家を守らせた。大臣は、長直をさのあたひに命じて大丹穗山おほにほのやま(明日香村入谷?)に桙削寺ほこぬのてらを造らせ、また畝傍山の東にも家を建て、池を掘って砦とし、武器庫を建てて矢を蓄えた。常に五十の兵士率いて、身の周囲に巡らして家の出入りをした。これらの力の強い人々を名づけて東方あずま儐從者しとべ(東国出身の従者)と名付けた。諸氏の人々の、入ってその門にはべるものを、名づけて祖子孺者おやのこわらはと言った。漢直あやのあたひたちは、二の門にはべるのをもっぱらにした。


・⑹解説

 宮門みかど王子みこを称したのは八佾やつらの舞の記事と同じく造作であろうと言われています。③


 上宮家を滅亡に追いやり、蘇我氏の権力も絶頂を極めながらも自身等の生命の危険も感じていたという事でしょうか。外出時に常に五十人の兵士を率いるのは流石に大袈裟な描写と思えますが、当時の砦の詳細な描写は貴重な資料で参考になります。


 次稿では時代の流れに沿って一旦、中臣鎌足・中大兄皇子等の密談についての話を挟み、その次の稿で再び蝦夷・入鹿親子について取り上げたいと思います。



◇参考文献

⑴『国史大系. 第1巻 日本書紀』経済雑誌社 編

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991091/212

『日本書紀 : 訓読. 下巻』黒板勝美 編 岩波書店

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107125/69


⑵『国史大系. 第1巻 日本書紀』経済雑誌社 編

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991091/214

『日本書紀 : 訓読. 下巻』黒板勝美 編 岩波書店

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107125/71

71・72コマ


①及び*,**『史料による日本の歩み 古代編』 関晃・井上光貞・児玉幸多 編 吉川弘文館 66ページ


⑶『国史大系. 第1巻 日本書紀』経済雑誌社 編

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991091/215

『日本書紀 : 訓読. 下巻』黒板勝美 編 岩波書店

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107125/73


⑷『国史大系. 第1巻 日本書紀』経済雑誌社 編

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991091/215

『日本書紀 : 訓読. 下巻』黒板勝美 編 岩波書店

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107125/73


⑸『国史大系. 第1巻 日本書紀』経済雑誌社 編

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991091/215

215・216コマ

『日本書紀 : 訓読. 下巻』黒板勝美 編 岩波書店

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107125/73

73・74コマ


②『日本書紀(下)』井上光貞・監訳 笹山晴生・訳 中公文庫 251ページ 注⑼ 


⑹『国史大系. 第1巻 日本書紀』経済雑誌社 編

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991091/218

『日本書紀 : 訓読. 下巻』黒板勝美 編 岩波書店

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107125/76

76・77コマ


③『史料による日本の歩み 古代編』 関晃・井上光貞・児玉幸多 編 吉川弘文館 66ページ

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