応援コメント

『日本書紀』で見る各時代の大連・大臣(2)伝承の時代。武内宿禰」への応援コメント

  • 武内宿禰は、存在が疑問視されていますね。
    もしかしたら、何人も何代にも渡って名前が受け継がれていたのかな、何て思います。そんな説も読んだことがありますので(*^^*)

    作者からの返信

     長月そら葉さま

     コメントありがとうございます。

     過去のコメントでも書いた事がありますが、恐らくその主張は宝賀寿男氏によるものでは無いかと思いますが、この方は所謂歴史学者とは違う在野の方なので残念ながら通説とは言い難いのですよね……。

     歴史学会の通説では別稿で述べましたように津田左右吉の七世紀に蘇我氏の影響で創作されたという説が有力で、(これに関しては本稿に書きましたように旧辞には既に武内宿禰の名は存在していたというのが私の持論です)他にも七世後半に活躍した「内臣」の中臣鎌足との関係を見るべきという岸俊男による説(こちらは無理があると個人的には思います)がよく言われており、いずれにせよ歴史学会では武内宿禰は実在の人物とは見られて居ないのが現状のようです。

     特に津田史観の方々は仲哀天皇以前を認めていないぐらいですから、家臣である武内宿禰も認めないのは彼らからすれば当然の姿勢と言えますが、神功皇后紀までは比較的日本書紀に好意的な解釈をしているように見える平林章二氏ですら実在を疑われているようですしね……。

     只、本稿で取り上げましたように実在性が高い葛城襲津彦以前の時代の遺構と想定される秋津遺跡の様な遺跡もある事と、過去に私が行った紀年の計算と時代が重なる可能性もあるので、葛城氏の祖と何らかの関係がある伝承が育まれる土台位はあったのかなと思っています。

    編集済