初学者が先ず参考にすべき論文・井上光貞『帝紀からみた葛城氏』

 では初学者が先ず参考にすべき論文とは何か? 戦後日本を代表する歴史学者の一人である井上光貞の『帝紀からみた葛城氏』(『井上光貞著作集 第一巻』 岩波書店 所収。又は『古事記大成 4 歴史考古篇』坂本太郎 編 平凡社 所収)をお勧めします。


 終戦直後の歴史学は戦時中の言論弾圧への反発も相まって、津田左右吉の『古事記』『日本書紀』批判を嚆矢とし、七世紀以前の歴史的記述は事実が極めて乏しい物とされていました。


 しかし、井上氏は一九五六年、『帝紀からみた葛城氏』において、『古事記』と『日本書紀』の原資料になった『帝紀』の内容を検討して、中国の『宋書』や江田船山古墳鉄剣の銘文などを元に倭の五王について実在した天皇を検証し、『日本書紀』に引用されている『百済記』の記事を詳細に比較し、古代の最も古い氏族として葛城襲津彦が実在した人物であると論証しました。


 内容としては既に古いもので幾つかの反証もありますが、古代史に関わらず、歴史学の勉強で基本となる手法も含まれていますので、特に初学者が参考すべき点を列挙してみます。


①『古事記』『日本書紀』の中でも『帝紀』に当たる部分だけを参考にした。

②『宋書』のような記紀よりも古い時代の海外の文献を利用。

③五世紀の金石文のような一次史料の活用。

④『日本書紀』が引用した『百済記』のような古代朝鮮の記事を利用。


 ①の『帝紀』については大雑把に説明すると、記紀の元になった資料には『帝紀』と『旧辞』があり、『帝紀』には天皇の続柄、御名、皇居と治天下、崩御の年月日、山陵(『帝紀』研究の先鞭の武田祐吉氏はこれに皇子・皇女の事績、事績の簡単な記事を含む)の記事が書かれており、『旧辞』は説話や伝承であると言われています。


 井上氏は『古事記』は一種の文学作品であるとして、『日本書紀』でも『帝紀』と『旧辞』の記述を基づいているのは同じため、六世紀以前の『帝紀』の記述から、史実を探り出す事は原則として絶望的であるとしました。


 一方で井上氏は『帝紀』の記述の信憑性を検証するために、歴代の天皇が実在したのかを②の『宋書』に記された倭五王を取り上げて検証し、「仁徳、または履中以降の天皇、厳密に言えば雄略までは、その外的要因によって確かめられる」としました。


 ついで、③の『江田船山古墳出土太刀銘文』により反正天皇、『隅田八幡宮所蔵人物画像鏡銘文』により允恭天皇の実在が示されるとしてこれらの事から井上氏は『帝紀』の五世紀の記述はほぼ信頼できるとしています。(但し、現在の歴史学においては『江田船山古墳出土太刀銘文』に記された名は『稲荷山古墳鉄剣銘文』と同じく「ワカタケル」つまり雄略天皇とする説が有力であり、『隅田八幡宮所蔵人物画像鏡銘文』の「男弟王」を継体天皇とする説もあります。)


 また、五世紀の『帝紀』に葛城氏がしばしば皇室の外戚になった事が記されているのは五世紀に葛城氏が朝廷(現在では「大和王権」と呼ぶのが一般的)の重要な地位にあったとし、④の『日本書紀』が引用した『百済記』に沙至比跪さちひこなる人物が登場するが、これを記紀に登場する葛城襲津彦と同一人物として実在の人物であり、襲津彦が朝鮮関係の外交に活躍している事も、この時期の葛城氏の繁栄を示しているとしました。


 この井上氏の研究は記紀の七世紀以前の歴史的記述は事実が極めて乏しいとしていた当時の歴史学界では新鮮なものであったらしいですが、金石文、中国史料、朝鮮の関係史料によって記紀の史実性を検証する方法は現在も妥当で、初学者が基本とするべき方法となります。


 付け加えれば、井上氏の論文で用いられなかった考古資料を参考にするべきで、例えば原島礼二氏は、五世紀末に葛城地方の古墳が衰退したのは葛城氏の衰退に対応するものだとしました。


 また、井上氏は神功皇后六二年条の他は、いずれも他に検証する拠り所が無いのでソツヒコに関する伝承であろうとみなしていますが、近年に発掘された奈良県御所市で行われた南郷遺跡群や秋津遺跡の発掘調査から、神功皇后五年条には単なる伝承としては片付けられない様な新たな考古学的知見が得られています。


 この様に井上氏の出した結論と歴史学・考古学の現状と合わなくなってきていますが、参考になるのは


 何かと批判が多い井上氏ですが、記紀の記述をほぼ虚構としていた戦後歴史学会に外的史料を駆使して記紀の記載からある程度史実を突き付けた事は大きな功績であり、その研究手法は初学者が大いに参考すべき点であると思います。



◇参考文献

『古事記大成 4 歴史考古篇』坂本太郎 編 平凡社 176-181頁

「帝紀からみた葛城氏」井上光貞


『古代豪族葛城氏と大古墳』小笠原好彦 吉川弘文館 12頁

「一 実在した葛城襲津彦 葛城地域の考古学的知見」



◇おまけ

・アオイシロWKS~秘曲剣巻草薙篇~第二部 ルートA

https://www.youtube.com/watch?v=YgA2lRKusSo&t=1390s

(著作権元より二次創作ゲームの作成及び動画の使用は許可されています)


 当方が昔作成した二次創作ゲームです。23:10頃から葛城氏の解説をしています。興味がございましたらご覧ください。

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