古代のまじない
平城京の疫病の正体は鬼? 木簡に見られる奈良時代のまじない
天皇家に関するネタが続いたのでたまには方向転換して平城京で実際に行われていた
中国晋代の干宝著の怪奇小説集『捜神記』巻十六によると、
「昔、
(『捜神記』干宝 竹田晃 訳 東洋文庫10 平凡社 292ページより引用)
と伝えられています。
この習俗が日本に伝わり、奈良時代には鬼を追う追儺の儀式が行われるようになり、節分の豆まきの行事が今日まで行われています。
また、平城京跡で発見された木簡に唐鬼について書かれており、これも天然痘の流行と関わりがあると指摘されています。
平城京左京二坊における二条大路の路肩に掘られた濠状遺構に発見された木簡に
〔表〕南山之下水不流水中其中有
一大蛇九頭一尾不食余物但
食唐鬼朝食三千暮食
〔裏〕八百 急々如律令
と書かれてました。「南山の下に淵があり、そこに住む頭が九つ、尾が一つの大蛇は唐の鬼ばかりを食らう」と記すこの木簡は天然痘の流行に関わると見られ、唐鬼とは天然痘を引き起こす外来の鬼であり、それを大量に喰らう大蛇に疫瘡の沈静化の願いを託したと言われています。
御存じのとおり、八岐大蛇は人を食らうと伝えられていますが、一つ頭が増えたら転じて鬼を食らう存在と考えられていたのは面白いです。
なお、これを含む二条大路木簡には、長屋王邸の跡に造られた光明子の皇后宮と、その北の左京二条二坊五坪にあった藤原麻呂の邸宅から捨てられたものが含まれています。
因みに麻呂自身、疫瘡で死んでおり、光明皇后はその妹でした。
つまり九つの頭の大蛇よりも疫鬼のが強いって事ですかね? 疫鬼恐るべし。
現代の疫病と言えばコロナウィルスが猛威を振るっていますが、時代が流れ、どんなに生活が進歩しても根は変わらないものです。
余談ですが、追儺の儀式を行う方相氏は怖い鬼を祓うために自らも恐ろしい姿をしていた為、その姿を鬼と重ね合わされ、方相氏自体が恐れられるようになり、鬼ごっこのきっかけなったそうです。
◇参考
『捜神記』干宝 竹田晃 訳 東洋文庫10 平凡社
『日本史リブレット 古代都市平城京の世界』 舘野和己 山川出版
『図解雑学 こんなに面白い民俗学』 佛教大学教授・八木透 東北学院大学助教授・政岡信洋=編集 ナツメ社
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