紀年について
天皇家の歴史は約2700年? 皇紀を否定する根拠「辛酉革命説(讖緯説)」とは?
今までのエッセイをご覧頂ければ、私のスタンスが保守寄りだと分かると思うのですが、(お前が推してる井上光貞は左翼じゃねーかとか、お前が批判している津田左右吉はああ見えて皇室を尊重していたじゃねーかとか見識の狭い事は言わんでください)ネ○ウヨが天皇家の歴史が2700年等と主張する姿を見ると、右翼気取りが国史である日本書紀すら読んだ事無いのか? と疑問に思う事があります。
令和3年現在、皇紀2681年という数字が出鱈目である事は日本書紀を一度でも読んだ事があれば、理解出来る事です。
古事記の崇神天皇の168歳崩御、日本書紀の垂仁天皇の140歳崩御を始め、百歳を超えるような不自然に寿命が長い天皇が多く存在したという非科学的な記述に基づいている事は誰でも分かる事ですが、それでも尚天皇家の歴史が約2700年と主張するとしたら、その人の事は誰も信じませんよね?
歴史学会が左翼に席巻されてしまったのは、よく言われている様に戦後GHQの検閲やレッド・パージで逃れてきたアメリカ人の影響もあるのでしょうが、同時に右派の古代史に関する無関心や無知によるものも大きいのかと思います。
津田左右吉の手法が科学的手法だなどと言われていますが、科学者が聞いたら呆れる様な内容でも科学的だと錯覚させる程戦中の歴史学会は酷かったという事であり、無邪気に皇紀を信じている方々の思考も津田左右吉が逮捕された80年ぐらい前から進歩が無いという事です。
エッセイの2話目でも述べましたが、先ずは歴史学会を席巻する所謂津田学徒や津田史観の先生達の本も読まないと「通説」が分からないし「通説」に対する反証も出来ないのです。古代史に限りませんが、自分のスタンスに近い主張の著書ばかり読まず、反対の立場の著書を読むのも見識を広げる為には必要です。
と、前置きが長くなりましたが、今回は2回に渡り『日本書紀』に書かれている上代の年代について説明させて頂きたいと思います。
◇
『日本書紀』の年表は神武天皇の即位を西暦紀元前660年に当たる
この紀年が神武天皇元年や皇紀と呼ばれ、明治以後、戦前には広く使われていました。(彼の零戦は皇紀2600年に製造された為に零戦と命名されたとか)。
紀元前660年はまだ縄文時代であり、古い時代の天皇の寿命が百歳を超えている場合が多いなど、不自然に長い事から、既に江戸時代には批判が出ており、特に
これは「
推古天皇九年(西暦601年)は辛酉年であり、日本書紀の編者らは讖緯説に従い、この年から干支二十一巡前、干支一巡につき六十年となる為、つまり千二百六十年前の辛酉年に大革命が起きたとし、神武天皇の即位という画期的な出来事をこの年に当て嵌めたと言われています。(確かに大和の地に天皇家以前に
こうなると『日本書紀』から正しい年代を測定するのは不可能のように思えますが、大体の年代を推定する方法が無い訳ではありません。
次稿ではその方法について述べます。
◇参考
『上世年紀考 増補版』那珂通世・著 三品彰英・増補 養徳社
『日本書紀(一)』 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注 岩波文庫
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