『懐風藻』から浮かび上がる大津皇子の変の真相?

◇『懐風藻』から浮かび上がる謀叛の密告者と黒幕


 『懐風藻』には大津皇子に関して『日本書紀』に無い話が伝わっています。この書で大津皇子に深いかかわりがあったと思われる二人の人物について書かれている内容から、ある真相が浮かび上がってきます。


・『懐風藻』河島皇子 一首(河島皇子伝)

皇子者淡海帝之第二子也。志懷溫裕。局量弘雅、始與大津皇子、為莫逆之契。及津謀逆、島則告變。朝廷嘉其忠正、朋友薄其才情、議者未詳厚薄。然余以為。忘私好而奉公者、忠臣之雅事。背君親而厚交者、悖徳之流耳。但未盡爭友之益、而陷其塗炭者、余亦疑之。位終于淨大參。時年三十五。 

(皇子は淡海あふみ帝の第二子なり。志懷溫裕しかいおんゆう局量弘雅きょくりやうこうが、始め大津皇子と莫逆ばくぎゃくの契りをなし、津の逆を謀るに及びて、島則ち變を告ぐ。 朝廷其の忠正をよみし、朋友ともかき其の才情を薄し。議者未だ厚薄をつまびらかにせず。 然して余 以爲おもへらく。私好しかうを忘れておほやけに奉ずる者は、忠臣の雅事がじ。君親に背きて交を厚する者は、悖徳はいとくの流のみ。 但し未だ爭友の益をつくさざるに、其の塗炭におとしいるる者は、余またこれを疑う。位、淨大參じょうだいさんに終ふ。時に年三十五)


https://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/977945/262

(国立国会図書館デジタルコレクション『新撰名家詩集』塚本哲三 編 有朋堂書店 262コマ参照)


・概略

 川島皇子(河島皇子)は、天智天皇の第二皇子です。温厚でゆったりした人柄で、度量も広かったと伝えられています。大津皇子と莫逆の契りを結びながらも、大津皇子が叛逆に及ぼうとすると、直ちにその事を密告し、朝廷から忠誠を賞されますが、友人からは薄情と見られ、論議は厚情か薄情かは明らかにしなかったとの事。『懐風藻』の編者は私情を捨てて公に奉じた彼の事を忠心を褒めながらも、友として忠告もせずに、大津を塗炭の苦しみに陥れた事に対し疑問に思ったようです。



・『懐風藻』大津皇子四首(大津皇子伝)より抜粋

時有新羅僧行心。解天文卜筮。詔皇子曰。太子骨法不是人臣之相。以此久在下位。恐不全身。。迷此詿誤。遂圖不軌。鳴呼惜哉。蘊彼良才。不以忠孝保身。近此奸豎。卒以戮辱自終。古人慎交遊之意。因以深哉。時年二十四。

(時に新羅の僧行心有り。天文 卜筮ぼくぜいを解す。皇子にげて曰く。

「太子の骨法こっぽう。是れ人臣の相にあらず。此を以つて久しく下位に在るは恐くは身を全せず」。

。此の詿誤あざむきに迷ひて、つひ不軌ふきを図る。鳴呼惜しいかな。彼の良才をつつみて、忠孝を以つて身を保たず。此の奸豎かんじゅに近づきて、つひ戮辱りくじょくを以つて自から終る。古人の交遊をつつしむの意、りて以つて深きかな。時に年二十四)


https://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/977945/262

(国立国会図書館デジタルコレクション『新撰名家詩集』塚本哲三 編 有朋堂書店 262コマ参照)


・概略

 天文卜占を解する新羅の行心という僧侶が大津皇子に人臣の相ではないと持ち上げ、人の下についていると身を全うできないと言い、謀叛を唆した。奸豎(度量の小さい悪人)に近付いた事で戮辱(刑罰による辱めを受ける事)を受けて終わった大津皇子の事を懐風藻の編者が惜しんでいます。


 『日本書紀』では大津皇子が行心を含め吏民を欺いた事になっていますが、『懐風藻』では大津皇子が行心により欺かれています。


 『懐風藻』を見る限りでは行心と言う新羅の僧侶が黒幕ということになり、新羅のスパイと言う説もあるそうです。

 天智天皇七年(六六八年)新羅の沙門道行が草薙剣を盗んで新羅に持ち帰ろうとした事件がありましたが、高句麗の僧侶・慧慈などと違い、新羅の僧侶には碌な人物が居なかった印象があります。



◇行心もグレー。やはり持統天皇が怪しい? いや、大津が野心家だったんじゃ?


 只、『懐風藻』だけを見て行心が黒幕と断定する訳には行かないようです。


 この事件で処罰されたものが、大津皇子・砺杵道作ときのみちつくり・行心のたった三人である事から、持統天皇が他の関係者に対する刑罰を軽くしたのは草壁皇子のライバルになり得る大津皇子を滅ぼす狙いがあったとも言われています。


 行心にしても「罪するのに忍びないから飛騨国の寺に移せ」という軽い刑罰で終わっていますが、『懐風藻』の様に叛逆を唆したのが事実であれば死刑は免れないかと思いますし、ましてや新羅のスパイなどであったら間違いなく殺されたはずなので、持統が黒幕なのかな? と思わざるを得ません。


 『懐風藻』自体が『風土記』に次ぐとても古い典籍であるのは事実ですが、大津を「皇子者淨御原帝之長子也」と記すなど信憑性が薄い記述もある事から、行心の話も捏造の可能性があるかと思います。


 とは言え、当然の事ながら持統天皇が暗躍した話も残されていないので、こちらも状況証拠しかありません。


 或いは持統も行心も関係なく、大津皇子自体が文武両道で能力が高い人にありがちな野心家であり、女帝の持統に対して反発を抱き、反乱を起こす気概があった事も充分考えられます。


 どうしても大津が悲劇的な見方をされるし、惜しい人物ではありますので『日本書紀』にある様に大津が吏民を欺いたという見方はされづらいですが、割と史実に近いのかも知れません。


 結論としては事件の真相は分かりませんし、文献を如何読んでも個人の解釈・予想の範疇を超えられないでしょう。


 事件で処罰された一人の砺杵道作は行心と違い、本当の腹心だったのかも知れません。この人がキーマンだったのかも知れませんが、特に伝承もなさそうなので(もしあったら教えて下さい)結局事実は闇の中と言ったところでしょうか……。


◇参考

https://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/977945/262

(国立国会図書館デジタルコレクション『新撰名家詩集』塚本哲三 編 有朋堂書店)

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