広開土王碑
広開土王碑文は帝国陸軍による捏造説という虚構(激辛注意)
4世紀後半から5世紀初頭における朝鮮半島と日本の国際情勢を伝える貴重な史料として、中華人民共和国吉林省通化市集安市に存在する広開土王碑があります。これは高句麗の第19代の王である広開土王(好太王)の業績が刻まれた碑文ですが、この広開土王碑文は大日本帝国陸軍による捏造というトンデモ説に歴史学会が振り回されたのみならず、史実性以外の面でも歴史学会に長い間影を落とすことになります。
1884年(明治17年)1月、情報将校として実地調査をしていた陸軍砲兵大尉の酒匂景信が参謀本部に持ち帰った資料に、広開土王碑の拓本が含まれており、これを酒匂本と言いますが、この本について日本在住の韓国・朝鮮人考古学、歴史学者の
碑文の拓本の研究から、明治時代の軍部の手によって、石炭の塗布と碑文の改竄が行われたという主張をしましたが、そもそも本当に軍部が改竄したのであれば、倭国が高句麗に敗れた銘文をそのままにするはずが無いのは誰でもわかる事なのですが……。
ところが、この馬鹿げたトンデモに対し、歴史学会はスルーせずに向き合ってしまい、当時の多くがマルキストであった歴史学者達の朝鮮・中国に対する植民地支配に対する罪悪感も相まって、碑文の真贋についての論を超えて影響を与えてしまう事になります。
歴史学会の重鎮で古代史分野で大きな影響力を持っていた井上光貞氏は李氏の説について疑問が多いと述べながらも「近代日本古代史研究が、当時の朝鮮・中国に対する植民地支配と密接に結びついていたことについての指摘は、われわれの古代史に関する観方に深い反省を迫るものがあった」(1)と歴史学的な事実の追求よりも信条的な面で歴史学会に影響を与えたようです。井上氏の著書から多くを学ぶことがありましたが、この点だけは到底受け入れられません。
一方、相見英咲氏は「朝鮮学者の論は日本の学者に信じられないほど大きな影響を与えてきた―そこにはある心理的理由が感じられるが、何が真実かだけを追求するのが私の任務と考えるので、それは問題としない」(2)と看破し、朝鮮学者や影響を受けた日本の学者の碑文の読み方を丁寧に取り上げながら批判していますが、本来の学者とはこの様に思想的な信条には囚われるべきではありません。
そしてこの不毛な論争は決着を迎えました。
2005年に酒匂本以前に作成された墨本が中国で発見され、その内容は酒匂本と同一であるとされました。
さらに2006年(平成18年)4月には中国社会科学院の徐建新により、1881年(明治14年)に作成された現存最古の拓本と酒匂本とが完全に一致していることが発表され、これにより改竄・捏造説は完全に否定されました。
他にも李氏が江田船山古墳出土大刀の銀象嵌銘の主体者は百済の蓋鹵王と解釈したり、九州が韓国の領土であったと主張などをみると「サッカーの起源が朝鮮半島」と唱えて世界中から怒りを買った大韓サッカー協会を思い出すのは私だけでしょうか?
ドイツナチ党でプロパガンダを行いドイツ国民を扇動したパウル・ヨーゼフ・ゲッベルスは「小さな嘘より大きな嘘に大衆は騙される」「嘘も100回言えば本当になる」「嘘も毎日つけば真実になる」との迷言を言っていたそうですが、李進熙という妄想に満ちたトンデモ学者がまさにゲッベルスの如き虚言で歴史学会を振り回していたという事でしょうね。『広開土王碑文』の史実性よりも(1)井上氏の言の如く、史実性とは関係なく信条的な理由から先人の研究を否定する様に仕向けた罪科は深いと言わざるを得ません。
□参考文献
(1)『日本書紀 Ⅰ』 監訳者・井上光貞 訳者・川副武胤 佐伯有清 中公クラシックス 64ページ
(2)『倭国の謎 知られざる古代日本国』相見英咲 講談社選書メチエ 227ページ
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